5月28日の祈祷会の内容です。

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祈祷会  サムエル記上10:17~27「神が人々の声を聞く理由」  2025.5.28

 サムエル記は、イスラエルの歩みの中で、神政政治から王政政治に変わっていくことが書かれてあります。それまでは祭司や士師が神の声を聞いて、イスラエルの人々を導いていました。イスラエルの人々の歩みは、周りの民族との戦いの連続です。敵との戦いの中で、敵は王が軍の指導者でした。その様子を見ていたイスラエルの人々は自分たちにも軍を導いてくれる王を求めるようになっていきました。イスラエルの人々が王を求める時がサムエルの時にやって来たのです。そのきっかけとなったのが、サムエル自身の問題でした。サムエルは士師として素晴らしい働きをしていましたが、高齢になってきました。そして、サムエルの息子たちが後を継ぐことになっていくのですが、悪いことをしていました。これは人々によって先に希望を持つことができない状況を生んだわけです。

 イスラエルの人々が神に、自分たちの王を求めることは、サムエルの目に悪と思いました。それは、今まで自分たちを導いてくださった神を捨てて、自分たちの願う王を求めることだからです。神もそのような思いでした。振り返れば、イスラエルの人々は出エジプトからサムエルの時代まで、ずっと神を捨てて、偶像を求めていたということができるでしょう。その流れからいえば、人々が王を求める声を聞かないということになるはずでした。しかし、神はサムエルに人々の声を聞くようにと促していきます。その時に、王の権能をはっきりと伝えるようにといいます。王の権能、簡単にいえば、人々は王の奴隷となるということです。そのことを聞いても、人々は王を求めるのです。

 サムエル記は、イスラエルの最初の王が誕生していきます。それがサウルです。この時に大切なことは、神ご自身がサウルをイスラエルの王としたことです。サウルの特徴としては、少数のベニヤミン族であること、また身体的特徴として美しい若者で、誰よりも背が高かったのです。人の目に目立つ存在であるといえます。10章の初めに、サムエルはサウルに油を注いで王とします。ただ、それは1対1で、秘密裏に行われたと思われます。10章の前半では、サウルが王となったことを3つのしるしで、知らせています。

 そして、今日の10章の後半になりますが、サムエルはイスラエルの人々をミツバに集めます。サムエルは「イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしはあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国から救い出した。しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたわたしを退けて、我らの上に王を立ててくださいと願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに、わたしの前に出なさい」と、神の言葉を伝えます。サムエルは、ここで新しい王の誕生をくじ引きで決めようとしています。先にいったように、すでにサムエルはサウルに油を注いで王としてしまったのです。このすべての人々の前でのくじ引きは、新しい王の誕生を選ぶためのセレモニーのように見えます。このようなことが必要だったのでしょう。イスラエルの人々の前に、新しい王の誕生をくじ引きで決めることによって、神が新しい王を選んだことを思わせるためです。

 くじ引きの結果として、ベニヤミン族が選ばれ、次のくじ引きで、マトリの氏族が選ばれ、最後のくじ引きで、サウルが選ばれました。この時に、人々はサウルを捜しましたが、見つかりませんでした。そこで、神に聞きますと、「サウルは荷物の間に隠れている」と答えます。人々は走って行き、そこからサウルを連れて来ました。サウルが人々の間に立つと、人々の誰よりも肩から上の分だけ背が高かったのです。サムエルは人々全体に「見るがいい。主が選ばれたこの人を、民の内で彼に及ぶ者はいない」といいました。人々は全員で喜び叫んで「王様、万歳」といったのです。

 この時に、サムエルは人々に王の権能について話し、それを書き記して主の前に納めるのです。王の権能については、8:11~18に書かれてあります。それをまとめると、人々は王の奴隷となるということです。サムエルが人々の前で、王の権能について書き記したというのは、王の働きに制限を設けるようなものです。王の独裁を許さず、イスラエルの真の王は、神であることを確認することになっていくものです。

 それから、サムエルは人々をそれぞれの家に帰しました。サウルも自分の家に帰って行きました。神に心を動かされた勇士たちは、サウルに従いました。しかし、ならず者たちは「こんな男に我々が救えるか」といい合って、サウルを侮り、贈り物を持って行きませんでした。サウルは実際に王としての実力を発揮することが求められていくのでしょう。サウルは何もいいませんでした。まだ、その時ではないと感じたからでしょうか。この後、11章で、サウルはアンモン人との戦いに勝利して、人々の指示を受けることになっていきます。

 神は、人々の王を立てて欲しいと欲求に、本音では反対しながらも、実際はそれを承認し、サムエルにサウルに油を注いで王にするようにと導いていきました。神はどのような思いで、このようなことをするのでしょうか。神はどのような時でも、イスラエルの人々と共にいてくださるのです。人々の罪を受け止めていこうとされています。王を立てることがどのようなことか、王の権能を語ることによって、注意を促し、共に歩もうとされています。サウルを王と立てていきますが、今後、サウルが神に反抗し、離れていき、悲しい最期を迎えるのですが、そのことも受け止めて、共に歩もうとされます。最後には、人間の罪を受け止めていきます。そして、その人間の罪の解決のために、神の子イエス・キリストを人間の世界に送り、十字架によって、罪の解決をしてくださるのです。この神の思いを受け止めていきたいと願います。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。神が、イスラエルの人々の要求に答えて王を立てたこと、また、新しい王としてサウルを選ばれたこと、神の意志に反するようなことにも関わらずに、答えていくことには、神がイスラエルの人々と共にあることを示しているのでしょうか。神の愛の深さをより知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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