1月19日の祈祷会の内容です。

silhouette photography of group of people jumping during golden time 祈祷会
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祈祷会       民数記5章「神の民としての歩み」      2022.1.19

 民数記1章~4章では、エジプトから約束の地までの行程の基本的なことが書かれてありました。それは、荒れ野の40年の旅になっていくのですが、イスラエルの12部族の配置、レビ人の幕屋における位置と任務が定められたのです。そして、5章は、神の民として歩むための基本的な教えが書かれてあります。

・民数記5:1~4、汚れた者を分離すること

 主はモーセにいわれました。イスラエルの人々のいる宿営に汚れた者を分離することです。汚れた者とはレビ記11章~15章にある重い皮膚病の者、漏出のある者、死体に触れて汚れた者です。男女とも必ず宿営から出しなさいと命じています。なぜなら、イスラエルの人々の宿営には、主がそのただ中に住んでいるからです。

・民数記5:5~10、他者に対する罪のための弁償に関すること

 神の民であるイスラエルの人々が互いに信頼をなくし、一致を危うくするのは小さな罪でもきちんと処理しておかないから生じてきます。イスラエルの人々で、何か人が他人に対して罪を犯すことによって、主を欺き、その人が責めを負うことになるのなら、罪を犯した人は、罪を告白し、完全に賠償し、それに5分の1を追加して損害を受けた人に支払うことになります。損害を受けた人が亡くなって、その賠償を継ぐべき近親者がいない場合は、その賠償は、主のものとなり、祭司が受け取ることになります。同じように、イスラエルの人々が聖なる献げ物として祭司のもとに携えて来る礼物は、すべて祭司のものになるというのです。

・民数記5:11~31、姦淫の疑惑を持たれた妻の判決法

 ある人の妻が、心が迷って、夫を欺き、別の男と性的関係を持ったにも関らず、そのことが夫の目にも触れず、妻が身を汚したことを目撃した証人もいなくて、捕まらなくても、夫が嫉妬にかられて、事実、身を汚した妻に疑いを抱くか、あるいは、妻が身を汚していないのに、夫が嫉妬にかられて、妻に疑いを抱く場合です。(現代では、うそ発見器や誘導尋問や拷問などが考えられますが、それも完全ではありませんが、)夫は妻を祭司のところに連れて行きます。その際に、大麦の粉10分の1エファをねたみのささげものとして携えていきます。祭司は、妻を近寄らせて、主のみ前に立たせて、妻の髪の毛をといて、ねたみのささげものをささげさせ、その一部を焼き、呪いをもたらす苦い水(きよい水に幕屋の床の塵を入れ、呪いを書いた書き物を、この水の中に洗い落とす)を、妻に飲ませます。

 この時に、祭司は妻に「もし、お前が別の男と関係を持ったこともなく、また夫ある身でありながら、心迷い、身を汚したこともなかったら、この苦い水の呪いも免れるだろう。しかし、もしお前が夫ある身でありながら、心迷い身を汚し、夫以外の男に体を許したならば、主がお前の腰を衰えさせ、お前の腹を膨れさせ、民の中で、主がお前を呪いの誓いどおりになさるように」と、呪いの誓いをさせていうのです。この時に妻は「アーメン。アーメン。」といわなければならないのです。

 罪を犯していなければ害は受けず、子どもを宿すことができます。罪を犯していれば害を受け、腹は膨れ、腰はやせ衰えます。このように呪いの水を飲むことによって、実際に隠された罪が明らかになるのかなあと思いますが、実際には、そうしている内に、本人が本当のことを明らかにしてしまうのが真実なのかもしれません。神の前で、真実かどうかを誓うことが、本当のことを語ることになると思います。

 ここは男性中心の考え方です。この民数記が書かれた時代は、このような社会だったと想像します。現代の日本の状況では、妻よりも夫の方が問われてしまうことになるかもしれません。聖書を読み学ぶことは、そのように聖書が書かれた背景を理解することが大切です。そして、今の状況と照らし合わせて考えることがとても大切になっていきます。妻が夫の疑惑を訴えてもいいはずだし、そうなるべきです。男も女も、つまり人間はすべて罪人です。そのことは決して変わることがありません。この人間の罪のために、イエス・キリストは十字架にかかってくださったのですから。

祈り 神よ。共に祈り時を与えてくださり、ありがとうございます。人間の罪について考えさせられます。まず、自分自身をしっかりと見つめることができる、豊かな心を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

一緒に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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