祈祷会 民数記30章「誓願の規定について」 2022.9.7
エジプトを出たイスラエルの人々は、約束の地カナンを目指して荒れ野の旅を40年続けて来ました。40年の間に世代交代も起りました。新しい世代が、約束の地に入っていくのです。その前に、約束の地で神の民として生きるための準備をしていきます。軍隊を整えること、モーセの後継者ヨシュアを定めること、1年間の祭りなどの時に何をささげるべきかが決められました。そして、30章になります。ここでは請願の規定についての内容が書かれてあります。
誓願とは、神に誓いを立てて祈ることです。人間に対するものではなく、神に対するものです。請願には2つの種類があります。1つは、何かを自ら進んで神にささげる形のものです。有名なのは、士師エフタが自分の娘をささげると誓った例があります。
士師11:30~31
エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」
このように、エフタは自分の娘をささげることになってしまうのです。2つは、ある一定期間何もしない、口にしないという「物絶ち」や自制の形でなされるものがあります。ナジル人の誓願というのがあります。
民数記6:5
ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。
イスラエルの人々の中で、ナジル人は、神へ献身した者と考えられていました。ナジル人の誓願中は頭にかみそりを当ててはならないのです。こうした神への誓願はかなり思い切った形でなされるために、結果的に家庭に波風を起し、家庭の生活を危機にさらすことがありました。そのような場合、神は恵みによって、それを止める権威を一家の責任者である父や夫に与え、家庭の平和を取り戻すために定めとしました。一方、自ら神に対してのみ責任を持つ、男とやもめが誓いをなした時には、それを果たさねばなりませんでした。この民数記30章の「誓願の規定について」ですが、28~29章のささげものの規定があり、例祭の祈りの時になされること、そして、これから約束の地カナン征服の戦いが始まる時に、取り残された女性たちに、それが起こりがちであったことと考えられます。
申命記23:22~24
あなたの神、主に誓願を立てる場合は、遅らせることなく、それを果たしなさい。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求め、あなたの罪とされるからである。誓願を中止した場合は、罪を負わない。唇に出したことはそれを守り、口で約束した誓願は、あなたの神、主に誓願したとおりに実行しなさい。
人はしばしば誓願をします。しかし、誓願をするほどの危機的な状況が過ぎてしまうと、それを忘れてしまうことばあります。請願を果たすことができなかった場合、どのようにすべきか、その原則がここでは語られます。
・3節、男性の場合
まず、男性が誓願をした場合は、男性は神に対してだけ責任を負うのだから、神に誓願をした以上、その責任を負わなければなりません。
・4節~16節、女性の誓願
家族の一員である女性の場合です。まだ、結婚をしていないで父と同居している場合(4節~6節)、また、成人して夫と同居している場合(7節~9節.11節~16節)父親もしくは夫に誓願を妨げられた時には、その請願についての責任は解かれます。しかし、それは大丈夫という意味ではなく、父親もしくは夫のことを熟慮した上で誓願すべきだということでしょう。また一方で、父または夫がその女性の誓願に対して何もいわなかった場合には、父または夫がその責任を問われることになります。家族と同居している女性たちは、家長である男性の明確な監督下に置かれています。
やもめや離婚されて一人で暮らす女性の場合は、男性と同じく神に対して責任を負うことになります。(10節)この点においても、男性も一人で暮らす女性も、神に対してだけ責任を負うとしても、その請願の内容は、熟慮し、家族や関係する人々のことを考えた上でなすべきであるということになっていきます。
私たちは戦後77年を迎えました。かつての戦争で多くの犠牲がありました。多くの若者たちが戦場へと行ったのです。送り出した母親や妻や恋人はどのような思いでいたのでしょうか。ただただ無事の帰りを祈って待っていたと思います。このような時に、神への誓願というのがたくさんなされたのでしょう。今、一時的な平和に見える世界の中にいる私たちは、このような神への誓願をどのように考えたらいいのでしょうか。
祈り 神よ、聖書の学びと祈る時を与えてくださり、ありがとうございました。人々は、人生の中で困難な時に、あなたからの守りを求めて、このような請願がなされていました。私たちも、神への誓願について、改めて考えることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン、
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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