3月19日の祈祷会の内容です。

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祈祷会     サムエル記上3章「預言者サムエルの誕生」     2025.3.19

 ハンナの祈りによって誕生したサムエル、生まれた時から、神に一生をささげる者として生まれて来たのです。サムエルの名は、ハンナが神に願って得た子どもなので、サムエル(その名は神)という意味です。サムエルは乳離れするまで、ハンナのもとで健やかに育っていきました。乳離した後で、ハンナはサムエルを連れて、シロの主の家に行き、祭司エリに「わたしはこの子を主に委ねます。この子は生涯、主に委ねられた者です」といって、委ねます。サムエルは祭司エリのもと主に仕える者として歩んでいきます。サムエルは亜麻布を着て、祭司の下働きとして主の御前に仕えていました。母のハンナはサムエルのために、小さな上着を縫い、毎年、夫と一緒に年ごとのいけにえをささげに上って来る時、それを届けます。少年サムエルは主のもとで成長していきます。また、すくすくと育ち、主にも人にも喜ばれる者となっていくのです。

 祭司エリには2人の息子たちがいました。息子たちはならず者で、主を知ろうとしなかったのです。イスラエルの人々が、いけにえをささげるためにやって来る時に、そのささげものの肉を横取りし、祭司のものだとしていました。この罪は、主に対する甚だ大きな罪となっていきます。彼らが主への供え物を軽んじたからです。また、息子たちは臨在の幕屋の入り口で仕えている女性たちとたびたび床を共にしていました。息子たちに悪行を知った祭司エリは、息子たちに「なぜ、そのようなことをするのか。それはいけない。人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。しかし、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう」と諭します。しかし、息子たちは父の声に耳を貸そうとしませんでした。神の人がエリのもとに来て「あなたはなぜ、わたしが命じたいけにえとささげものをわたしが住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしより大事にして、イスラエルの人々がささげるものを取って、自分たちのものとするのか。あなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る」といいます。神の裁きが祭司エリの家に対して語られています。

 そのような中で、神は少年サムエルに呼びかけるのです。少年サムエルは祭司エリのもとで主に仕えていました。その頃、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであったとあります。祭司エリは高齢となって、目がかすんできて、見えなくなっていました。まだ神のともし火は消えていなくて、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていました。ここから神はサムエルを呼ばれます。まず1回目です。主はサムエルを呼ばれます。サムエルは「ここにいます」と答えて、エリのもとに走って行き「お呼びになったので参りました」といいます。エリは「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」といいます。次に2回目です。主は再びサムエルを呼ばれます。サムエルは起きてエリのもとに行き「お呼びになったので参りました」といいます。エリは「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と答えます。サムエルは主を知らなかったとあります。主の言葉はまだサムエルに示されていなかったのです。3回目です。主はサムエルと呼びます。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」といいます。エリは、少年サムエルを呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、主よ、お話ください。僕は聞いていますといいなさい」と話すのです。サムエルは戻って元の場所で寝ます。

 そして、4回目になります。主は来てそこに立たれ、これまでと同じように「サムエルよ」と呼ばれます。サムエルは「どうぞお話ください。僕は聞いております」と答えます。主はサムエルに「わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、エリの家の罪は、いけにえによってもささげものによってもとこしえに贖われることはない」と告げるのです。神の厳しい裁きの言葉が祭司エリの家に語られます。そのことをサムエルは聞くことになりました。サムエルは朝まで眠って、それから主の家の扉を開きます。サムエルは聞いた神の声を得るに告げるのを恐れました。厳しい内容だったからです。

 しかし、エリはサムエルと呼んで「わが子、サムエルよ」といいます。サムエルは「ここにいます」と答えます。エリは「お前に何が語られたのか。わたしに隠してはいけない。お前に語られた言葉を1つでも隠すなら、神が幾重にも罰してくださるように」といいます。サムエルは一部始終を話し、隠し立てをすることはしなかったのです。エリは「それを話されたのは主だ。主が御目に適う通りに行われるように」といいます。サムエルは成長していきました。主は彼と共におられました。その言葉は1つたりとも地に落ちることはなかったのです。イスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼に足る人であることを認めていきます。主はみ言葉をもって、シロでサムエルご自身を示されました。サムエルの言葉はイスラエルのすべての人々に及んでいきます。

 ここまで神はサムエルに呼びかけられたことをみてきました。3回、神はサムエルに語られましたが、サムエル自身はその声が主であることを知りませんでした。エリが気づき、そのことをサムエルに教えて、4回目に、主の声に聞き返すことができました。主がサムエルに最初に語られた言葉は、祭司エリの家に対する罪の指摘と裁きでした。とても厳しい言葉を聞かされたことになります。その主の言葉を、自分の先生である祭司エリに語ることを最初は恐れました。内容からすれば当然の反応です。しかし、その厳しい内容をそのまま語ることをすることが預言者の役割だと、ここで改めて知ることになります。

 旧約聖書には多くの預言者が登場して来ます。預言者の役割は神の言葉を聞いて、それをイスラエルの人々に語ることでした。その神の言葉のほとんどが厳しい言葉だったのです。預言者がその神の言葉を語ることによって、迫害や攻撃や命を落とすことも起っていきました。サムエルも預言者として立っていくことになっていきますが、このような厳しい使命を果たしていくことになっていきます。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サムエルが預言者として立っていくことをみてきました。直接に神の声を聞いたサムエル、その預言の内容は、とても厳しい内容でした。初めは、その内容を話すことを恐れました。しかし、預言者の役割を確認して、話していくのです。預言者として立つことの厳しさを知ることができます。私たちが手にしている聖書は、神の言葉です。神の言葉を書いた人々のことを思います。聖書には神の厳しい言葉を深い愛の言葉があります。感謝です。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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