9月4日の祈祷会の内容です。

祈祷会
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祈祷会    士師記9:21~41「自分の蒔いた種を刈り取る」  2024.9.4

 士師ギデオンは仲間300人で敵のミディアン人13万5千人と戦い勝利しました。多くの困難があってもイスラエルの人々の危機を救ったのです。イスラエルの人々は、ギデオンに敵から自分たちを守ってくれたことで王になることを求めます。しかし、ギデオンはそれを拒否し、神ご自身が王であることを確認していました。しかし、ギデオンはイスラエルの人々に敵との戦いで勝利したことで分捕り品として得た金の耳輪を求めました。多くの金が集まり、それでギデオンはエフォド(大祭司の祭服の前掛け)を作り、自分の町に飾ってしまうのです。ギデオンは多くの妻を持ち、70人の息子たちがいました。それとシケムの側女からアビメレクが生まれたのです。このことが後で悲劇になっていきます。ギデオンは亡くなり父の墓に葬られました。ギデオンの死から、イスラエルの人々は神へ罪を犯し、バアルに従い、バアル・ベリトを自分たちの神とします。イスラエルの人々はミディアン人の苦しみから救ってくれた神のこともギデオンのことも忘れてしまうのです。

 アビメレクはシケムに来て、首長たちに会い「あなたたちにとってエルバアルの息子70人に治められるのと1人の息子に治められるのとどちらが得か考えてください。ただし、私はあなたたちの肉親であることを心に留めてください」といいますと、シケムの首長たちはアビメレクを自分たちの肉親として王になって欲しいと願うようになります。シケムの首長たちはバアルの神殿から銀70をアビメレクに渡します。その金でアビメレクは命知らずのならず者を数名雇い入れ、自分に従わせます。アビメレクはそのならず者と共に、父の家で、自分の兄弟である70人を1つの石の上で殺してしまいます。末の子ヨタムだけは身を隠して生き延びました。シケムの首長たちはアビメレクをシケムの王としました。ヨタムが知ると、ゲリジム山の頂に登り、大声で叫ぶのです。その叫びはシケムの首長たちから火が出て、アビメレクをなめ尽くすと預言します。ヨタムは逃げ去り、べエルに行きアビメレクを避けて生きていきます。アビメレクは3年間、イスラエルを支配下においていましたが、神はアビメレクとシケムの首長たちの間に険悪な空気を送り込まれたので、シケムの首長たちはアビメレクを裏切るようになっていきます。これはエルバアルの70人の息子たち対する不法がそのままにされず、70人を殺した兄弟アビメレクと、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになります。シケムの首長たちは、山々の頂にアビメレクを待ち伏せる者を配置します。彼らは側を通る旅人を誰かとなく襲いました。そのことはアビメレクの知ることになりました。ここでガアルという人物が登場してきます。シケムの首長たちはガアルを信用します。首長たちは野に出て、ぶどうを取り入れて踏み、祝宴を催し、神殿に行って飲んで食べ、アビメレクを嘲りました。ガアルは「アビメレクとは何者か。なぜ我々が彼に仕えねばならないのか。私はアビメレクを片付けてやる。アビメレクよ。お前の軍隊を増強して出て来い」と強気でいっています。

 町の長ゼブルはガアルの言葉を聞いて激しく怒り、使者をアビメレクのもとに送って「ガアルがシケムに来て、この町をあなたに背かせようとけしかけています。早速夜のうちに行動を起し、民を率い、野に待ち伏せして、明朝、日の出とともに町に攻撃をかけてください。ガアルとその仲間があなたを迎え撃とうとして出て来るはずです。あなたは、思いのままにガアルをあしらうことができます」といいます。アビメレクとその軍隊が夜のうちに行動を起し、4隊に分かれてシケムに向かい、そこで待ち伏せします。ガアルが出て来て、町の門の入り口に立ちます。アビメレクは率いる軍隊と共に待ち伏せの場所から立ち上がると、ガアルはゼブルに「見よ、山々の頂から民が降りて来る」といいます。ゼブルは「あれは、山々の影なのに、あなたには人間の影のように見えるのでしょう」と答えます。ガアルはもう一度「見よ、地の高みから人が下りてくる。1部隊がやって来る」といいます。そこでゼブルは軽蔑したように「アビメレクとは何者か、その彼に我々が仕えねばならないとは、と述べたあなたの口はどこに行ったのですか。あれは、あなたが軽蔑した民ではないですか。すぐに出て行って戦ったらどうです」といいます。

 ガアルはシケムの首長たちの先頭になって出て行き、アビメレクと戦います。しかし、アビメレクが追い上げ、ガアルは敗走することになったのです。切り倒された者は数多くいました。アビメレクはアルマに留まり、ゼブルはガアルとその仲間を追い払い、シケムに留まれないようにしました。ここでは町の長ゼブルがいいように立ちまわっている様子を見ることができます。最初には、ガアルにつき、形勢が悪くなると、アビメレク側についています。生き延びるためには何でもするという感じです。ここではシケムの首長たちが身内ということで王にしましたが、状況が変わって、アビメレクを裏切るようになっていきます。ここでは、神がアビメレクとシケムの首長たちとの間に、険悪な空気を送り込んだとありますが、それは70人の息子を殺したアビメレクとの罪と、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになるという理由をあげています。

 「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」(ガラテヤ6;7)この聖書の言葉がある通り、人は自分が蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分が犯した過ちを、そのまま見逃されることはないということです。現実の問題として、どのように私たちは考えればいいのでしょうか。その上でイエス・キリストの十字架の意味を考えてみたいと思います。

ローマ8:32~34

わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。

 私たちの罪を、イエス・キリストが身代わりとなってくださり、十字架についてくださいました。人は自分が蒔いた種を、イエス・キリストが十字架で刈り取ってくださったという理解になります。これが、イエス・キリストの福音です。

祈り 神よ、あなたの恵みによって、聖書の学びと祈りの時を持つことができました、感謝します。人は自分が蒔いた種を刈り取ることになります。しかし、私たちの罪は重く、刈り取ることができません。それを、イエス・キリストが十字架の上で刈り取ってくださいました。ここに私たちの罪の赦しがあります。神の愛に深く感謝します。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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