祈祷会 サムエル記上10:1~16「サウルが王となるしるし」 2025.5.14
サムエルはイスラエルの最後の士師といっていいでしょう。そのサムエルによって、イスラエルの最初の王となるサウルが誕生するのです。イスラエルは士師から王へと指導者が代わっていくことになります。それは、イスラエルの人々が神に王を求めたからです。イスラエルを導いたのは神ご自身です。それが、イスラエルの人々は敵との戦いの中で、敵が王を中心に戦っている姿を見て、自分たちにも王が欲しいと求めたことになります。イスラエルの人々が神に王を求めたことは、サムエルにとっては悪に見えました。それは、神を捨てて、人間の王を求めるということだからです。神もサムエルに、人々が王を求めることは、わたしを捨てて、他の神々を求めることだといっています。偶像礼拝になるからです。それでも、神は、イスラエルの人々が王を求めることを許可していきます。神の許しの中で、サムエルはサウルをイスラエルの新しい王としていくのです。
10章の最初には、サムエルがサウルに油を注ぐ場面が出ています。メシア(油注がれた者)です。ただ、10章全体を見ますと、サウルがイスラエルの王となっていく場面ですが、サムエルは個人的に、秘密裏にサウルに油を注がれています。それでは、イスラエルの王になったという意味を、どのようにイスラエルの人々全体に伝えていくのだろうと思います。すると、10章の後半になると、サムエルはイスラエルの人々全体をミツバに集めます。そして、サムエルは、今まで自分たちを導いてくださったのは、神だ。しかし、あなたがたはその神を捨てて、王と求めた。だから、これから王を選ぶということで、くじ引きをしていきます。そのくじ引きによって、ベニヤミン族が選ばれ、最後にくじ引きによって、サウルが王として選ばれて、人々に紹介するという流れになっていきます。イスラエルに新しい王が選ばれるためには、このような流れが必要だったのでしょうか。
10章の前半は、サムエルがサウルに油を注ぎました。そのサウルに対して、自分が王として選ばれた意味を、3つのしるしによって、理解させようとしています。サムエルはサウルに油を注いでから「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです」といいます。次に、王となったしるしを3ついいます。1つは、今日サムエルから去って行く時に、ラケルの墓の脇で2人の男と出会う。2人は「あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父はろばのことを忘れて、あなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいかといっています」といいます。
2つは、そこから先に行くと、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに上る3人の男に出会います。1人は子ヤギを3匹連れ、1人はパン3個を持ち、1人はぶどう酒を1袋持っています。サウルに挨拶し、2個のパンをくれますから、受け取りなさいといいます。
3つは、ペリシテ人の守備隊がいる場所に向かい、町に入る時、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。主の霊がサウルに激しく降り、サウルも預言者と同じように共に預言する状態になり、サウルは別人のようになるというのです。これらのしるしがサウルに下ったら、サウルはしようと思うことは何でもしなさいといいます。どのような意味なのでしょうか。神がサウルと共にいるということです。
サムエルはサウルに私より先にギルガルに行くようにいいます。やがてサムエルもサウルのもとに行き、焼き尽くすささげものと、和解のささげものをささげましょうといいます。サムエルが行くまで7日間待っていてくださいと願っています。
このようなサウルが王となったしるしを、サムエルは3つ行われると話しています。サウルがサムエルと別れて帰途についた時、神はサウルの心を新たにされるのです。3つのしるしは、その日のうちに起ったといいます。ペリシテ人の守備隊のいる町に入ると、預言者の一団がサウルを迎え、神の霊が激しくサウルに降ります。サウルは預言者のただ中で預言する状態になりました。前からサウルを知る人々は誰でも、預言者と一緒になって預言するのを見て、サウルもまた預言者の仲間というようになります。ことわざにもなったとあります。
サウルは預言状態からさめると聖なる高台に行きます。この時にサウルのおじがサウルたちに「お前たちはどこに行っていたのだ」と聞きますと、サウルは「ろばを捜しに行きましたが、見つからなかったので、サムエルのもとに行きました」と答えます。次にサウルのおじは「サムエルがお前たちに何をいったか話しなさい」と聞きますと、サウルは「ろばが見つかったと教えてくれました」と答えます。この時に、サウルはサムエルが語った王位のことは、おじに話さなかったのです。その時でないとサウルは判断したのでしょう。サムエルはサウルに油を注ぎ、イスラエルの王としました。そのサウルのために、王となったしるしとして3つのことをいいます。そのようにして、王となったことを知らせようとしたのです。このしるしを見て、私は聖霊降臨節(ペンテコステ)を思い出します。
使徒2:1~4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
イエス様の弟子たちに聖霊が降り、イエス・キリストの福音を理解することができるようになったのです。そして、ここに教会が誕生しました。聖書の中にはいろいろなしるしがあります。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サムエルがサウルに油を注ぎ、イスラエルの王としました。そのことをサウルに理解させるために、サムエルは3つのしるしがあることを伝え、その通りになっていきます。その3つのしるしによって、よりはっきりとその意味の深さを語っているのです。私たちにとってのしるしとは何でしょうか。それは、イエス・キリストの十字架そのものです。感謝です。この感謝をイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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