3月17日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会     出エジプト記34章「戒めの再授与」     2021.3.17

 神は、イスラエルの人々を選び、神の民としました。エジプトから導き上り、シナイ山において、契約を結びました。それは、神の律法を与え、神と出会う場所して幕屋を置き、祭司を任命しました。イスラエルの人々は、神の民として、それにふさわしく生きることが求められるのです。イスラエルの人々も、神の民としてふさわしく生きると誓ったのです。しかし、シナイ山において、神がモーセに律法を授けている時に、シナイ山のふもとにいたイスラエルの人々は、モーセは帰って来ないと動揺し、エジプトで拝んでいた金の子牛の像を造り、拝み踊っていました。神とモーセは、イスラエルの人々に対して激しく怒りました。

 神はモーセに対して、十戒の内容が書かれた2枚の石の板を渡していました。それをモーセは、人々が金の子牛の像を拝んでいるのを見て、叩き割ってしまったのです。神とイスラエルの人々の契約の象徴でもあった2枚の石の板が割られてしまった。契約が破棄されたことを意味します。モーセは、神に、イスラエルの人々の罪の赦しを求めます。自分の救いを捨てても、人々の救いを求めているのです。神は、モーセの願いを聞き入れてくださいました。神はモーセに「前と同じ石の板を2枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。」と、言ってくださっているのです。

 神は、イスラエルの人々と、大切な契約を結びました。しかし、イスラエルの人々は、神ではなく、エジプトの金の子牛の像を拝んでしまいました。十戒の第二戒「あなたはいかなる像も造ってはならない。」を犯してしまいました。イスラエルの人々は、その犯した罪によって、神に滅ぼされても仕方がなかったのです。でも、それは神の御心ではありませんでした。神は、イスラエルの人々と再び契約を結ばれると言ってくださっているのです。これが、旧約聖書の中で、とても大切な内容だと思います。神は、イスラエルの人々を愛してくださっています。神は、いったいどのようなお方でしょうか。ここでは、次のように書かれてあります。

出エジプト記34:6~7

主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」

 モーセは、出エジプト記33:18で、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と、神に願っています。神は、このモーセの願いに答えているのです。神は、ご自身のことを、憐み深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守ってくださる。人々の罪と背きと過ちを赦されるお方だと言うのです。その一方で、神は、罰すべき者を罰せずにはおかないお方であり、人の罪を、子、孫に三代、四代までも問われると言うのです。神は正しい方でもあり、愛されるお方でもあります。その両面を言っています。

 この出エジプト記34章で、神は、モーセに対して、イスラエルの人々と再び契約を結んでくださると言っています。あれ程の大きな罪を犯したにも関わらずに、です。これから神は、イスラエルの人々と再契約を結ばれます。そして、約束の地に住んでいる人々と契約を結ばないこと、鋳像の神々を造ってはならいこと、除酵祭、七週の祭り、刈り入れ祭を守ることが求められます。年に3回、イスラエルの男子はすべて、神の前に立つことが求められています。神の3つの祭りを守ることが求められています。

 神は、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記してくださいました。モーセがシナイ山を下った時に、その手には、2枚の掟の板がありました。モーセは、神と語っていた時、自分の顔の肌が光を放っているようになりました。それを見たイスラエルの人々は、恐れて近づくことができませんでした。モーセは、イスラエルの人々に、神が再契約されたことを伝えたのです。さて、これからイスラエルの人々は、神に、どのように答えていくのでしょうか。

祈り 神よ、あなたは、イスラエルの人々を深く愛してくださっています。あれ程の罪にも関わらず、再契約をしてくださいました。あなたの御心がどこにあるのかを、私たちが少しでも知ることができるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                          」アーメン。

共に祈ってくださり、感謝します。主の祝福を祈ります。(横山厚志)

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