3月22日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記11:13~32「神の教えを守るために」    2023.3.22

 神は、イスラエルの人々と契約を結ばれました。神は、イスラエルの神となり、イスラエルの人々は、神の民となるということです。イスラエルの人々はエジプトで長い間、奴隷として歩んでいました。それを神はモーセを遣わし、エジプトからの解放を成し遂げたのです。エジプトを出たイスラエルの人々は、神が用意してくださる約束の土地を目指して、荒れ野の旅を続けていました。エジプトを出てから、約40年が過ぎました。イスラエルの人々は、約束の地を目の前にする所までやって来ました。ここで、モーセはイスラエルの人々に、神の契約の民として生きることは何かを語っているのが申命記の内容です。約束の地において、神の民として生きることは、神を信じ、神が与えてくださった教えを守り、実行していくことです。そのことが繰り返し繰り返し語られるのです。

 神の教えとは十戒を中心とした教えであり、掟であり、法でもあります。神を愛すること、隣人を愛することの内容になっています。今日の申命記の11章の後半は、神の教えを守ることによって、祝福を得ることができることと神の教えを破ることによって、呪いが与えられることを語っています。神から祝福を与えられること、その条件は、神を信じ、神の教えを守り、実行することです。その神の祝福は、具体的な幸福のことがいわれています。約束の土地において、その季節季節に、イスラエルの人々の土地に秋の雨と春の雨が降らせてくださるといいます。穀物、ぶどう酒、オリーブ油の豊かな収穫があるといいます。家畜のためにも野に草が生えさせてくださる。イスラエルの人々は、食べて満足することができるのです。また、イスラエルの人々は、約束の土地に住んでいた前の人々、前の国々の人々を追い払うことができるのです。約束の土地は、すべてイスラエルの人々のものとなります。神から呪いを与えられること、それは、神を信じないこと、神の教えを守らないことです。イスラエルの人々が心変りをして、神を離れ、他の神々に仕え、ひれ伏すようになることです。神は怒り、天を閉ざしてしまい、雨は降らず、大地の実りが与えられなくなるということです。また、約束の土地に住むことができなくなるのです。

 今日の聖書の内容は、イスラエルの人々が、神を信じ、神の教えを守り、実行するために、いろいろな方法が考えられているのです。神の教えを心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額につけ、子どもたちに、それを教え、家に座っている時も道を歩いている時も、寝ている時も、起きている時も、語り聞かせ、自分の家の戸口の柱にも門にも書き記すようにいわれています。この内容は、申命記6:6~9にも書かれてあります。これだけでも十分なことだと思いますが、次のようなことがいわれています。

申命記11:29

あなたが入って得ようとしている土地に、あなたの神、主が導き入れられるとき、ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを置きなさい。

 私たちが持っている聖書の後ろにあります、聖書地図3カナンへの定住を見ると、ヨルダン川西側のシケムがあります。シケムをはさんで、北側にエバル山、南側にゲリジム山があります。イスラエルの人々が約束の土地に入った時に、ゲリジム山には祝福をおき、エバル山には呪いをおくということです。それを、次のようにいっています。

申命記27:11~14

その日、モーセは民にこう命じた。あなたたちがヨルダン川を渡ったならば、民を祝福するために、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンはゲリジム山に立ち、また呪うために、ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリはエバル山に立ちなさい。レビ人は、大声でイスラエルの人すべてに向かって宣言しなければならない。

 イスラエルの12部族を2つに分けています。そして、祝福としてのゲリジム山には、6つの部族をおき、呪いとしてのエバル山には、残りの6つの部族をおいているのです。レビ族は、大声で、神の教えをいうのです。また、実際にどのように行われたかといいますと、

ヨシュア記8:30~35

そのころ、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。この祭壇は、主の僕モーセがイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。彼らはその上で、主に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。ヨシュアはこの祭壇の石に、モーセがイスラエルの人々のために記した教えの写しを刻んだ。全イスラエルは、長老、役人、裁判人をはじめ、寄留者もその土地に生まれた者も、主の契約の箱を担ぐレビ人である祭司たちの前で、箱のこちら側とあちら側に、半分はゲリジム山の前に、他の半分はエバル山の前に立った。それは主の僕モーセがかつて命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。その後ヨシュアは、律法の言葉すなわち祝福と呪いをことごとく、すべて律法の書に記されているとおりに読み上げた。ヨシュアは、モーセが命じたことをひと言残さず、イスラエルの全会衆、女、子供、彼らの間で生活する寄留者の前で読み上げた。

 このように、イスラエルの人々が、神を信じ、神の教えを守り、実行していくようにしているのです。神の教えを守ることによる祝福、神の教えを破ることによる呪い、警告として繰り返しいわれています。でも、それでも、イスラエルの人々は、神を捨て、偶像の神々にいってしまうことになります。それでも、神のイスラエルの人々に対する愛は変わることがないのです。

祈り 神よ。祈ること、聖書を学ぶことを与えてくださり、ありがとうございます。神が、イスラエルの人々を愛し、ここまであなたから離れることのないように工夫されていたことを知り、驚きと感動を覚えています。それでもイスラエルの人々はあなたから離れてしまうのです。それでも、あなたはイスラエルの人々を愛し続けてくださるのです。この感謝を、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様への祈り「                                  」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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