3月5日の礼拝の内容です。

礼拝

3月5日の礼拝の内容です。讃美歌は、18(1)402(1)405(1)26です。

礼拝説教     マタイ28:16~20「すべての民に福音を伝えなさい」   2023.3.5

 3月に入りました。今日は、3月の初めの日曜日です。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝したいと思います。神のみ言葉をいただいて、よりよい1週間の歩みをしていきたいと願います。

 2週間ほど、日曜日を留守にさせていただきました。2月19日には、桃山教会での礼拝、2月26日には、名古屋北教会の礼拝を守ってきました。桃山教会では、建物としては懐かしい感じのする礼拝堂で、礼拝を守ることができました。名古屋北教会では、約40年ぶりに、礼拝の説教を担当させていただきました。名古屋北教会では、東京神学大学での夏期伝道実習のために行き、説教をしたことを思い出していました。懐かしい思いとそして建物も変り、当時の方々もおられましたが、すでに神のみもとに行かれた方々をいて、不思議な感覚でした。時の流れを感じました。それぞれの場所で、それぞれの教会で日曜日に、礼拝が守られている。当たり前のことですが、それを実感することができましたので感謝なことでした。愛知県の各地に教会があり、日曜日に神を礼拝していること、うれしいことでした。

 私が初めて教会に行ったのが、高校1年生のクリスマスでした。茨城県常陸太田市にある常陸太田キリストの教会でした。私は以前にもいいましたが、教会に行って2日目で、洗礼を受けました。50年とはいいませんが、それくらい前のことです。そして、今は、この瀬戸永泉教会の牧師として、説教する機会を与えられています。当時、茨城県常陸太田市には、キリスト教の教会が、この1つしかありませんでした。近くの日立市に茨城キリスト教学園というのがあり、アメリカからの宣教師が来ていました。自分が住んでいた地域は非常に閉鎖的な地域でした。その地域に、イエス・キリストの福音を伝えて来てくださっていたのです。そのおかげで、私も教会に来ることができて、神を信じることができました。神のみ言葉を語る人がいて、そして、神のみ言葉を聞くことができたのです。アメリカからの宣教師たちに深く感謝しなければいけないなあと思います。

 この瀬戸永泉教会もバラ宣教師たちの働きがあって、この瀬戸の地に、教会が誕生したのでした。これらの宣教師たちは、命がけで、自分たちの一生をかけて、日本へのキリスト教伝道のために働いてくださったのです。そのおかげで、今日の瀬戸永泉教会の歩みはあるわけです。

 私は、この日曜日の礼拝で、マタイによる福音書を読んできました。今日は、その最後になります。今日の聖書の箇所は、皆さんよくご存じの箇所です。イエス・キリストの大宣教命令といわれるものです。この聖書の言葉を聞いたキリスト者が、世界に出て行って、イエス・キリストの福音を語っていったのです。

イエス・キリストは、エルサレムに入られました。そして、十字架につけられて、殺されて、墓に葬られました。3日目に墓の中から復活されたのです。イエス様は弟子たちと共に、エルサレムに入られました。イエス様の逮捕、裁判、そして、十字架の死と葬りについては、弟子たちは結局逃げてしまいました。2人の弟子は、高い地位を求め、イスカリオテのユダは、イエス様を裏切って、自殺してしまいました。ペトロも3度、イエス様のことを知らないと否認してしまったのです。イエス様の十字架の後の葬りの場面、復活の場面では、弟子たちは1人もいませんでした。いたのは、ガリラヤから一緒にやってきた婦人たちでした。婦人たちは、遠くからですが、イエス様の十字架を見守っていました。アリマタヤのヨセフの墓の前では、ずっと座って墓の方を見ていました。日曜日の朝早く、これらの婦人たちが、イエス様の墓に向かって行きました。そこで、復活されたイエス様と出会われるのです。イエス様と直接にお会いすることができました。

墓の場面では、まず天使が婦人たちに「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたよりも先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と告げるのです。婦人たちは恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行きます。すると、イエス様が行く手を立っていました。イエス様は婦人たちに「おはよう」といわれるのです。婦人たちは近寄って、イエス様の足を抱き、その前にひれ伏します。イエス様は婦人たちに「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」といわれたのです。

婦人たちは、弟子たちのところに戻って、復活されたイエス様と出会ったこと、イエス様がガリラヤに行くようにいったことを伝えたのです。そして、今日の聖書の箇所になります。イスカリオテのユダはすでに死んでしまいましたので、イエス様の弟子たちは11人になっていました。11人の弟子たちは、ガリラヤに行くのです。イエス様に指示された山に登りました。そこで、弟子たちは復活されたイエス様と会われ、ひれ伏しています。弟子たちの中には、疑う者もいたとマタイは書いています。

イエス様が選ばれた弟子たち、これらの弟子たちを選ばれたのは、イエス様ご自身です。どのような基準で選ばれたのでしょうか。イエス様の弟子にはふさわしくない者たちが選ばれたということができるでしょう。イエス様にとって一番大切な十字架の死と復活の時に、弟子たちは、イエス様を見捨てたのです。イエス様を裏切ったのです。それなのに、復活されたイエス様は、11人の弟子たちに、キリスト教の運命を、彼らに託するのです。イエス様はいわれます。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と。神から、天と地の一切の権能とは何でしょうか。それは、イエス様が世界の王になったということができます。復活されたイエス様は、世界の王なのです。地上の王という意味ではなく、すべてのことを含めて王になったということです。

次に、イエス様は「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」といわれます。11人の弟子たちは、すべての民のもとに出て行くのです。そして、すべての民をイエス様の弟子とするのです。次に「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」といわれます。洗礼というのは、イエス様の弟子になること、キリスト者になることを意味しています。教会の大切な役割です。次に「あなたがたに命じておいたすべてのことを守るように教えなさい」といいます。イエス様が弟子たちに語られたすべての教えのことです。私たちは、イエス様の語られた教えをすべて守るようにいわれています。

イエス様は最後に「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」といわれています。

マタイ1:23

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」その名は「神は我々と共におられる」という意味である。

 イエス・キリストが私たちの世界に来てくださったこと、クリスマスの出来事は、神が私たちと共にいてくださるという意味です。そして、イエス様はいつも私たちと共にいてくださるといってくださっています。イエス様は、この後、天に上って行かれます。そして、神が約束してくださったものをやがて、弟子たちのところに送ってくださるのです。そうです。聖霊です。弱かった弟子たちのところに聖霊が下って来るのです。ペンテコステの出来事です。教会の誕生です。これから、イエス様から派遣されて、弟子たちは世界に出て行きます。イエス様から託されたことを成し遂げていくのです。

 今日、マタイによる福音書と読み終えることができました。これからが、使徒言行録をよんでいきます。聖霊を受けた弟子たちが、どのような歩みをしていくのか、教会がどのように発展していくのかをみていきたいと願っています。この大きな流れの先に、私たちの瀬戸永泉教会の歩みがあります。そして、この歩みは続いていくのです。

祈り 神よ。礼拝を守ることができましたことを心から感謝します。イエス様が神のもとに帰る時、すべての民を弟子としなさいといわれました。その言葉を受け止めた人々が、世界に出て行って、イエス様の福音を伝えていきました。私たちは、あなたから遣わされた人々の言葉によって、あなたの救いを知ることができました。深く感謝します。そして、私たちも、この瀬戸の地域にいるすべての人々に、あなたのことを伝えていきたいと願っています。どうか、この教会を用いて、多くの人々があなたの救いにあずかることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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