7月22日の祈祷会の内容です。

zermatt switzerland winter alps 祈祷会
Photo by Diana Lozovska on Pexels.com

祈祷会      サムエル記下18:19~32「2人からの知らせ」    2026.7.22

 ダビデはその息子アブサロムと戦うことになりました。ダビデとその子アブサロムの争いは、ユダとイスラエル、ダビデ軍とアブサロム軍の戦いとなっていくのです。イスラエルは内戦状態に入っていきます。ダビデ軍が戦いに出て行く時に、ダビデは、戦う将軍たちや兵士たちに、「アブサロムを助けてくれ」と頼みました。そして、エフライムの森で両軍は戦うことになります。戦いの結果はダビデ軍の圧倒的な勝利で終りました。アブサロム軍は2万人が戦死したことになります。アブサロムは逃げて行きます。アブサロムはダビデの家臣と出会いました。アブサロムはらばに乗っていましたが、らばが樫の木の大木のからまりあった枝の下を通ったので、髪の毛がその木にひっかかり、宙づり状態になりました。その様子を見た兵士はヨアブに告げるのです。ヨアブはその兵に「なぜ、アブサロムを殺さなかったのか」といいますと、その兵は「ダビデが我々に、アブサロムを助けてくれといった言葉を聞いています。私はアブサロムを殺すことはできません」と答えます。

 そこで、ヨアブはアブサロムのところに行きました。アブサロムはまだ生きていたのです。ヨアブは棒3本手に取り、アブサロムの心臓に突き刺しました。また、ヨアブの武器を持つ従卒10人が取り囲んでアブサロムを打ち、とどめを刺しました。彼らは、アブサロムを降ろし、森の中の大穴に投げ込み、その上に石を積み上げて、非常に大きな塚を作りました。アブサロムは生前、王の谷に自分のための石柱を立てていました。跡継ぎの息子はなく、名が絶えると思ったからでした。この石柱はアブサロムの碑と呼ばれています。ヨアブはダビデの思いを知りながら、アブサロムを殺してしまったのです。

 エルサレムには2人の祭司が残っていました。その1人ツァドクの子アヒマアツは「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます」とヨアブは「今日、お前が知らせるのはよくない。日を改めて報告をするがよい。今日は知らせないでおこう。王の息子が死んだのだ」と答えています。ヨアブがクシュ人に「行って、お前が見た通り王に報告せよ」と命じました。クシュ人はヨアブに一礼して走り去って行きます。アヒマアツは再び、ヨアブに「どんなことになろうと、わたしもクシュ人追って走りたいのです」と願いました。ヨアブは「子よ、お前はどうして走りたいのだ。お前が行って知らせるほどの良い知らせではない」と答えます。しかし、アヒマアツは「どんなことになろうと行きたい」というので、ヨアブは「走るがよい」と答えました。アヒマアツは低地に道を取り、クシュ人を追い越しました。アヒマアツの心理が分かりません。

 ダビデは2つの城門の間に座っていました。城壁の沿った城門の屋根には、見張りが上って目を上げ、男が1人は知って来るのが見えました。見張りは王に呼びかけて知らせました。ダビデは「1人ならば良い知らせをもたらすだろう」といいました。その男が近づいた時、見張りはもう1人の男が走って来るのに気が付き、門衛に呼びかけて「また1人が走って来る者がいます」といいます。ダビデは「これも良い知らせだ」といいます。見張りは最初の男はアヒマアツの走り方のように見えます」と答えます。ダビデは「良い男だ。よい知らせなので来たのだろう」といっています。アヒマアツは「王に平和」と叫び、地にひれ伏して礼をし、「主は主君、王に手を上げる者どもを引き渡してくださいました」と答えます。ダビデが「若者アブサロムは無事か」と尋ねると、アヒマアツは「王様の僕とこの僕とを遣わそうとした時に、大騒ぎが起っているのを見ましたが、何も知りません」と答えますと、ダビデは「脇によって、立っていなさい」と命じたので、アヒマアツは脇に寄り、そこに立ちました。

 そこへクシュ人が到着しました。クシュ人は「王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたを逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました」と報告します。ダビデはクシュ人に「若者アブサロムは無事か」と尋ねますと「王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者は、ことごとく、あの若者のようになりますように」と答えます。分かりにくいですが、つまり、若者アブサロムは死んでしまったということです。ダビデが気になるのは、ダビデ軍の勝利よりも、自分の息子アブサロムが無事でいるかどうかなのです。そのことを知っているアヒマアツは、アブサロムの死を知りながら、答えず、分かりませんと答えています。しかし、クシュ人はそのような配慮は必要なく、そのまま答えています。

 息子アブサロムの死を知ったダビデは、身を震わせ、城門の上の部屋で上って泣きました。ダビデは上りながら「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代って死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ」と泣き叫んでいます。

 ここでダビデには2つの面があります。1つは、王であるということで、2つは、アブサロムの父であるということです。ここで強調されていることは、王の面では、戦いに勝利したことがいわれています。父の面では、息子アブサロムの死を激しく泣いていることです。ダビデは自分の思いや感情を隠すことなく、正直に書いています。どうしてダビデは息子アブサロムの死を悲しんでいるのだろうと思うのです。アブサロムが反逆する前は、ダビデは非常に冷たい態度をとっていました。ダビデはアブサロムと関係は距離を取りながら、冷たい関係でした。それが、反逆し、戦死した後で、このように嘆くのはどうしてだろうと思います。私は正直、理解することができません。ダビデは父としては自分の思いを表現することはできていますが、王としてその地位を失うのではないかという状態にありました。それをヨアブが助けることになります。人の人生の不思議さを感じます。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りとの時を与えてくださり、ありがとうございました。ダビデにとって、とても悲しい自分の敵となったアブサロムがヨアブに殺されてしまいました。ここまで激しく泣くダビデを見たことはありません。父として自分の息子の死を悲しむのは当然でしょう。しかし、ダビデの命を狙っていたアブサロムの死を、ここまで嘆くことはどのようなことなのでしょうか。人生の不可思議さがここにあります。神の知恵によって知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

コメント