3月11日の祈祷会の内容です。

beach during sunset 祈祷会
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祈祷会       サムエル記上7:1~17「ダビデ契約」     2026.3.11

 ダビデは、ユダとイスラエルの王となりました。ダビデの町としてエルサレムを造ったのです。そして、エルサレムをイスラエル王国の中心地としていきます。更に、神の箱をエルサレムに入れたのです。ティルスの王ヒラムによって、ダビデのために王宮までも造られました。ダビデ王は、エルサレムで王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて、ダビデに安らぎを与えてくださったのです。

 ダビデ王は預言者なナタンに「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」といいました。つまり、自分はレバノン杉の王宮に住んでいるが、神の箱は天幕を張ったままの中にある、それはいけない。神の箱もレバノン杉で造った神殿に置かなければならないと考えたのです。それを聞いたナタンはダビデに「心にあることは何でも実行なさるがよいでしょう。主はあなたと共におられます」と答えます。

 しかし、その夜に、預言者ナタンに主の言葉が臨んだのです。主の言葉とは「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこういわれる。あなたがわたしのために住むべき家を建てよというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日まで、家に住まず、天幕、幕屋を住みかとして歩んで来た。わたしは常にイスラエル子らと共に歩んで来たが、その間、イスラエルの誰にも、わたしのためにレバノン杉の家を建てないのかと、いったことはない」というものでした。つまり、神ご自身で、イスラエルの人々に、わたしのためにレバノン杉の家を建てよといったことは一度もないということです。

 更に、主はナタンに「わたしの僕ダビデに告げよ。わたしは牧場の羊の群れかの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには1つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはやおののくことなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠る時、あなたの身から出る子孫に後を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」と。

 ダビデは、自分はレバノン杉でできた王宮に住んでいるが、神の箱は、天幕を張った中に置いたままだから、レバノン杉でできた神殿をつくろうと考えたのです。そのダビデの思いに、主は、ダビデが神殿を建てることはできないとはっきりといいます。逆に、ダビデに対する大いなる祝福を与えるのです。その神の祝福というのがダビデ契約といわれるものです。ダビデが死んだ後、ダビデの子孫に後を継がせ、その王国は揺るぎないものとなるということです。そして、エルサレムに神殿を建てるのは、ダビデの次の王となるソロモンということになります。主はダビデとその子孫を祝福し、その王国をとこしえに堅く据えるというのです。

 主はまたいいます。「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯す時は、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」と。ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のようにダビデに告げたのです。

 ダビデに対する契約ですが、これは聖書全体に関わってくる大きな内容となっています。ダビデとその子孫に対して、その王国は揺るぎないものとするといいます。主の慈しみは、彼らがどんなに罪を犯したとしても変ることはないというのです。私たちは知っています。新約聖書の最初にあるマタイによる福音書ですが、その最初は、イエス・キリストの系図が書かれてあります。マタイ1:1では、アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図となっています。アブラハムはイスラエルの祖です。そして、ダビデから、イエス・キリストにつながっているという内容です。

 このイエス・キリストの系図には、イスラエルの最初の王サウルの名前は入っていません。サウルからは主の慈しみを取り去ったとある通りです。しかし、ダビデはあります。その子ソロモンも入っています。ダビデは罪を犯さなかったでしょうか。ソロモンは罪を犯さなかったでしょうか。いろいろな罪を犯していきます。それでも、このダビデ契約は、主の慈しみはあり続けるというものです。ダビデから、やがて、イエス・キリストと系図としてつながっていくのです。今、教会暦は受難節に入っています。イエス・キリストが十字架の道を歩んでくださっています。イエス・キリストの十字架は、私たちのすべての罪そのものです。私たちは神に対して、罪を犯し続けています。その罪を赦すために、イエス・キリストが十字架の道を歩んでくださっているのです。ここにダビデ契約の意味があります。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださってありがとうございます。ダビデ契約について学びました。あなたはダビデに対して、ダビデとその子孫に祝福を与えてくださいました。神の恵みと慈しみはとこしえに与えられるというものです。それが、イエス・キリストにつながっていることを知りました。主の慈しみであるイエス・キリストの十字架の道、神の愛を知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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