5月12日の礼拝の内容です。

礼拝

5月12日の礼拝の内容です。讃美歌は、56.197.433.452.24です。

礼拝説教   使徒9:10~19「目からうろこのようなものが落ちて」  2024.5.12

 「目からうろこのようなものが落ちる」ということは、どのようなことなのでしょうか。突然に天からの光を受けたサウロが地に倒れて、起き上がって、目を開けましたが、何も見えなくなってしまったのです。キリスト者を迫害すると目標に向かって走っていたサウロ、それが、光を浴びて、倒れて、目が見えなくなってしまった。やがて、目からうろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになっていく。目が見る時は、目にうろこのようなものがついていた訳ではなくて、天からの光を浴びた時に、目にうろこのようなものがついたと考えられます。サウロの目についたうろこのようなものとは、どのようなものだったのでしょう。ずっと、そのことが気になっていました。

 使徒言行録9章の最初には、サウロの回心の話が出てきます。サウロとは後のパウロです。先週もいいましたが、このパウロの活躍を抜きにキリスト教の発展はありませんでした。そのサウロです。使徒22:3によると、サウロはキリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人でした。若い時にエルサレムに留学して、ガマニエルのもとで神の律法について厳しい教育と受けたといいます。ユダヤ教の律法を学び、律法学者としての歩みをしていこうという人でした。

 一方で、聖霊を受けたイエス様の弟子たちが、キリスト教の活動を本格化していきます。教会の活動は豊かになされていき、多くの人々がイエス・キリストの福音を受け入れて、洗礼を受けて、教会に加わっていくのです。ユダヤ教の指導者である律法学者は、教会の活動に反対し迫害を強めていくのです。ステファノの殉教は大きな出来事でした。ステファノの殉教の時に、初めてサウロが登場して来ます。そして、サウロはステファノの殉教に賛成していました。ステファノの殉教によって、キリスト者はエルサレムから逃げて、ユダヤ、サマリア地方に逃げて行くのです。その逃亡しながら、イエス・キリストの福音と伝えていきます。そのことを知ったサウロは、キリスト者を脅迫し、殺そうと意気込んでダマスコに向かって歩んで行きます。それは、キリスト者を見つけ出して、男女を問わず縛り上げて、エルサレムに連行するためでした。

 このダマスコ地上で、サウロは天からの光を浴びるのです。その時に、サウロは初めて、イエス様の声を聞き、出会うことになりました。イエス様は「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかけるのです。イエス様の声を聞いたサウロは、一度、地面に倒れますが、起き上がりましたが、目が見えなくなっていたのです。サウロは人々の手を借りて、ダマスコに向かうことになりました。サウロは、3日間、目が見えず、食べも飲みもしなかったのです。

 そして、今日の聖書の箇所になっていきます。ダマスコにはアナニアというイエス様を信じる者がいました。イエス様は幻の中で、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは「主よ、ここにおります」と答えています。キリスト者アナニアは、ここだけ登場してきます。これからアナニアは、イエス様から大切な役割を与えられます。イエス様は「立って、直線通りと呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ」といいます。

 ダマスコに住んでいたキリスト者アナニアは、サウロのことを知っていました。当然のようにイエス様の申し出を拒否します。アナニアは「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどのような悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼ぶ求める人をすべて捕えるため、祭司長から権限を受けています」と、答えます。すると、イエス様は、「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示そう」とアナニアに答えます。

 このダマスコでの出来事といいますか、イエス様とサウロの出会いが、サウロの今後の歩みを大きく変えていきます。迫害者サウロから伝道者サウロに変えられていくのです。イエス様の力はいったい、どこにあるのだろうと思います。人の人生を大きく変えることができるのです。また、キリスト者アナニアですが、サウロのこれまでの行動を知っていました。それを急に変えることができるのでしょうか。絶対に警戒心があって、実際どうなのだろうと不安があって、行動していくと私は感じるのですが、どうなっていくのでしょうか。

 そこで、アナニアは出かけて行って、ユダの家に入り、サウロの上に手を置いて、「兄弟サウル、あなたがここに来る途中に現れてくださったイエス様は、あなたが元どおり見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」といいました。アナニアは、サウルを「兄弟」と呼んでいます。どうして、このように迫害者であったサウロを、兄弟として、受け入れることができたのでしょうか。サウロはこのアナニアとの出会いによって、アナニアから手を置かれて、たちまち目からうろこのようなものが落ちたのです。サウロは元どおり見えるようになりました。そこで、サウロは身を起して、アナニアから洗礼を受けて、キリスト者になっていったのです。サウロは食事をして元気を取り戻しました。

 迫害者サウロが、イエス様との出会いによって、伝道者サウロに変えられていく回心の話ですが、イエス様の直接的な働きも大切なものですが、アナニアの働きも大切なものです。イエス様がアナニアで働きかけて、サウロへの対応となっていくのですが、イエス様の働きかけをアナニアが受けとめているから、サウロの回心につながっていくのです。イエス様は人と人との関わりの中で、その福音の働きを成していくのです。

 やがて、サウロはエルサレムに行き、弟子たちの仲間に加わろうとしました。しかし、イエス様の弟子たちは、サウロをイエス様の弟子とは思わないで、恐れたのです。このエルサレムのイエス様の弟子たちのサウロの対する反応は当然のものだと思います。その時に、バルナバが登場してきます。バルナバは使徒4:36「レビ族、使徒からバルナバ、慰めの子という意味、と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」とありますが、そのバルナバです。慰めの子と呼ばれていたから、このバルナバによって、サウロは教会に紹介されて、加わっていくことができるようになっていくのです。

 サウロがエルサレムに行って、イエス様の弟子たちと初めて、出会った時に、恐れられていたのですが、バルナバの関りにより、バルナバがサウロを連れて、使徒たちのところに案内し、サウロが旅の途中で、イエス様と出会い、イエス様に語りかけられて、ダマスコでイエス様の名によって、大胆に宣教した次第を説明したのです。そのことによって、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、イエス様の名によって恐れずに教えるようになることができるようになっていったのです。

 サウロが本格的な伝道者になるために、最初は、ダマスコでアナニア、エルサレムでバルナバと関りがあって、そのようになっていくのです。その流れを知ることはとても大切なことだと思います。もちろん、イエス様の導きがあることが最も大切なことですが、人と人との関りを用いられることも考えておくことは必要なことです。

 私たちは、この瀬戸永泉教会の礼拝のつながりにいます。それはもちろん、聖霊の働きによるのです。更に、自分がこの瀬戸永泉教会につながっていることは、誰かとの出会い、関りがあることも知ることができるのです。神は私たちに直接に関わってくることもあります。また、人を通して、関わってくださるのです。そして、神は、私たち1人1人を用いてくださって、伝道の業を行ってくださいます。私たちを通して、この地域の伝道がなされていくのです。私たち1人1人が、イエス・キリストの福音を伝える伝道者なのです。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。聖書を通して、サウロとアナニアの出会いをみてきました。イエス様がアナニアにサウロと関わるように導いていました。その働きによって、サウロは、イエス様を信じることができるようになり、伝道者として歩んでいくことができていくのです。あなたは人との関りを通して、伝道していかれることをみることができました。私たちも人と人との関りによって、この教会に導かれました。感謝します。私たちがこの教会にあることの意味を考えることができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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