3月4日に祈祷会に内容です。

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祈祷会   サムエル記下6章「神の箱がエルサレムに運ばれる」   2026.3.4

 イスラエルの最初の王サウルが死んで、しばらくはサウル家とダビデ家の争いが続いていましたが、サウル家のイシュ・ボシェト王とアブネル将軍が死んで、サウル家は弱くなり、ダビデがユダとイスラエルの王となりました。そして、エルサレムに住んでいたエブス人を追い出し、そこにダビデの町をつくったのです。これが神の都エルサレムとなっていきます。ダビデはそのエルサレムに神の箱を運び上げようとします。すでにエルサレムにはダビデのために王宮がティルスの王ヒラムの働きによって建てられていました。そこに神の箱を運び入れるということは、エルサレムが政治的にも宗教的にもイスラエル全体の中心地であることを示すことになるのです。

 神の箱は、モーセによる出エジプトの時代、荒れ野の旅の期間に、神のいる場所として幕屋が造られました。荒れ野の旅の期間はいつも幕屋が中心に行動していったのです。ヨシュアによってイスラエルの地に住むようになってからはシロに幕屋が置かれていました。イスラエルがペリシテ人との戦いに負けて、一時的にペリシテ人の地にあった時もありました。ペリシテ人の地に神の箱があった時に、その場所で多くの悲しいことが起って、ペリシテ人はイスラエルに神の箱を返しました。その時にキリヤト・エアリムのアビナダブの家に放置されていたのです。しばらくその期間が続いていきました。ダビデは、その神の箱をアビナダブの家からエルサレムに移そうと考えたのです。それは、ダビデ王朝としてゆるぎない土台を築くためでした。エルサレムが政治的な中心地だけでなく、神が共にいること、それは神の箱があることが宗教的な中心地であることを証明するものでした。

 ダビデは、イスラエルの先鋭3万人を集め、神の箱を運ぶのです。神の箱を運ぶことは、個人的なことではなく、国家的な行事をする意味があるためです。彼らは神の箱を運ぶために、新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運ぶ出すのです。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していました。ダビデとイスラエルの人々は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でました。一行がナコンの麦打ち場に差し掛かった時、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえたのです。ウザに対し、主は怒りを発し、その場で彼を討たれたのです。ウザは神の箱の傍らで死んでしまいました。それを見たダビデは、主を恐れ、「どうして、主の箱をわたしのもとに迎えることができるか」といって、ダビデの町エルサレムに移すことを望みませんでした。ダビデは、神の箱をオベド・エドムの家に向かわせたのです。3ケ月間、神の箱はオベド・エドムの家にありました。主は、彼とその家の者一同を祝福されたのです。

 神の箱を運ぶことは、レビ人が運ぶことに決まっていました。それも車ではなくて、レビ人自身が背負って運ぶことになっていたのです。ですから、ここでは律法に違反したから、ウザは神から罰を受けたことになったのです。決められた通りに行えば、このような悲劇は起こらなかったでしょう。神の箱があるゆえにオベド・エドムの家を主が祝福されたことを知ると、ダビデは直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町エルサレムに運び上げます。決められた通りに、神の箱を運んでいきます。主の箱を担ぐ者が6歩進んだ時、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげるのです。主の御前でダビデは力の限りに踊るのです。ダビデは麻のエフェドを着けていました。ダビデとイスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上げました。

 主の箱がダビデの町に着いた時、サウルの娘ミカルは窓越しからこれを見下ろしていたのですが、主の御前で跳ね踊るダビデ王と見て、心の内にさげすんだのです。人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くすささげものと和解のささげものをささげました。それが終ると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、和形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を1つずつ分け与えました。民は全員、自分の家に帰って行ったのです。

 ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルが出迎えて「今日のイスラエルの王は立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように」といいました。ダビデはミカルに「そうだ。お前の父やその家の誰でもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前のいうはしためたちからは、敬われるだろう」と答えます。サウルの娘ミカルは、子を持つことのないままに、死を迎えたとなっています。

 ダビデの町エルサレムに神の箱を移したダビデ、神への信仰をよく見ることができます。その一方で、サウルの娘としてのミカルですが、悲しい歩みをしていると改めて思います。最初はダビデを愛して結婚もしました。父サウルから命を狙われたダビデを助けるのです。父を裏切ってもダビデを守ろうとしています。しかし、ダビデがサウルから逃げている間に、父サウルから強制的に別の男性と結婚させられました。父サウルが死んで、ダビデがイスラエルの実権を持った時に、強制的に結婚させられた男性と無理やり、引き離されて、ダビデと再び結婚させられたのです。ダビデが神の箱がエルサレムに来たことを喜んで、人々の前で裸になって踊ったことをバカにしたことで、子を持つことのないまま死を迎えたとは、本当に悲しい人生だったと私は思います。個人的には、ミカルに同情してしまいます。人はいろいろな歩みをしていきます。思うようにならない人生もあります。ミカルに神の慰めが豊かにありますようにと、私は祈ります。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ダビデがエルサレムに神の箱を移すことができました。これでダビデの町エルサレムはイスラエルの中心的な町となったのです。ダビデは大いに喜び、人々の前で、裸になって踊りました。心から神を賛美しているのです。それを見ていたミカルは、ダビデを複雑な思いで見ていました。いろいろな立場や思いが聖書には出てきます。何が大切なことかを見極めることができる信仰の目を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださってありがとうございました。(横山厚志)

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