祈祷会 サムエル記下18:1~18「ヨアブの行動から」 2026.7.15
ダビデは、息子アブサロムと戦うことになります。アブサロムはヨアブに代ってアマサを軍の司令官としました。ヨアブとアマサは母同士が姉妹という関係になります。関係の近い者同士が戦うことになっていきます。ダビデは、彼に従う兵を調べます。千人隊長と百人隊長を任命します。次に、ダビデは兵士を3つの部隊に分けます。ヨアブの指揮下、ヨアブの兄弟アビシャイの指揮下、ガド人イタイの指揮下にそれぞれおきます。ペリシテ人であるガド人イタイが指揮をすることは不思議な思いがします。
ダビデは兵士に「わたしもお前たちと共に出陣する」と告げます。しかし、兵士は「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出しても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかし、あなたは我々の1万人にも等しい方です。今は町に留まり、町から我々を助けてくださる方がよいのです」と答えます。ダビデは「わたしはお前たちの目に良いと映ることをしよう」といって、町の城門の傍らに立ち、兵士は皆、百人隊、千人隊となって出て行きました。ダビデは指揮官であるヨアブ、アビシャイ、イタイに「若者アブサロムを手荒に扱わないでくれ」と命じるのです。兵士は皆、アブサロムについてダビデが将軍たちに命じることを聞いています。
兵士たちはイスラエル軍と戦うために野に出て行きました。戦いはエフライムの森で起り、イスラエル軍はそこでダビデの家臣に敗れるのです。大敗北で、その日2万人を失いました。戦いはその全面に広がり、その日密林の餌食になった者は、剣が餌食した者よりも多かったのです。
アブサロムがダビデの家臣に出会った時、らばに乗っていましたが、らばが樫の大木のからまりあった枝の下を通ったので、頭がその木にひっかかり、宙づりになりました。乗っていたらばはそのまま走り去ったのです。兵の1人が「アブサロムが樫の木に宙づりになっている」を見て、ヨアブに知らせます。ヨアブはその兵に「見たなら、なぜその場で撃ち落とさなかったのか。銀10枚と皮帯1本を与えただろうに」といいます。その兵は「たとえ、この手のひらに銀千枚の重みを感じるとしても、王子アブサロムに、この手をかけたりはしません。ダビデ王があなたとアビシャイ、イタイに、若者アブサロムを守れ、と命じられたのを我々は耳にしました。仮に、わたしが彼の命を奪っても、それを偽ろうとしても、王には何一つ隠せません。あなたもわたしを非とする側に立つでしょう」と答えます。
ヨアブは「それなら、お前に期待しない」といいます。アブサロムは樫の木にひっかかったまま、まだ生きていました。ヨアブは棒を3本手に取り、アブサロムの心臓に突き刺します。ヨアブの武器を持つ従卒10人が取り囲んでアブサロムを打ち、とどめを刺しました。ヨアブは角笛を吹いて、兵士を止めたので、イスラエル軍の追跡をやめて戻って来ました。ヨアブたちは、アブサロムを降ろし、森の中の大穴に投げ込み、その上に石を積み上げて非常に大きな塚を作りました。イスラエルの全軍はそれぞれの天幕に逃げ帰りました。アブサロムは生前、王の谷に自分のための石柱を立てていたのです。跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思ったからで、この石柱に自分の名前を付けていました。アブサロムの碑と呼ばれているということです。
ダビデとその息子アブサロムの争いが、ダビデ軍とイスラエル軍との戦いに発展していきました。親子の争いが国の中で内戦状態に陥ってしまっています。更に、ダビデは、アブサロムのイスラエル軍との戦いの前に、味方の3人の将軍に、息子アブサロムを手荒に扱わないでくれと頼んでいます。敵の大将を守ってくれといっています。このようなダビデの行動は、王にふさわしい行動といえるでしょうか。王としては許されないことです。それでも、ダビデは王として歩むことができていることは一体、どのような意味があるのでしょうか。アブサロムがダビデを裏切る前は、非常に冷たい態度でした。それが、裏切った後は、今までの態度は変り、大切にしようとしています。
そのようなダビデの行動に対して、ヨアブは冷静でした。いや、冷たいといってもいいでしょう。アブサロムが自分の妹タマルを辱めたアムノンを殺して、ゲシュルに逃げた時に、エルサレムに戻る努力をしたのは、ヨアブでした。テコアの女性を使ってまで、そのようにするのです。ヨアブによって、アブサロムは王としてふさわしい人物と思ったので、そのような行動に出たのでしょうか。しかし、ここでアブサロムがダビデ軍に敗北をして逃げている時に、樫の木の枝に頭の髪の毛がからまって宙づりになって逃げられなくなっていた時に、兵士がアブサロムを殺せないといっていた時に、殺したのはヨアブでした。ヨアブにはアブサロムはもうイスラエルの王としてはふさわしくない者として映ったのでしょう。そして、アブサロムが生き残れば、また新たな火種になると判断したからでしょうか。
アブサロムの死に際して、激しく泣き悲しむダビデ、冷静にふるまうヨアブ、様々な人間ドラマが展開されていきます。アブサロムの死に際しては、ダビデの人生の中で大きな危機だったと思います。それでも、神はダビデを愛し、導いていこうとします。人は苦しみの中でこそ、神を求めるのです。私たちはどうでしょうか。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。ダビデとヨアブの歩みを見てきました。それぞれの歩みがあります。1人1人違う歩みです。人の歩みの中で、神は人をどのように導こうとするのでしょうか。神の御心を少しでも知ることができますように導いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


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