祈祷会 サムエル記上13章「サムエルとサウルのそれぞれの思い」 2025.6.18
イスラエルの最初の王として選ばれたサウル、初期はとてもいい王として歩んでいました。神の前に謙遜であり、忠実に歩んでいました。しかし、この13章から、サウルの王としての歩みが変っていきます。その変化を見ていくととなります。
サムエル記上10:8
わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。
この内容は、サムエルがサウルに油を注ぎ、王としました。次に王に選ばれたことを3つのしるしで示しています。その最後に、サムエルがサウルにいった言葉です。この言葉をサウルはどのように受け止めたのでしょうか。それが今日の聖書の箇所のキーワードになります。
サウルが王となって1年で、イスラエル全体の王となりました。2年目に、サウルはイスラエルの中から3000人をえりすぐっています。そのうちに2000人を自分のもとに、他の1000人を息子のヨナタンのもとに置きました。ヨナタンは、ゲバに配置されたペリシテ人の守備隊を打ち破りました。このことでイスラエルは、ペリシテ人の憎しみをかい、戦いを仕掛けてくることになっていきます。イスラエルの兵はギルガルにいるサウルのもとに呼び集められていきます。
ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結します。その戦車は3万、騎兵は6千、兵士は海辺の砂のように多かったのです。イスラエルの3千に比べて圧倒的な戦力です。イスラエルの人々は、自分たちに苦境に陥り、1人1人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、井戸などに身を隠します。ヨルダン川を渡って逃げ延びた者もありました。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていました。戦う前から勝敗ははっきりしていました。
上の聖句のようにサウルは、サムエルが命じたように7日間待ちました。しかし、サムエルはギルガルに来なかったというのです。ここで、サムエルはサウルとの約束を破ったことになります。兵はサウルのもとから散り始めていきます。サウルは焼き尽くすささげものをささげてしまいました。その時に、サムエルが到着しました。サウルはサムエルに挨拶しようと迎え出ました。サムエルは「あなたは何をしたのか」と問います。サウルは「兵士が私から離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来て下さらない。しかもペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍が、ギルガルにいる私に向かって攻め下ろうとしています。私はまだ主に懇願していないと思ったので、私はあえて焼き尽くすささげものをささげました」と答えます。
サムエルは「あなたは愚かなことをした。神が与えてくださった戒めを守っていれば、神はあなたの王権をイスラエルの上に、いつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。神は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる。神が命じられたことをあなたが守らなかったからだ」といいます。サムエルはギルガルからベニヤミンのギブアに帰ってしまいます。
サウルは自分のもとにいた兵士の数を数えます。600人でした。ペリシテ軍は3隊に分かれて出てきます。さて、イスラエルですが、どこにも鍛冶屋はいなかったとあります。ペリシテ人はヘブライ人に剣や槍をつくらせてはいけないと考えたらとあります。そして、イスラエル人が鋤や鎌を研いでもらうためにはペリシテ人にお願いするしかなかったのです。鋤や鍬、三つまたの矛や斧の研ぐこと、突き棒の修理などもそうでした。このようなわけで、戦いの日にも剣や槍を持っているのはサウルとその子ヨナタンだけだったというのです。兵士は誰も剣や槍を持っていなかったということ、戦いにならないと思いました。それでも戦いになっていくのです。戦いの様子は次の章になっていきます。
この13章で問題になっているのは、サウルが焼き尽くすささげものをささげたことです。本来ならば、祭司であるサムエルがすべきでした。しかし、サウルには待っていることのできない状況がありました。まず、サムエルが7日目に来なかったということです。そして、自分の軍は、ペリシテ軍の圧倒的な戦力を前におののき、多くの兵士が逃げて行ってしまっていたということです。サウルにしてみれば、今自分ができることは神に焼き尽くすささげものをささげ、助けを求めることだけでした。仕方なく、ささげてしまったということができるでしょう。一方で、サムエルにしてみれば、神に焼き尽くすささげものをすることができるのは、祭司である自分だけであるという思いがあったのです。サウルか、サムエルか、どちらが正しいのでしょう。その後の聖書の流れを見ていきますと、サウルの悪が問われていっています。サウルは、今回の行為によって、神からもサムエルからも見捨てられていきます。一方で、サムエルの遅刻は問われていません。この点をどのように考えればいいのでしょうか。神は前に、イスラエルが王を求めたことを許し、神ご自身がサウルを王として選んだことも忘れてはいけないと思います。聖書を読みながら、神の思いはどこにあるのかを問いながら、歩むことが求められています。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サウルの思い、サムエルの思いと見てきました。どのようなことがあなたの思いなのかを考えてしまいます。私たちには分からないことがあります。どうか、少しでもあなたの思いを受け止めることができる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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