5月18日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会     民数記18:1~19「祭司とレビ人に関する規定」   2022.5.18

 イスラエルの人々は長い間、エジプトで奴隷として歩んでいました。それを神がモーセを遣わして、エジプトからの解放、出エジプトを成し遂げたのです。イスラエルの人々は、神がアブラハムに与えた約束の土地カナンまで行くことが目的として荒れ野の旅をしていくのです。シナイの荒れ野に着いた時に、神はイスラエルの人々と契約を結びました。それは、神はイスラエルの人々の神となり、イスラエルの人々は、神の民になるということでした。ここでは律法が与えられました。また、幕屋を作るように神は命じました。幕屋は、神がイスラエルの人々と出会う場所でした。そこに仕える人々が祭司であり、レビ人でした。

 レビ人が、このように祭司としての歩みをスタートすることになったのは、出エジプト記32章の金の子牛の像の物語の時でした。シナイ山で神がモーセに律法を与えていた時に、シナイ山のふもとにいたイスラエルの人々は、出エジプトを導いた神ではなく、エジプトで拝んでいた金の子牛をつくって拝んでしまいました。この時の神の裁きがあり、その流れで、レビ人が祭司として立つことになっていくのでした。レビ人は、金の子牛の像を拝まなかったこと、そして、金の子牛の像を拝んだ人々を剣で殺したということで、祭司の働きを担うことになったのです。イスラエルの人々の罪があって、このような祭司のとしての任命を受けたといってもいいでしょう。

 そして、民数記の3~4章には、レビ人の幕屋における具体的なことが書かれてありました。レビには3人の息子がいました。ゲルション、ケハト、メラリです。ゲルション族は、幕屋の幕などの運搬をする役割を与えられています。ケハト族は、幕屋の契約の箱などの祭儀などを運搬する役割です。メラリ族は、幕屋の板などを運搬する役割です。幕屋の移動や設置がレビ人の主な役割でした。レビ人の中のアロンとその子らだけが祭司の役割をすることが決められています。

 民数記16章で、ケハト族のコラが仲間と共にモーセとアロンに反逆していくことが書かれてあります。コラの主張は、自分たちは幕屋の契約の箱などを運搬しているだけで、祭司の働きをすることができない。本当はやりたいということだったのです。そのコラの反逆の結果として、コラとその仲間たちは大地が口を開いて、飲み込まれてしまったのです。この結果として民数記17~18章は、祭司とレビ人の役割が再確認されているのです。

・18:1~7、祭司とレビ人の役割

 幕屋に関する仕事はレビ人だけが与えられているものです。レビ人以外がすることはできないのです。幕屋に触れる者は死罪になると警告されています。レビ人が幕屋に関して、イスラエルの人々が荒れ野の旅をしている時に、幕屋の解体、移動、設置は、すべてレビ人が行うのです。そして、祭司の役割は、アロンとその子らだけがすることになっています。コラの事件が、幕屋における祭司とレビ人の役割を再確認するきっかけになりました。

・18:8~19、レビ人に与えられるもの

 イスラエルの人々がいろいろなささげものを持って来ます。神聖なささげもののうち、燃やしてしまわず、アロンのものとなるものは、穀物のささげもの、贖罪のささげもの、賠償のささげもの、それは、アロンの子らの男子だけが食べることができるものです。次のもの、イスラエルの人々がささげた奉納物は、アロンの子らの息子たち、娘たちが与えられます。最上のオリーブ油、新しいぶどう酒、穀物など、主にささげられた初物は、すべてアロンとその子らに与えられます。

 牛、羊、山羊の初子はすべて贖ってはならないとあります。これらは聖なるものであり、その血を祭壇に振りかけ、その脂肪を焼いて煙にします。これは、燃やして主にささげる宥めの香りです。イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、アロンと、アロンと共にいる息子たち、娘たちに与えられます。これは主のみ前にあって、アロンと、アロンと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約といわれています。

ヘブライ4:14~16

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

 祭司とレビ人の役割についてみてきました。新約聖書では、イエス・キリストが大祭司として表現されています。祭司とレビ人の役割は、すべてイエス・キリストにつながっていきます。私たちの罪の贖い、神との交わりは、すべて、イエス・キリストを通して行われるのです。

祈り 神よ、学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。神と人間との交わり、祭司とレビ人の役割、大祭司イエス・キリストのこと、すべては、私たちの救いのために、神が行ってくださったことです。神の救いの業を感謝して、受け止める者でありたいと思います。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                          」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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