祈祷会 サムエル記下21章「3年間の飢饉から起ったこと」 2026.8.26
サムエル記下21章~24章は、ダビデ物語の付録と考えられています。それは、年代順序などがバラバラだからです。
・21:1~14、飢饉とサウルの子孫
ダビデの時代に、3年間続いて飢饉が襲いました。パレスチナでは時々に飢饉が起っています。ダビデは主に聞きますと、「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」と答えました。かつてサウルが犯した罪の結果が、その後にイスラエルに降りかかるということです。ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていたというのです。ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあったのです。ダビデはギブオン人に「あなたたちに何をしたらよいのだろう。どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるのだろうか」と聞きました。ギブオン人は「私たちを滅ぼし尽くし、私たちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を図った男サウル、サウルの子孫の中から7人を私たちに渡してください。私たちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします」といいました。ダビデは「引き渡そう」と答えました。
しかし、ダビデはサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを惜しみました。ダビデはヨナタンの深い友情があって、それに応えるのです。ダビデはアヤの娘リツバとサウルの間に生まれた2人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドニエルとの間に生まれた5人の息子を捕え、ギブオン人の手に渡しました。ギブオン人は彼らを山で主の御前にさらしました。7人は一度に処刑されました。彼らが殺されたのは、刈り入れの初め、大麦の収穫が始まる頃でした。
アヤの娘リツバは粗布を取って岩の上に広げました。収穫の初めの頃から、死者たちに雨が天から降り注ぐまで頃まで(約半年間)、リツバは、昼は空の鳥が死者の上に止まることを、夜は野の獣が襲うことを防いだのです。母としての深い愛情がなせる業です。
サウルの側女、アヤの子リツバのこの行為はダビデに報告されました。ダビデはリツバの行為に報いようとして行動します。ダビデはギレアドのヤベシュの人々のところへ行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を受け取りました。(その遺骨はギレアドのヤベシュの人々がベト・シャンの広場から奪い取って来たもので、ペリシテ人がギルボアでサウルを討った日に、そこにさらしたものでした。)ダビデはそこからサウルの骨とその子ヨナタンの骨を運ぶ、今回さらされた者たちの骨を集め、ベニヤミンの地にあるサウルの父キシュの墓に葬ったのです。この後、神はこの国の祈りに答えて、飢饉が終りました。
・21:15~22、対ペリシテ戦における武勲
ペリシテ人は再びイスラエルと戦ったのです。ダビデは家臣を率いて出陣し、戦いましたが、非常に疲れていました。ラファの子孫の1人イシュビ・ベノブは重い青銅の槍を持ち、新しい帯を付けて、ダビデを討つといいましたが、アビシャイはダビデを助けて、このペリシテ人を打ち殺しました。それ以来、ダビデの家来たちはダビデに「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬように心がけてください」と誓わせました。
その後、ゴブの地で、再びペリシテ人の戦いがありました。この時は、フシャ人シベカイがラファの子孫の1人サフを打ち殺しました。ゴブで、またペリシテ人との戦いがあった時に、エルハナンがガド人ゴリアトを打ち殺しました。別の戦いがガドでもありました。ラファの子孫で、手足の指が6本ずつ、合わせて24本ある巨人が出て来て、イスラエルを辱めたが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を討ち取りました。これら4人はガドにいたラファの子孫で、ダビデとその家臣の手によって倒されたのです。
十戒の第2戒は、次のように書いてあります。(出エジプト記20:4~6)
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うとあります。サウルがギブオン人を殺害した罪で、イスラエルとユダの上に3年間の飢饉が襲ったのです。人の罪と災害がここでつながっています。
また、新約聖書のヨハネによる福音書の9章には、次のような言葉が書かれてあります。
(ヨハネ9:1~3)
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
ある人が生まれつき目が見えないのは、その人の両親が罪を犯したから、これは因果応報の考えですが、いずれの時代でもあるものです。サウルが犯した罪を、その後、その子孫たちが罪を償うことになっていく、この因果応報の考えを打ち砕いたのが、イエス様の教えです。この事をどのように考えていけばいいのでしょうか。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サウルの犯した罪をその子孫が受けなければならないことをみてきました。ダビデの時代に、3年間の飢饉がありました。その飢饉の原因をサウルの犯した罪を理解しているのです。飢饉を逃れるために、サウルの子孫の7人が死ななければなりませんでした。このことをどのように受け止めればいいのでしょうか。神の導きを祈ります。この祈りをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


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