祈祷会 サムエル記上25:1~22「ダビデの弱さ」 2025.10.29
イスラエルの王サウルは、自分の地位を脅かすダビデの存在を消そうとして、命を狙っていきます。ダビデは逃げて、サウルは追いかけていくという流れが続いていきます。ある洞窟にダビデとその兵が中に入って隠れていました。そこにサウルが用を足すために1人で入って来たのです。ダビデにすれば、自分の命を狙うサウルを殺すチャンスがやって来ました。でも、ダビデはサウルが、主に油を注がれた方だといって殺すことはしなかったです。ダビデにとっては何よりも主のことが大切だったのです。
今日の25章に最初に、サムエルの死が書いてあります。イスラエルの人々は集まって、サムエルの死を悼み、ラマにある彼の家に葬りました。ダビデは立ってパランの荒れ野に下るのです。サムエルの死は、ダビデにとっても辛いものとなっていきます。自分に油を注いだサムエルがいなくなることは、大きな支えを失ったことになるからです。この25章で、ダビデは大きな罪を犯しそうになります。
ここで1人の男が登場して来ます。マオンに住んでいて、仕事場はカルメルでした。非常に裕福で、羊3000頭、山羊1000匹を持っていました。名をナバルといいます。妻の名をアビガイルといいます。妻は聡明で美しかったが、夫は頑固で行状が悪かったとなっています。ナバルはカルメルで羊の毛を刈っていました。いわゆる収穫の時といいますか、お祝いの時です。
荒れ野にいたダビデは、600人の兵を養うことになっています。これはとても大変なことでした。ダビデとその兵は、ナバルの家畜たちを守っていたのです。ナバルの収穫の時に、ダビデは10人の従者を送って、食糧を求めていくのです。当時は自然とそのような関係になっていたといいます。ナバルの多くの家畜、当然、誰かや野の動物に狙われることもあります。それを守っていたのがダビデとその兵ということになっていたのです。ダビデは10人の従者に、丁寧にナバルに伝えるようにいっていました。従者たちも丁寧にナバルに話していくのです。ところが、ナバルはダビデの儒者たちを侮辱して「ダビデとは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。わたしのパン、わたしの水、それを、毛を刈る者にと準備していた肉を取って素性の知れぬ者に与えろというのか」というのです。
ダビデの従者たちは道を引き返して帰り着くと、ナバルにいわれたままをダビデに報告しました。ダビデは兵に「各自、剣を帯びよ」と命じ、おのおの剣を帯び、ダビデも剣を帯びたのです。400人がダビデに従って進み、200人は荷物のところに留まります。ダビデはナバルとその仲間たちを皆殺しにするつもりでした。ダビデは「荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならないように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善に悪意を持って報いた。明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男でも一人でも残しておくなら、神がこのダビデを罰してくださるように」といっています。
ダビデはサウルの時は、サウルに対しては主が油を注がれた方だといって、自分の命が狙われているにも関わらず、殺すことはしませんでした。ところが、ナバルの行為に対して、激しく怒って、ナバルとそこに属する者たちを皆殺しにするということを考えているのです。これはダビデの弱さということができるでしょう。
ダビデの誤った行為を止めようとする動きも起って来ます。ナバルの1人の従者がナバルの妻アビガイルに「ダビデは、御主人に祝福を述べようと荒れ野から使いをよこしましたのに、御主人は彼らをののしりました。ダビデとその兵は実に親切で、我々が野に出ていて彼らと共に移動した時にも、我々を侮辱したりせず、何かがなくなったこともありません。彼のもとにいて羊を飼っている時はいつも、彼らが昼も夜も我々の防壁の役をしてくれました。御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください。御主人はならず者で、誰も彼に話しかけることができません」と報告します。
アビガイルは急いで、パンを200、ぶどう酒の革袋を2つ、料理された羊5匹、炒り麦5セア、干しぶどう100房、干しいちじくの菓子200取りを何頭かのろばに積み、「案内しなさい。後について行きます」と従者に命じました。彼女は夫ナバルには何もいわないで出かけて行きました。アビガイルが、ろばに乗って山蔭を進んで行くと、向こうからダビデとその兵が進んで来るのに出会うのです。
この後、アビガイルがダビデにたくさんの食糧を届けたことによって、ダビデはナバルとその一族を殺すことをしないで帰ることができたのです。アビガイルの働きがなければ、ダビデは流血の罪を犯すことになってしまいました。ダビデはアビガイルがいっているように「イスラエルの指導者となる時、いわれなく血を流したり、自分の手で復讐したことがつまずきや心の責めとなるようになってしまうことのないように」と、罪を犯すことを避けるようになったのです。ダビデの怒りからくる流血の罪を犯すことがないように導かれたのです。ここでは人間ダビデの弱さが出ている場面です。
あのダビデにも弱さがありました。聖書は人間の罪の深さ、弱さをはっきりと書いています。それは、私たちに人間とは何かを示すためであり、イエス・キリストの十字架の意味を示すためです。自分の罪が分からなければ、イエス様の十字架の意味も分からなくなっていきます。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。ダビデの怒りからくる罪の大きさをみることができました。アビガイルの働きがなければダビデは大きな罪を犯すことになりました。神がアビガイルを用いて、ダビデの罪を犯すことのないように導いてくださったのです。人とは何かをしっかりと聖書から学ぶことができるように導いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがございました。(横山厚志)


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