4月9日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会    サムエル記上6章「神の箱がイスラエルに帰って来る」  2025.4.9

 イスラエルとペリシテは戦い、ペリシテは勝利を得ることができました。イスラエルには神の箱のあったのですが、神の力は発揮することなく、イスラエルは敗北してしまいました。ペリシテは戦いの勝利として、神の箱を奪い、自分の町に持ってきたのですが。アシュドド、ガド、エクロンの町々に置きますが、その度に、災いが起りました。腫れ物が彼らの間に広がっていきます。その災害は大きく、「実際、町全体が死の恐怖に包まれていた」(5:11)のです。この災いを受けて、ペリシテの人々は、神の箱をイスラエルに返そうとしていきます。神の箱は7ケ月の間、ペリシテの地にありました。

 ペリシテ人は、神の箱をイスラエルに返すにあたって、祭司たちと占い師たちを呼んで「神の箱をどうしたらものでしょう。どのようにして神の箱をイスラエルのもとの場所に送り返したらよいのか教えてください」と聞いています。祭司たちは「イスラエルに神の箱を送り返すにあたっては、何も添えずに送ってはいけない。必ず賠償のささげものと共に返さねばらない。そうすれば、あなたたちは癒され、神の手があなたたちを離れなかった理由も理解することができる」と答えます。そしてペリシテ人は「それでは、返すにあたって、賠償のささげものは何がよいでしょうか」と聞きますと、祭司たちは「ペリシテの領主の数に合わせて、5つの腫れ物と5つのねずみにしなさい。腫れ物の模型と大地を荒らすねずみの模型を造って、イスラエルの神に栄光を帰すならば、あなたたちの土地の上にのしかかっているその手を軽くしてくださるであろう。」「なぜならば、エジプト人とその王が心を固くなにした。心を固くすることによって、イスラエルは去って行ったではないか」といいます。

そして具体的な方法として「新しい車1両、乳を飲ませている雌牛2頭を用意する。雌牛を車につなぎ、子どもを引き離して小屋に戻す。神の箱を車に載せ、賠償のささげものとして神に返す金の品物を箱に入れ置く。それを送り出し、行くがままにしておく。見ていて、自分の国に向かう道を、ベト・シュメシュへ上って行くなら、我々に対して、この大きな災難を起したのは、イスラエルの神だ。もし、その方向に行かなければ、偶然の災難だったということが分かる」といいます。

ペリシテの人々は、祭司たちのいう通りにします。乳を飲ませている2頭の雌牛を連れて、車につなぎ、子牛を小屋の閉じ込め、神の箱を車に載せ、金で造ったねずみと腫れ物の模型を入れた箱も載せました。雌牛は、ベト・シュメシュ通じる一筋の広い道を真っすぐに進んで行きます。歩きながら鳴きましたが、右にも左にもそれることはなかったのです。

ペリシテの領主たちは、ベト・シュメシュの国境まで後をつけて行きました。ベト・シュメシュの人々は谷あいの平野で小麦の刈り入れをしていました。目を上げて見ると、神の箱が見えるのです。人々はそれを見て、喜んでいます。車はベト・シュメシュの人ヨシュアの畑に着くと、そこに止まりました。そこに大きな石があって、人々は車に使われていた木材を割り、雌牛を焼き尽くすささげものとして主にささげています。レビ人は神の箱と、その脇に置いてあった金の品物の入った箱を下ろし、大きな石の上に置きました。その日に、ベト・シュメシュの人々はささげものを主にささげました。ペリシテの5人の領主は、これを見届けると、その日のうちにエクロンに帰って行きました。ペリシテ人が、主に賠償のささげものとして、送った金の腫れ物と金のねずみの数はペリシテの5つの町のためでした。

民数記4:17~20
主はモーセとアロンに仰せになった。あなたたちは、ケハトの諸氏族をレビ人の中から断やしてはならない。彼らが神聖なものに近づいたとき、死ぬことなく命を保つために、彼らのためにこうしなさい。すなわち、アロンとその子らが行って、彼らの一人一人をそれぞれの仕事と荷物に割りふる。そうすれば、彼らが中に入っても、聖なるものをかいま見ることはなく、死を招くことはない。

神はベト・シュメシュの人々を打ちました。それは神の箱の中をのぞいたからでした。神の箱を運ぶ仕事は、レビ人の中でケハト族だけでした。神の箱の中を見ることは死を招くことだったからです。そのために神はベト・シュメシュの町の人々5万のうち70人を打たれたのです。そのことはベト・シュメシュの人々にとって大きな打撃でした。人は喪に服し、「この聖なる神、主の御前に誰が立つことができようか。我々のもとから誰の所に行っていただこうか」いいます。ベト・シュメシュの人々は、キリヤト・エアリムの住人に使者を送って「ペリシテ人が神の箱を返して来ました。下って来て、神の箱をあなたがたのもとに担ぎ上ってください」とお願いしています。

神の箱の働きを通して、神の働きを知ることができます。神の箱の中を見ることは許されていませんでした。神は聖であり、人は罪人だからです。ペリシテ人がイスラエルとの戦いに勝ち、神の箱を奪って、自分たちの町に持って来たのは、神の箱を通して、神の力が自分たちにダゴンの神と一緒になって、より力を発揮してくださると考えたからでしょうか。しかし、実際には災難が起きて、神の箱をイスラエルに返そうということになっています。この時に、ペリシテの人々は、自分たちの祭司たちや占い師たちに聞きます。どのようにして神の箱をイスラエルに返したらいいのかと。祭司たちは、賠償のささげものの必要性をいって、5つの領主たちに合わせて、5つの金の腫れ物の模型、5つの金のねずみとしました。更に、車を造り、その上に、神の箱や金などが入った箱を置き、乳を飲ませている2頭の雌牛を車につなぎ、子牛を引き離して、小屋に戻す。車を送り出し、行くがままにする。そのままベト・シュメシュに向かえば、神が災難を起したことが分かる。雌牛はわが子のもとに帰ろうとするから、戻ってしまう。そうすると、偶然の災害と考えるというものは、考えさせられる内容です。神の御心を知ることは難しいことです。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。異邦人であったペリシテ人が、イスラエルの神の働きをいかに知ろうといているのかをみてきました。私たちはいかにして、神の働きを知ることができるでしょうか。それは、この聖書を通して知るということです。聖書には、神がいかに働かれるかを書いています。聖書から神のことをより知ることができるのです。感謝します。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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