祈祷会 申命記11:1~12「神の愛に応えること」 2023.3.15
神は、イスラエルの人々を神の民として選んでくださいました。イスラエルの人々はエジプトで長い間、奴隷としての歩みをしていました。その奴隷としての苦しみを知った神は、モーセを遣わし、奴隷からの解放、出エジプトを成し遂げてくださいました。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を経て、約束の地に向かって旅を続けるのです。荒れ野の旅を40年間続けて、今や、約束の地を目の前にする所までやって来ました。約束の地を目の前にするヨルダン川の東側のモアブの荒れ野で、モーセが約束の地に入ろうとしているイスラエルの人々に、神の民として生きることの意味を語っているのが申命記の内容です。モーセは、ここでその生涯を終えることになりますので、申命記はモーセの告別説教ということができます。
モーセが語ることは、イスラエルの人々が神の民として、約束の地に生きることにおいて大切なことです。それは、神を愛し、その命令、掟、法および戒めを守ることです。常に守ることが求められています。申命記の9章~10章にかけては、イスラエルの人々の荒れ野の旅で、大きな罪が2つ取り上げられていました。1つが、出エジプト記32章の金の子牛の物語です。シナイの荒れ野にやって来た時に、イスラエルの人々に対して、神は契約を結ばれます。神は、イスラエルの神となり、イスラエルの人々は、神の民となることでした。どの具体的なことが神の教えである十戒を授かったことです。その十戒を授かった時に、イスラエルの人々は、神を礼拝することが求められていましたが、何と、エジプトで拝んでいた金の子牛の像をつくって拝んでしまったのです。神の激しい怒りにあいました。
もう1つが、民数記13章~14章にあるカデシュ・バルネアでの事件です。イスラエルの人々は、約束の地を目の前にする場所までやって来ました。その時に、約束の地を偵察することになりました。約束の地に入っていくために必要な準備と思われていました。偵察から帰って報告することは、神が与えてくださる約束の地は、乳と蜜の流れる良い土地であるとしました。しかし、先住民は強く、自分たちが入って戦えば絶対に負けてしまうから入るべきではないとしたのです。この時も、神の激しい怒りにあいました。この2つのイスラエルの大きな罪に対して、神の激しい怒りがありました。神は最初、イスラエルの人々を滅ぼすとまでいったのです。その時に、モーセが神に対しして、涙の祈りをして、神の憐れみ、神の赦しを求めました。そのモーセの涙の祈りを、神は聞いてくださり、イスラエルの人々の罪を赦してくださるなり、イスラエルの人々の歩みが継続されていくことになっていきました。
このようなイスラエルの大きな罪と神の赦しがあって、イスラエルの人々の歩みは続いていきます。今日の申命記の前半が、今日の箇所ですが、約束の地に入るイスラエルの人々がすべきことは、神を愛し、その命令、掟、法および戒めを守ることです。繰り返し、そのことが申命記では語られています。イスラエルの人々の歩みの中で、いろいろな出来事が起ってきます。そこには、神の訓練のことがいわれています。神の訓練を特別に、イスラエルの人々に課しているといわれるのです。
そこには、神の大いなる御業、強い御手と伸ばされた御腕と表現されています。ここには2つの内容が書かれています。1つが、出エジプト記14章の葦の海の奇跡物語です。エジプトを出てまもなくのことです。イスラエルの人々は葦の海に沿って歩んでいました。後ろからはエジプト軍が迫ってきたのでした。イスラエルの人々はパニックになってしまい、モーセに文句をいいます。目の前には葦の海が広がり、後方はエジプト軍が迫って来ていました。その時に、神は、目の前の葦の海を2つに分け、乾いた地をつくり、そこをイスラエルの人々は渡ることができました。後から、追いかけて来たエジプト軍が、海に入った時には、海は元どおりになり、海の水の中で、エジプト軍は溺れて滅んでしまったのです。
そして2つ目は、民数記16章にあるコラ、ダダン、アビラムの反乱の事件です。イスラエルの12部族の中で、レビ人は祭司としての役割を与えられていました。その祭司としての役割も、アロンの子らだけは、祭司としての特別の役割を与えられていました。他のレビ族は、幕屋に関わる大切な働きがあったのですが、アロンの子ではないコラが、モーセとアロンに、自分たちにも祭司としての役割が欲しいと訴えたのです。訴えただけではなく、コラはダタンとアビラムと手を組んで、反逆という形を取りました。この時にも、神は怒り、コラ達を、その家族を含めて、大地が口を開き、すべてを吞み込み、生きたまま落ちていってしまいました。
この2つの例を取り上げて、神に従うことの大切さをモーセはいっています。イスラエルの人々が、神の教えに従って、約束の地で生きるならば、神はイスラエルの人々を祝福し、豊かな生活を送ることができるといっています。エジプトの地と約束の地に違いをここでいっています。エジプトの地では、種を蒔く場合、野菜畑には、自分の足で水をやる必要があったそうです。約束の地は、山も谷もある土地で、天からの雨で潤わされている。自分の足で水をやる必要がないということです。神の祝福の中で、年の初めから年の終りまで、常に神が目を常に注いでいる土地だからといっています。
このように、神がイスラエルの人々に求めていることは、神を信じ、神の教えを守り、実践して生きることです。ここに神の意志があります。しかし、その神の意志に答えることができないイスラエルの人々、神は決して、イスラエルの人々を見捨てることなく、守り導いて行かれるのです。その神の意志、行動を、私たちはここから学んでいきたいと思います。
祈り 神よ。祈りと聖書の学びをすることができましたことを心から感謝します。イスラエルの人々の歩みと神の導きを見ていく中で、神の大きな愛を見ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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