10月13日の祈祷会の内容です。

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祈祷会       レビ記22章「聖なるささげものについて」  2021.10.13

わたしはあなたたちの神となるために、エジプトの国からあなたたちを導き出した者である。わたしは主である。(レビ記22:33)

 神はイスラエルの人々と契約を結ばれました。それは、神はイスラエルの人々の神となり、イスラエルの人々は神の民となるということでした。レビ記22章を読んでいきますが、ここには神がイスラエルの人々の神になりたくて、出エジプトということを起したと読みことができると思います。十戒の前文には「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」とあります。イスラエルの人々によって、出エジプトは苦難に満ちた道でした。でも、その苦難の背後には、神の大きな御心があったと考えることができます。その神の御心とは、神ご自身が、イスラエルの人々の神になりたかったのです。

 レビ記21章では、祭司自身が汚れた者であってはならないことが書かれてありました。親族の遺体に触れないこと、遊女となった女性や離縁された女性と結婚してはならないこと、障害がないことなどでした。そして、レビ記22章では、祭司は人々がささげる聖なるささげものを、祭司自身の汚れで汚してはならないことが書かれてあります。聖なるささげものへの取り扱いに注意するのです。

レビ記22:1~9、祭司の汚れ

 祭司自身が汚れていて、人々が用意した聖なるささげものをささげることはできないのです。祭司自身の汚れとは、皮膚病にかかっている者、漏出のある者、死体に触れた者、精の漏出があった者、爬虫類に触れた者、または、死んだ動物や野獣にかみ殺された動物などを食べた者などです。

レビ記22:10~16、祭司の食卓

 聖なるささげものは、祭司自身が食べることができました。しかし、一般人は食べることができませんでした。祭司の家に滞在している者や雇人でもダメでした。でも祭司が金を出して買い取った奴隷や祭司の家で生まれた奴隷は食べることができました。祭司の娘で、一般人と結婚した者は食べることができませんでした。ただし、娘が子のないままやもめになった時や離縁されて家に戻っていた場合は食べることができました。もし、過って聖なるささげものを食べてしまった場合は、それと同じ量の聖なるささげものの他にその値の5分の1を加えて、祭司に渡せば、赦されました。

レビ記22:17~33、神の食物への条件

 神へのささげものは、傷のないものでなければなりませんでした。傷のない牛、羊、山羊です。傷がある内容としては、目がつぶれている、足が折れている、こぶがある、できものや疥癬があるもの、手足の不釣り合いなもの、発育不全なもの、睾丸がつぶれたり破れたりしたもの、引き裂かれたり、切り取られたりしたものなどです。外国人から動物を入手したものは、神へのささげものにしてはならないのでした。

 牛や羊や山羊が生まれた時は、7日間はその母親のもとに置くことがいわれています。動物への配慮ということができるでしょうか。でも、8日後はささげることができるのです。また牛や羊を屠る時、親と子を同じ日に屠ってはならないことが書かれてあります。これも動物への配慮でしょうか。神は繰り返し、わたしの戒めを忠実に守りなさいといいます。あなたたちは聖なる者になりなさいといいます。それは、神ご自身が聖なる者だからです。

 神は、イスラエルの人々の神になりたかったのです。そのために出エジプトという出来事がありました。イスラエルの人々がエジプトで430年間、奴隷として歩んだことです。そのエジプトからの脱出が、レビ記の中で起っています。別な言い方をすれば、神はわたしの神に、あなたの神になりたいのです。そのために、わたしは、あなたはそれぞれの苦しみを通る必要があったのでしょうか。創造主に出会うためには、苦しみが必要なのでしょうか。

祈り 神よ、レビ記の学びに感謝します。イスラエルの人々が出エジプトという大変な苦しみを受けました。でも、それは必要なことだったのでしょう。イスラエルの人々が、創造主であるあなたに出会うためにです。それは、私たちにも当てはまるのでしょうか。それぞれの苦しみを通して、あなたと出会うのでしょうか。あなたの御心を知る知恵を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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