祈祷会 サムエル記上22章「サウルから逃げるダビデ」 2025.10.8
ダビデはサウル王から命を狙われて逃げていきます。ダビデはまず、ノブの祭司アヒメレクのもとに行きました。そこで、パンである食糧と武器であるゴリアトの剣を手にしていきます。その様子を、サウルの家臣の1人が主の御前に留められていました。名をドエグというエドム人で、サウルに属する牧者の強者でした。このドエグが後で、恐ろしいことを行います。更に、ダビデはサウルの手から逃れ、敵であるペリシテ人の地に逃げていきます。ガドの王アキシュのもとです。アキシュの家臣たちは、すぐにダビデだと気づきました。このままだと殺されるかもしれないと感じたダビデは、人々の前に変わったふるまいをしていきます。ペリシテ人に捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりしました。このようにしてダビデはペリシテ人の手から逃れることができたのです。
ダビデは、次にアドラムの洞窟に難を避けました。それを聞いたダビデの兄弟や父の家の者は皆、ダビデのもとに下って来るのです。また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆、ダビデのもとに集まって来ました。ダビデは彼らの頭領となり、400人が集まったのです。ダビデはモアブのミツパに行き、モアブの王に「神がわたしをどのようになさるのかを分かるまで、わたしの父母をあなたのもとに行かせてください」とお願いしています。モアブの王に託されたダビデの両親は、ダビデが要塞に立てこもっている間、モアブの王のもとに留まっています。ダビデは、自分の両親をモアブ王に託するのです。それほど厳しい状況だったのです。
次に預言者ガドが「要害に留まらず、ユダの地に出て行け」といったので、ダビデはハレトの地に移っていきました。サウルはダビデの行動を知って、手に槍を持って出かけて行きます。サウルはある木陰に座っていました。サウルの家臣は皆、傍らに立っていました。サウルは家臣に「ベニヤミンの子らよ、聞くがよい。エッサイの子が、お前たち皆に畑やぶどう畑を与え、皆を千人隊の長や百人隊の長にするだろうか。お前たちは皆、一団となってわたしに背き、わたしの息子とエッサイの子が契約を結んでもわたしの耳に入れない。息子がわたしの僕をわたしに刃向かわせ、今日のようにわたしをねらわせても、憂慮もしないし、わたしの耳に入れもしない」といいました。このサウルの言葉に家臣たちは反応しなかったのでしょう。その時に、サウルの家臣の側にいたエドム人ドエグが「エッサイの子が、ノブにいるアヒメレクの所に来たのを見ました。アヒメレクはダビデのために主に託宣を求め、食糧を渡し、ペリシテ人ゴリアトの剣を与えました」と告げるのです。
そのドエグの言葉を受けて、サウルは祭司アヒメレクとノブで祭司職にある彼の父の家の者をすべて呼び出しました。アヒメレクたちはサウルのもとに来ました。サウルは「何故、お前はエッサイの子と組んでわたしに背き、彼にパンや剣を与え、神に託宣を求めてやり、今日のようにわたしに刃向かわせ、わたしを狙うようなことをしたのか」と厳しくいいました。アヒメレクは「あなたの家臣の中に、ダビデほど忠実な者がいるでしょうか。ダビデは王様の婿、近衛の長、あなたの家で重んじられている者ではありませんか。王様、僕と父の家の者に罪をきせないでください。僕は何も知らなかったのです」と答えると、サウルは「アヒメレクよ、お前も父の家の者も皆、死罪だ」といい、傍らに立っていた近衛兵に「行って主の祭司たちを殺せ。彼らもダビデに味方し、ダビデが逃亡中なのを知りながら、わたしの耳に入れなかったのだ」と命じます。けれど、王の家臣は、その手を下して、主の祭司を討とうとはしなかったのです。家臣たちはサウル王よりも主の祭司を重んじたということになります。
そうするとサウルはドエグに「お前が行って祭司らを討て」と命じたので、ドエグは行って祭司らを討つのです。この日に祭司85人が殺されました。また祭司の町ノブを剣で撃ち、男も女も、子どもも乳飲み子も、牛もろばも羊も剣にかけるのです。ドエグはエドム人なので、主の祭司らとその町の人々を討つことに何の躊躇もなかったのです。しかし、サウルは主の祭司らを殺すことに何も思わないほどに神を恐れなくなってしまっていたのです。
アヒメレクの家で息子が1人、難を免れることができました。アビアタルという名で、ダビデのもとに逃れて来ました。アビアタルはダビデに、サウルが主の祭司たちを殺したことを伝えました。ダビデはアビアタルに「あの日、わたしはあの場に居合わせたエドム人ドエグが必ずサウルに報告するだろうと、気づいていた。わたしがあなたの父上の家の者すべての命を奪わせてしまったのだ。わたしのもとに留まっていなさい。恐れることはない。わたしの命を狙う者はあなたの命も狙う。わたしのもとにいれば、あなたは安全だ」と伝えています。逃亡中のダビデは、サウルの手から祭司らの命を守ることができなかったのを詫びています。
逃げているダビデ、ダビデを追い殺そうとしているサウル。ダビデはいつ、サウルの手が自分に及ぶかと危機感を感じながら逃げて行きます。サウルは、ダビデを殺すだけが目的になり、もはや何も分からない状態になっているのです。主の祭司らを殺すということにも、何の恐れも感じていません。サウルはいつも恐れの中にあったのでしょうか。でも、祭司の中で1人アビアタルが生き延びたのは、本当に良かったことでした。イスラエルの中に祭司が1人でもいるということです。人の歩みは悲しいことが繰り返し起っています。人の罪を旧約聖書は、私たちに示しています。人の罪を見ることは辛いことですが、避けることはできないのです。イエス様の十字架につながっているからです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サウルの恐れ、ダビデの恐れ、いろいろな恐れがあります。サウルは神を忘れた恐れです。ダビデの恐れは、それでも神の守りを信じている恐れです。サウルとダビデの歩みを通して、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。神の導きを祈るのです。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


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