9月29日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会      レビ記20章「死刑に関する規定」    2021.9.29

 神はイスラエルの人々と契約を結ばれました。レビ記は、その契約の内容が書かれてあります。レビ記20章は、死刑に関する規定が書かれてあります。内容的には3つに分けることができます。①モレクの神を信じ、自分の子をモレクにささげることへの禁止、②いとうべき性関係(レビ記18章と重なる。)、③口寄せや霊媒を訪れることの禁止、です。今回は、①と③を取り上げてみます。

①モレクの神を信じ、自分の子をモレクにささげることへの禁止

レビ記20:2~5

自分の子をモレク神にささげる者は、必ず死刑に処せられる。国の民は彼を石で打ち殺す。わたしは、その者にわたしの顔を向け、民の中から断つ。自分の子をモレク神にささげ、わたしの聖所を汚し、わたしの聖なる名を冒瀆したからである。もし、国の民が、自分の子をモレク神にささげる者を黙認し、殺さないならば、わたしがその者と家族に顔を向け、彼および彼に倣ってモレク神を求めて淫行を行うすべての者を民の中から断つ。

 モレクとは、カナン人が信じる神です。豊作や利益を守る神とされています。新生児が生きたままささげられます。その子は王権を継ぐ者の第一子であったといわれています。ささげられる時には太鼓などの大きな音が響きます。その目的は、子どもの泣き声を消すためだったともいわれています。人身御供という考え方です。神に自分の願いを通す時に、最大のささげものであるわが子を差し出すことによって、願いを適えるためです。聖書には、子をささげる例がいくつか書かれています。

列王記上11:7~8

そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

 ダビデの後継者であるソロモンは、最初は、神からの知恵によって、イスラエルの人々のために素晴らしい政治を行っていました。しかし、晩年になると、神から与えられた富や権力を、自分の力で得ることができたと思い、神から離れていきました。そして、多くの外国の妻をめとり、その妻たちが、自分たちの異邦の神々を拝み、子どもをいけにえとしてささげてしまったのです。

列王記下16:3

彼はイスラエルの王たちの道を歩み、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせることさえした。

歴代誌下28:2~4

彼はイスラエルの王たちの道を歩み、その上バアルの神々のために像を鋳て造った。主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、ベン・ヒノムの谷で香をたき、自分の子らに火の中を通らせた。

両方の聖書の箇所は、アハズ王のことをいっています。南ユダの王だったアハズは、イスラエルの神を拝まず、異邦の神々を拝んでいました。その中にモレク神への影響を受け、香をたき、自分の子をささげていることを書いています。

③口寄せや霊媒を訪れることの禁止

 霊媒とは、死者と人とを直接に媒介することができること。口寄せとは、死者の霊を自分のところに呼び、死者の霊の代わりに、その意志などを語ることができることです。

サムエル記上28:5~7.15~16

サウルはペリシテの陣営を見て恐れ、その心はひどくおののいた。サウルは主に託宣を求めたが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。サウルは家臣に命令した。「口寄せのできる女を探してくれ。その女のところに行って尋ねよう。」家臣は答えた。「エン・ドルに口寄せのできる女がいます。」

サムエルはサウルに言った。「なぜわたしを呼び起こし、わたしを煩わすのか。」サウルは言った。「困り果てているのです。ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神はわたしを離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべき事を教えていただくためです。」 サムエルは言った。「なぜわたしに尋ねるのか。主があなたを離れ去り、敵となられたのだ。」

 イスラエルの最初の王だったサウルは、ペリシテ人との戦いの中で、不利な状況にあります。預言者サムエルはすでに死んでしまいました。サウルはその危機に、神に助けを求めますが、何も答えられません。サウルの不信仰によって、神は見放したからです。その時に、サウルは、律法では禁じられていた口寄せを使い、死んだサムエルを呼び、答えを得ようとしています。サムエルの答えは、神がサウルから離れ去ってしまったこと、ペリシテ人に敗れることを語るのです。

 神は、モーセを通し、イスラエルの人々に、異教的な習慣を決して行ってはいけないと強く語っています。この異教的な習慣の中に、モレク神に、自分の子どもをささげることや口寄せを使って、死者を呼び出して、対話することなどがあります。イスラエルの人々は、神の掟や法を守ることによって、幸せに平和に生きることができるのです。しかし、神から離れ、悲しい歴史を歩んでいくことになります。それでも、神はイスラエルの人々と共に歩んでくださるのです。

祈り 神よ、あなたと共に歩むことも意味をレビ記から学ぶことができています。しかし、私たち人間は弱く罪深い者です。それでも、あなたの愛によって、従っていくことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

一緒に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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