6月9日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会         レビ記6章「絶えず燃やし続ける」      2021.6.9

 

 祈祷会では、旧約聖書を読んでいます。旧約聖書から、イエス・キリストの十字架の意味をより理解することができるからです。私たちの大切な信仰の書である聖書は、旧約聖書と新約聖書からなっています。私たちは新約聖書を読むことがありますが、旧約聖書はあまり読まない傾向があります。難しい、神は厳しい、戦争のことばかり書かれてあるなど、いろいろな理由があります。でも、新約聖書は、旧約聖書を土台として書かれてあります。だから、旧約聖書を読むことは大切なことです。祈祷会では、私の話の後に、出席者同士でいろいろな話し合いをします。時には聖書の内容から離れることもありますが、それも大切なことです。祈祷会にもっと参加する方が増えてくださるとうれしいです。

 さて、レビ記は、神とイスラエルの人々が契約を結ばれましたが、その内容が書かれてあります。神は、イスラエルの人々と出会う場所として、幕屋を置いてくださいました。また、幕屋に仕える祭司も備えてくださいました。神とイスラエルの人々が出会うことができる幕屋ですが、出会うための条件があります。神は聖なる方であり、人は罪を持っています。そのために、人は神と直接会うことができません。死んでしまうからです。そのためにぎせいのささげものが必要でした。レビ記には、5つのささげものが書かれてあります。レビ記1章~5章までは、イスラエルの人々がいかにささげものをするかが書かれてありました。レビ記6章~7章は、人々のささげものを受け取った祭司がどうすべきかが書かれてあります。

 レビ記6章には、焼き尽くすささげもの、穀物のささげもの、贖罪のささげもののことが書かれてあります。焼き尽くすささげものは、祭壇の炉の上で夜通し、朝まであるようにし、祭壇の火を燃やし続けます。朝、祭司は亜麻布の衣服とズボンを着て、肌を隠し、祭壇の上で燃やしたささげものの燃えカスを祭壇の端にかき寄せ、別の服に着替え、燃えカスを宿営の外の清い場所に運び出します。祭壇の上の火は絶やさず、燃やし続けます。祭司は朝毎に薪をくべ、ささげものを燃やして煙にします。

 アロンやその子らが油を注がれて、祭司の職に任じられた時のささげものは、上等の小麦粉10分の1エファを日毎の穀物のささげものとしてささげます、半分を朝に、残りの半分を夕方にささげます。祭司自身も自分のためにささげるものが必要になっているのです。祭司だから特別にささげなくてもいいと言うことはありません。

 祭司が幕屋にいて、大切な働きをするのですが、人々から受け取ったささげものを祭壇で絶えず、焼くことになります。そのためには、いつも祭壇の上の火を絶えず燃やし続ける必要があります。こう考えると、祭壇の上の火がいつも燃やし続けられている。神とイスラエルの人々の交わりが絶えず行われていると言うことです。

 教会では、絶えず礼拝と祈りがささげられています。日曜日には礼拝、水曜日には祈祷会です。または日々の生活の中で、聖書を読み、神への祈りがなされているのです。この世界が続く限り、神への礼拝、神への祈りがなされていきます。それが途絶えることはありません。今は、教会を通して、神との交わりが続けされています。また、神はいつも私たちと共にしてくださり、一緒に人生の歩みを歩んでくださっています。感謝なことです。

祈り 神よ、祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。日々の生活の中で、自分一人だけではなく、神が一緒に歩んでくださっています。そのことに感謝して、今日の1日も歩んでいきたいと思います。この願いをイエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

一緒に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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