4月30日の祈祷会の内容です。

body of water between green leaf trees 祈祷会
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祈祷会   サムエル記上9:1~13「イスラエルの最初の王サウル」   2025.4.30

 サムエル記は、イスラエルの王国物語が書かれてあります。サムエル記上には、最初の王サウルと次の王ダビデのことが書かれてあります。イスラエルの人々が王を求めたことは、それまで多くの民族と戦って来た経験からきています。戦いの度ごとに、敵には軍のリーダーである王がいて、その王のもとで戦いが進められていました。それを見て、自分たちにも王が欲しいという願いがあったのです。人々が王を求めた直接の原因は、サムエルにありました。サムエルは預言者として祭司として士師として素晴らしい働きをしていました。しかし、サムエルも高齢になっていました。後継者として任命したサムエルの息子たちは、サムエルの道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を受け取って裁きを曲げていました。これからのことに不安を覚えたイスラエルの長老たちは、サムエルに、イスラエルに新しい王を立てて欲しいと願い出ています。サムエル自身と神も人々が王を求めることには反対でした。今まで、イスラエルは神ご自身が王だったからです。それは神を捨てて、人間の王を立てるという意味だったからです。しかし、神はサムエルに、人々の声に聞き従い、新しい王を立てなさい。また、王の権能について具体的に説明するようにいいます。

 イスラエルの人々の王を求める声に神は聞き従い、イスラエルに最初の王が誕生していきます。それが、サウルです。サウルはベニヤミン族の出身です。父は勇敢な男であったキシュという人でした。サウルの特徴として、美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルには誰もいませんでした。また民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かったのです。王としての見栄えといいますか。それをサウルは持っていたということになります。ある日、キシュのろばが数頭、姿を消します。家畜がなくなることは大きな問題となっていきます。それで、キシュは息子のサウルに若者1人連れて、ろばを捜しに行ってくれと命じます。サウルはいろいろな場所に行きましたが、ろばを見い出せずにいました。ある場所に来た時、サウルは一緒にいた若者に「さあ、帰ろう。父がろばはともかくとして、私たちを気遣うといけない」といって帰ろうとしました。すると若者は「ちょうどこの町に神の人が来ています。尊敬されている人で、その方のおっしゃることは何でもそのとおりになります。その方を訪ねてみましょう。恐らく、私たちに進むべき道について、何かを告げてくださるでしょう」といいます。でもサウルは「訪ねるとしても、その人に何を持参できよう。神の人に持参する手土産はない。何かあるか」と聞くと、若者は「ここに4分の1シュケルの銀があります。これを神の人に差し上げて、どうしたらよいのかを教えていただきましょう」といいます。サウルは「それはいい。さあ行こう」といって、神の人のいる町に向かって行きます。町に通じる坂を上って行くと、水汲みに出て来た娘たちに出会いました。サウルたちはこの娘たちに、先見者がいるかを聞いていきます。

 これから先は、これからのサウルの歩みの全体像をみていきます。イスラエルの最初の王となるサウルですが、神が王として直接指名されたということが大切です。神に指示されて、サムエルはサウルの頭に油を注ぎ、王に任命しましたが、「しかしならず者は、こんな男が我々を救えるかと言い合って彼を侮り、贈り物を持って行かなかった。だが、サウルは何も言わなかった」(10:27)とあるように、最初は無名の若者が突然王とされたことへの人々の戸惑いがあったこと、また、サウル自身も自信を持てずにいたようです。しかし、やがて王として最初の戦いに勝利すると、人々はサウルを王として認め、本人も自信を持つようになっていきます。

 しかし、やがて、神に反することを犯してしまいます。ある時、ペリシテ人との戦いで、イスラエルは苦境に立たされていました。人々は神に焼き尽くすささげものをささげて、この苦境から救ってもらいたいと、サムエルの到着を待っていました。ところがなかなかサムエルがやって来ないのです。人々が戦意を失い欠けているのを見たサウルは、祭司しか許されていないささげものをささげる行為を自ら行ってしまいました。ちょうど、その時にサムエルが到着するのです。サムエルはサウルをとがめ、神の命令を守らなかったサウルの王国は続かないといいます。その後、神はサムエルを通してサウルにアマレクを討つように命じました。その時に、アマレクの民も家畜も財産もすべて滅ぼし、戦利品として持ち帰ることはしないようにとも命じました。しかし、サウルは肥えた家畜たちを見るとそれを滅ぼすことを惜しんで持ち帰ってしまったのです。神の命令を破ることが二度目であったこと、サムエルにとがめられた時、「命令は破っていない。これは神にささげるために持ち帰ったものだ」とうそをついています。サウルには神を畏れ、神の命令に従う姿勢が欠けています。そんなサウルにサムエルは「反逆は占いの罪に、高慢は偶像礼拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる」(15:23)といいます。

 「あなたは王位から退けれる」という言葉は、神の霊はサウルを離れ、サムエルからも見放され、支えを失ったサウルは心が休まる時がありませんでした。一方で、神はサムエルに新しい王に油を注ぐように命じます。それはダビデでした。しかし、ダビデがイスラエルの王となるのはまだしばらく先のことです。不安と恐れに日々さいなまれているサウルに、ダビデは今でいう音楽療法のようにして竪琴の演奏者として癒すのです。やがて、ダビデが戦闘で大きな成果を上げるようになると、人々はサウルよりもダビデを称賛するようになり、サウルはダビデに嫉妬し始めます。それが高じてダビデを殺そうとしたために、ダビデは逃走します。神に見捨てられたサウルは、その後、戦闘で死ぬことになります。ここでサムエル記上が終ることになります。イスラエルの最初の王となったサウル、サウルを王として指名したのが、神ご自身でした。その点を忘れてはいけないと思います。どうして、このようなサウルを王として指名されたのか、神の御心は、私たちには分かりません。サウルは最初、謙遜でした。それが王になってから、その立場がサウル自身を変えてしまったのでしょうか。サウルの歩みを見ていきますと、人間の弱さを知ることができます。私たちはどうでしょうか。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの王として最初に選ばれたサウル王の歩みをみてきました。なぜ、あなたはサウルを王として選ばれたのでしょうか。そのサウルが、神を畏れることを止めて、自分勝手な道を歩んで行ってしまう。どうして、サウルはこのようになってしまったのでしょうか。人は王という立場になると、人間が変わってしまうのでしょうか。自分という者をしっかりと見極めることができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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