祈祷会 サムエル記上23章「ダビデを守る神」 2025.10.15
イスラエルの王サウルは、自分の地位を守るために、ダビデの命を狙い続けます。ダビデは、サウルのもとから逃げ出し、逃亡生活を続けていきます。サウルはどのような思いにあったのでしょうか。ダビデはどのような思いにあったのでしょうか。両者の思いを考えながら読んでいきたいと思います。
ペリシテ人がケイラを襲い、麦打ち場を略奪しているという知らせがダビデのもとにありました。本来なら、サウルに来るべきなのにどうしてダビデなのだろうと思います。ケイラの人々の期待がサウルではなく、ダビデのあったのかと想像します。ダビデはすぐに行動しないで、主に託宣を求めています。「行って、このペリシテ人を討つべきでしょうか」と。主はダビデに「行け、ペリシテ人を討って、ケイラを救え」と告げました。しかし、ダビデの兵は「私たちはここユダにいて、サウルを恐れているのに、ケイラまで行ってペリシテ人と相対したらどうなるのでしょう」と不安にいいます。ダビデは再び主に託宣を求めます。主は答えて「立て、ケイラに下って行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す」といいました。ダビデとその兵はケイラに行って、ペリシテ人と戦い、その家畜を奪い、大打撃を与え、ケイラの住民を救いました。
ダビデがケイラに来たと知ったサウルは「神がダビデを私の手に渡されたのだ。ダビデは扉とかんぬきのある町に入って、自分を閉じ込めてしまったのだ」といいました。サウルは兵士全員を戦いに向けて招集し、ケイラに下ってダビデとその兵を包囲しようとしました。ダビデはサウルが自分に危害を加えようとしているのを知って、祭司アビアタルに、エフォドを持ってくるように頼みました。ダビデは主に「サウルがケイラに進んで来て、私のゆえにこの町を滅ぼそうとしているのを知りました。ケイラの有力者は、サウルに私を渡すでしょうか。サウルはケイラに下って来るのでしょうか」と尋ねます。主は「サウルは下って来る。ケイラの有力者はサウルに引き渡す」と答えました。ペリシテ人に襲われたケイラの町を助けたのに、今度はサウルのゆえに、裏切られてしまうという悲しい現実が起っています。ダビデとその兵は立ち上がって、ケイラを去り、あちこちをさまようのです。
サウルはダビデがケイラを去ったことを聞いて、追うのをやめました。その後、サウルは絶えまなくダビデを狙いましたが、神はダビデをサウルの手に渡すことはしませんでした。ジフの荒れ野に留まっていたダビデは、サウルが自分の命を狙って出陣したことを知ります。その時、サウルの子ヨナタンがダビデのもとに来て、神に頼るようにダビデを励ましていきます。更に、ヨナタンは「恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただ。私はあなたの次に立つ者となるだろう。父サウルもそのことを知っている」と告げて、契約を結んでいきます。これが、ダビデとヨナタンの最後の場面となっていきます。
ジフの人々はサウルに報告して「ダビデは我々のもとに隠れており、ある要害にいます。王が下って行くことをお望むなら、今おいでください。王の手にダビデを引き渡すのは我々の仕事です」と答えます。サウルはジフの人々に感謝して「ダビデが隠れた場所と徹底的に調べ上げて、確かな情報を持って来てくれれば、あなたたちと共に出て行こう」といいます。ジフの人々はサウルに先立って戻って行きました。
ダビデとその兵はアラバのマオンの荒れ野にいました。サウルとその兵はダビデを狙って出て来ましたが、ダビデはその知らせを聞くと、マオンの荒れ野の岩場に行き、そこに留まりました。サウルはそのことを聞き込み、マオンの荒れ野にダビデを追跡しました。サウルは山の片側に行き、ダビデとその兵は山の反対側に行きました。ダビデはサウルを引き離そうと急ぎましたが、サウルとその兵は、ダビデとその兵を捕らえようと、周囲から迫って来ました。ダビデにとってとても危機的な状況になっていたのです。
その時、使者がサウルのもとに来て、「急いでお帰り下さい。ペリシテ人が国に侵入しました」といいました。サウルはダビデを追うことをやめて、ペリシテ人の方に向かって行きました。ダビデはペリシテ人に助けられたようなものです。そのため、この場所は「分かれの岩」と呼ばれているということです。ダビデにとってすれば、命拾いしたのです。サウルにしてみれば、もう少しでダビデの命を狙うことができたのにという思いでしょう。
今日の聖書の中心的な内容は「サウルは絶えまなくダビデを狙ったが、神は彼をサウルの手に渡されなかった」(23:14b)です。ダビデは逃亡生活の中で、神に頼ることを学んでいったのです。何かを起す前に、神に祈り、御心を問うています。逆にサウルは、神の守りの中にあるダビデを狙うことができません。それでも、ダビデを狙い続けていきます。サウルの思いはどのようなものなのでしょうか。
私たちも人生の中でいろいろなことが起って来ます。その中で何を支えに生きていけばいいのでしょうか。次のような聖書の箇所があります。これはダビデに通じることでもあると思います。
1コリント10:13
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サウルから逃亡中のダビデの歩みを中心に学んできました。神はダビデをサウルの手から守ると約束されました。その通りに、ダビデはいろいろな危機の中に置かれますが、神からの救いの手が必ずあります。この神の約束を信じて、ダビデは歩んでいくことができたのでしょう。私たちも人生の困難の中で、神の言葉を支えとして歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


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