祈祷会 サムエル記上8章「イスラエルが王を求める」 2025.4.23
旧約聖書のサムエル記と列王記は、イスラエルの王国物語が書かれてあります。イスラエルに王が誕生する機会となったのが、今日の聖書の箇所です。それまでイスラエルを導いたのは族長であり、士師でありました。ここまでイスラエルの人々の歩みは、いろいろな民族との戦いの歴史でした。戦いには、戦いを導く者が必要でした。イスラエルと戦う他の民族には王がいて、王が人々の戦いを導いていったのです。それをイスラエルの人々は戦いの中で見ていました。それで、イスラエルの人々の間で、自分たちにも戦うリーダーとしての王が必要だと感じていたのです。
イスラエルの人々の中で、自分たちに王が必要だと感じたきっかけは、それまでの他民族との何度も渡る戦いの経験からでした。実際にきっかけとなったのが、サムエルの晩年です。サムエルは士師として素晴らしい働きをしていました。サムエルが元気で、士師としての働きを発揮できる時は何の問題も起りませんでした。しかし、サムエルは年老いていきます。サムエルは、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命しました。サムエルが自分の息子たちを自分の後継者として任命したことは、どうしてなのだろうと思います。自分の指導者であった祭司エリとその息子たちの経験があったはずなのに、それを忘れてしまっているかのようです。この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げています。そのような息子たちをどうして後継者として任命したのか、イスラエルの人々の不満が起って当然です。
イスラエルの長老たちは全員集まって、サムエルに「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、他のすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください」と申しれるのです。イスラエルの長老たちの言い分に対しての責任はサムエルに大いにあります。イスラエルの人々がサムエルに王を求めることに対しては、2つの意見があります。反対の立場と賛成の立場です。今日の聖書の箇所でも、同時に2つの意見が交錯していることが分かります。その点を考慮しながらみていきましょう。
まず、反対の立場です。裁きを行う王を与えよとのイスラエルの長老たちに言い分は、サムエルの目には悪と映ったとなっています。そこで、サムエルは主に祈り、主は「民があなたにいうままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ」と答えています。このまま聖書を読んでいると、サムエルや主が、人々が王と求めていることに対して反対の立場だといえます。
しかし、主は「今彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきりと警告し、彼らの上に君臨する王の権能について教えておきなさい」といっています。主は、イスラエルの人々の王を求めることに対して、本音では反対だが、現実的には受け入れるしかないという立場になっています。サムエルは王を要求する人々に主の言葉を伝えます。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次の通りである。まず、あなたたちの息子を徴用する。戦車兵、騎兵にして王の前の戦車の前を走らせ、1000人隊の長、50人隊の長として任命し、王のために耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用する。香料作り、料理女、パン焼き女とする。あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。また、あなたたちの穀物とぶどうの10分の1を徴収し、重臣や家臣に分け与える。あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうち優れた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。また、あなたたちの羊の10分の1を徴用する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日に、あなたたちが選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」と。
人々はサムエルの声に聞き従おうとせず、いい張り「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いを戦うのです」と答えます。サムエルは人々の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れるのです。主はサムエルに「彼らの声に聞き従い、彼らの王を立てなさい」といわれました。このようにして、イスラエルの人々の王を求める声に、主は答えて、サムエルに「彼らの王を立てなさい」と命じています。
イスラエルの中に、新しく王が立てられていく。これは主の目からすれば悪のように見えますが、それを受け入れて容認していくことになります。主は、イスラエルの人々の欲求に配慮して答えています。現実路線といいますか、そのような対応にみえます。今後のイスラエルの人々の歩みを考えて行く時に、戦いの連続となっていきます。そのための対応なのかと考えます。今後、イスラエルの王として、サウルやダビデ、ソロモンが選ばれていきます。この王たちの歩みを通して、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの人々が神に王を立てて下さるように願って、神はそれを実現すると約束しています。このことを私たちはどのように受け止めればいいのでしょうか。人間の現実といいますか、それを見て、神は王を立てることを容認したのです。ここでは神の柔軟性として受け止めていいのでしょうか。神の思いを少しでも思い計ることができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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