祈祷会 士師記21章「自分の目に正しいこととは」 2025.1.22
士師記19~21章は、イスラエルの12部族の中で、ベニヤミン族が滅んでしまうかもしれない危機に陥っています。その原因ですが、エフライムの山地の奥に1人のレビ人が住んでいました。レビ人はユダのベツレヘムから1人の女性を側女として迎え入れました。しかし、その側女はレビ人を裏切って、実家に帰ってしまいました。レビ人は側女を連れ戻すために、側女の実家に行きました。和解ができて、レビ人は側女を連れて自分の家に帰って行こうとします。帰る途中でベニヤミン族のギブアに寄りました。ギブアで1人の老人の家に泊まることになりました。そこで事件が起ります。ギブアのならず者たちが来て、「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい」というのです。老人は拒否しますが、ならず者たちは承知しませんでした。そこでレビ人は、自分の側女をつかんで、外にいるならず者たちの所に押し出すと、ならず者たちは一晩中朝になるまで、側女を知りもてあそび、朝の光の射す頃ようやく側女を放しました。側女はレビ人のいる家の入り口までたどりつき倒れて死んでしまいました。レビ人は死んだ側女をろばに乗せて家に帰りました。家に帰ったレビ人は死んだ側女をつかんで刃物で12の部分に切り離し、イスラエルの全土に送るのです。それを見たイスラエルの人々は大きな衝撃を受けました。
イスラエルの人々はミツバに集まりました。剣を携えた40万の兵士が集結したのです。イスラエルの人々はレビ人に、どうしてこのような犯行が行われたのかの説明を求めました。レビ人は「ベニヤミンのギブアに来て、わたしと側女と共に宿をとっていました。ギブアの首長たちが私に向かって来て、夜、私の泊まった家を取り囲み、私を殺そうとし、側女を辱めて死に至らしめた。私は側女をつかみ、その体を切り離して、イスラエルの全地に送りました。ベニヤミンの人々の行った極悪非道のことを知って、対応して欲しいのです」と答えます。それを聞いたイスラエルの人々は、ベニヤミンと戦う思いを持ちました。その前に、イスラエルの人々はベニヤミンの人々に「あなたたちの中で行われたあの犯行は何ということか。今、あのならず者の犯人を出せ。犯人を殺してイスラエルの中から悪を取り除こう」と聞きます。ベニヤミンの人々が、そのならず者たちの犯人を引き渡せば、それで終ったはずでした。ところが、ベニヤミンの人々は、イスラエルの人々と戦う準備を始めていくのです。ベニヤミンの兵士たち26700人が集まりました。イスラエルの40万人の兵士と戦うことを決意するです。
イスラエルとベニヤミンの戦いが始まりました。1日目は、イスラエルの中で兵士22000人が倒れました。2日目は、またイスラエルの兵士18000人が倒れました。イスラエルの人々は、共にベテルに集まりました。ベテルには神の契約の箱があったのです。イスラエルの人々は神に問うて「兄弟ベニヤミンとの戦いに、再び繰り返して出陣すべきでしょうか」と聞きます。すると、神は「攻め上れ。明日、わたしはベニヤミンをあなたの手の渡す」と答えるのです。3日目の戦いは、イスラエルの人々は戦い方を変えて、伏兵を配置しました。一度、イスラエルの人々は負けそうになるのです。それを見たベニヤミンの人々ギブアから出てきました。おびき出されたのです。それを見た伏兵はギブアに入って、攻めて行き、町をくまなく剣を持って撃って行きます。町に火をつけます。ギブアの町は火の手が上がりました。ベニヤミンの人々が振り返ると町全体が火に包まれて天に燃え上っていました。一度逃げたイスラエルの人々が引き返して来て、戦いを仕掛けていきます。ベニヤミンの人々は荒れ野に逃げようとしますが、戦いを逃れることはできませんでした。この戦いで、ベニヤミンの兵士25000人が戦死しました。残った600人が荒れ野のリモンに逃げて行きます。
イスラエルの勝利となりました。イスラエルの人々はミツバで「自分たちは誰も自分の娘をベニヤミンに嫁として与えないことにする」と誓いました。人々はベテルに帰って来て、夕方まで神のみ前に座り、声をあげて泣き叫びます。「イスラエルの神よ、なぜイスラエルにこのようなことが行われ、今日イスラエルから1つの部族が欠けるようになったのですか」と。イスラエルの人々はベニヤミンとの戦いで、1日目と2日目と敗北したので、徹底的な戦いをしようとしたのでしょう。3日目には勝利を得ることができました。気づくとベニヤミンの人々がほとんどいなくなってしまうことになってしまったのです。
イスラエルの人々は、兄弟ベニヤミンのことを悔やみ「今日イスラエルの中から1つの部族が切り捨てられた。その生き残りの者たちに妻を与えるにはどうすればいいだろう。私たちは娘を嫁がせないと主に誓った」といいました。そこで、イスラエルの人々は、イスラエルの中でベニヤミンとの戦いに出て来なかった人々を捜すのです。すると、ギレアドのヤベシュの住民が出て行かなかったことが分かります。すると、イスラエルの人々は12000人の兵士を送り、ギレアドのヤベシュの住民を女性と子どもに至るまで、剣をかけるのです。住民の中で男と寝たことがない処女の娘400人を見い出し、シロの陣営に連れ帰ったのです。イスラエルの人々は逃げた600人のベニヤミンの人々と和解を求め、この400人の娘をベニヤミンの人々に与えます。でも、まだ200人の女性が足りません。そこで、年ごとにシロで過越しの祭りが行われる。シロの娘たちがそろって踊りに出て来る。イスラエルの人々は、ベニヤミンの人々に、ぶどう畑に行って、待ち伏せし、シロの娘が踊りに出て来るのを見たら、ぶどう畑から出て行って、シロの娘たちを捕まえて、ベニヤミンの地に帰りなさい。もし、その家族が出て来て、文句をいったら「我々に免じて憐れみをかけてやって欲しい」と答えるとイスラエルの人々はいいます。それは、実行され、ベニヤミンの人々は踊っている女性を奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んでいきます。こうして、イスラエルの人々は、自分たちの嗣業の地に帰って行きました。
イスラエルの中で、このような悲しいことが起っています。どうして、このような出来事が起っていったのでしょう。神は信じているのに、実際は「それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」(士師記21:25)の結果なのでしょうか。神を信じているといっても、最終的には人間の思いが先になって今うのです。これを人間の罪というのです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈り時を与えてくださり、ありがとうございます。士師記の最後の章を学びしました。何と悲しいことでしょうか。本当に悲しく辛い内容がありました。人間の罪がそれをしてしまうのでしょうか。そのことに気づく知恵を教えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
コメント