祈祷会 サムエル記上4章「神の箱が奪われる」 2025.3.26
神は少年サムエルを呼ばれました。最初、サムエルはその声は祭司エリだとして、神の声だと理解することはできませんでした。3回目の呼びかけの時に、祭司エリは、サムエルを呼びかけているのが神だと理解して、サムエルに今度、呼びかけがあった時は、「主よ、お話しください。僕は聞いています」と答えなさいといいました。神がサムエルに4回目の呼びかけをした時に、サムエルはエリにいわれたように「どうぞ、お話しください。僕は聞いています」と答えます。ここでサムエルは、自分が預言者としての役割を担うことを始めて意識していくようになっていきます。
神がサムエルに告げた預言の言葉は、祭司エリの家の裁きの内容です。エリの息子たちが神を汚す行為をしていることを知っていながら、とがめなかった罪のためです。サムエルは成長していきます。イスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼に足る者であることを認めていきます。そして、サムエル記上4章に入っていきます。ここでは、士師記の出来事を思い出します。士師記の流れがありました。次のような内容です。イスラエルの人々は豊かで平和に暮らしていました。その平和の中で、神への信仰が薄れていき、先住民と交わり、先住民の神々を拝んでいきます。神は怒り、敵をイスラエルの中に送ります。敵によって苦しむイスラエルの人々は、神に立ち帰って救いを求めていくのでした。人々の祈りに答えて、神は士師を送り、イスラエルを敵から助け出すのです。士師の働きによって、敵は去って行き、平和が戻って来ました。そして、人々は平和の中で、神を忘れていくのです。
このサムエル記上4章の内容も士師記と似ています。神は、祭司エリの息子たちの悪に対して、敵であるペリシテ人を送っていきます。イスラエルの人々とペリシテ人は戦っていきます。戦いは広がって、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて4000の兵士が討ち死にしたのです。兵士たちが陣営に戻り、イスラエルの長老たちは、「どうして、主は我々がペリシテ人に負けてしまったのだろうか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう」といいます。兵士たちがシロにやって来て、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから担いで来させました。エリの2人の息子たちも神の契約の箱に従って来ました。
主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいたのです。ペリシテ軍は歓声を聞いて、「イスラエルの陣営にどよめくあの大歓声は何だろう」といい、主の箱がイスラエル軍の陣営に到着したと知ると、恐れて「大変だ。このようなことはなかった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ」といいます。そして「ペリシテ人よ、雄々し男らしくあれ。男らしくイスラエルと戦え」といいます。こうして、ペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰って行きました。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵3万人が倒れました。神の箱は奪われ、エリの2人の息子たちも死にました。神がサムエルに語ったようになっていくのです。この時に神の箱はイスラエルの危機の時に沈黙しています。
ベニヤミン族の男が1人、戦場を出て走り、その日のうちにシロに着きました。その男の衣は裂け、頭は塵をかぶっていました。エリは道の傍らに設けた席に座り、神の箱を気遣って目を凝らしていました。その男が、戦いの結果を知らせると町全体から叫び声があがりました。エリは叫び声を耳にして尋ねます。
「この騒々しい声は何か」と。男はエリに近寄り、報告しました。エリは98歳で目は動かず、何も見ることができなくなっていました。男はエリに「わたしは戦場から落ち延びて来た者です。イスラエル軍はペリシテ軍の前から逃げ去り、兵士の多くが戦死しました。あなたの2人の息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われてしまいました」と報告しました。その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門の側の彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んでしまいました。年老いて、太っていたといっています。エリは40年間、イスラエルのために裁きを行いました。エリの悲しい最後です。預言の通りでした。
エリの息子ピネハスの妻は出産間近でした。神の箱も奪われ、姑も夫も死んだとの知らせを聞くと、陣痛に襲われ、かがみ込み、子どもを産みました。死の迫っている彼女に、付き添っていた女性たちが「恐れることはありません。男の子が生まれました」といっても、彼女は答えず、心の留めなかったというのです。神の箱も奪われ、姑も夫も死に、栄光はイスラエルを去ったと考えて、彼女は子どもの名をイカボド(栄光は失われた)と付けました。彼女は「栄光はイスラエルを去った。神の箱は奪われた」といっています。自分の子どもの名に、悲しみの名をつけなければならない深い悲しみを表現しています。神の民であるイスラエルは、何度も何度も、罪を犯し、悲しい歴史を歩んでいくのです。
しかし、その悲しみと苦しみの中で、イスラエルの人々は、神から離れていましたが、神にもとに帰っていくのです。悲しみや苦しみが、イスラエルの人々を神のみもとに送っていくのです。神のもとに立ち帰っていくことができるのです。これは、イスラエルの人々の歩みだけでなく、私たちすべての人間の歩みと同じです。私たち人間が、創造主である神に立ち帰ることができるためには、人間の限界性、罪深さ、苦しみや悲しみが必要になってきます。そのような悲しみや苦しみがなくても、神のもとに立ち帰ることができるのでしょうか。私たちの課題です。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。祭司エリの息子たちに罪によって、イスラエルはペリシテ軍との戦いの中で大きな敗北をしました。それと、神の箱を奪われるという大きな試練を受けることになってしまいました。しかし、その大きな敗北と試練によって、イスラエルの人々は神のもとに立ち帰っていくことができるようになっていくのです。人の苦しみの意味を考えます。あなたの導きをお願いします。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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