6月30日の祈祷会の内容です。

trees near body of water 祈祷会
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祈祷会     レビ記9章「大祭司によるささげものの初執行」    2021.6.30

 神はイスラエルの人々と契約を結ばれました。レビ記には、その契約の内容が書かれてあります。神はイスラエルの人々と出会う場所として幕屋をつくるように命じました。その幕屋に仕える者として祭司を置かれたのです。レビ記8章では祭司の聖別の任職式が1週間かけて行われました。レビ記9章では、任職された大祭司アロンによって、幕屋での礼拝がスタートしました。ここで大切なのは、祭司がモーセを通して語られた神の言葉をそのまま正確に実行することでした。その祭司の正しい執行によって、神は祝福の火をその応答としてくださるのです。

 7日間の祭司の任職式を終えるとモーセはアロンとその子らに、贖罪のささげもの、焼き尽くすささげもの、和解のささげもの、穀物のささげものをささげるように命じます。これまで、ささげものはモーセによってなされていましたが、今や、アロンとその子らによって行われるようになっていきます。彼らは祭壇に近づき、まず自分のために(レビ記9:8~14)、民のために(レビ記9:15~21)、贖罪のささげもの、焼き尽くすささげもの、和解のささげものをささげています。

 その結果、主の栄光が民全体に現れ、主の前から火が出て来て、祭壇の上の焼き尽くすささげものやその脂肪を焼き尽くしましたので、民はこれを見て、喜びの声をあげ、ひれ伏しました。

 祭司の役割は、神と人とをつなぐことです。旧約では、人は直接神と向き合うことはできませんでした。祭司を通して、神とつながることができるのです。その意味では、祭司の役割はとても大切です。その祭司ですが、神から選ばれたとはいえ、人とあり、罪人です。アロンとその子らは祭司として働くために、祭司としての任職式を1週間に渡って受けました。その時もですが、まず祭司として神に近づくために、自分の罪の贖いが必要だったのです。自分の罪の贖いをして、民の罪の贖いをすることができるようになるのです。

 それでは、新約聖書では、これがどのようになっていくのでしょうか。

ヘブライ7:23~28

23また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。 24しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。 25それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。

26このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。 27この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。 28律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

 このヘブライ書より、大祭司として、神の子であるイエス・キリストが立てられたことが分かります。大祭司イエス・キリストは、罪がなく、完全な贖いを行うことができたのです。イエス・キリストは永遠の生きておられ、変わることがない大祭司として、私たちのために働いてくださいます。罪のないイエス・キリストが十字架について死んでくださったこと、それは私たちのすべての罪の贖いをしてくださったということです。イエス・キリストの十字架は完全な罪の贖いであり、これ以上、罪の贖いを神は求めることはありません。もうすべての罪は赦されているのです。私たちはその罪の赦しを信じることが大切です。

祈り 神よ、レビ記の学びに感謝します。この学びを通して、イエス・キリストの十字架の意味、完全な罪の贖いについて知ることができました。レビ記にある、人はどのようにして神の前に立つことができるのかをより丁寧に見ることによって、神はわたしたちの救いについて、丁寧に準備され、実現されているかを知ることができています。神はいかに私たちを深く愛してくださっているのかが分かります。感謝です。これらの感謝を、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、感謝です。(横山厚志)

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