7月28日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.155.404.405.88です。
礼拝説教 使徒10:24~33「新しい出会い」 2024.7.28
7月最後の日曜日です。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができることをできるますことを心から神に感謝します。この礼拝を通して、皆様1人1人がより豊かな1週間の歩みをすることができますようにと祈ります。
先週の日曜日は、教会の皆様に大変にご迷惑をかけました。その前の金曜日に、なんか体がだるいなあと感じ、ちょっと熱があるなあと思い、近くの病院に行きました。そして抗体検査を受けることになりました。結果が出る15分間、ただひたすらに陰性であることを神に祈りました。本気で真剣に祈りました。今度の日曜日には、前から準備していたVIVOハンドベルコンサートがあるからでした。しかし、神への祈りは聞かれませんでした。陽性ということで、5日間の隔離の生活が始まりました。日曜日には、牧師館の部屋で、YouTube配信を聞いていました。隔離の5日間が終って、少しずつ前の生活に戻りつつあります。特に、今回は家族に迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳ないと思っています。
今日の礼拝後に、教会懇談会を予定しています。テーマは「十字架塔について考える」-瀬戸永泉教会のこれからの伝道-です。十字架塔のことは太田長老が発題してくださいますので、お任せします。これからの瀬戸永泉教会の伝道をどのように考えていくかということです。今年5月、金沢で行われた教区総会で、私たちの地区の日進教会の解散が決定されました。この出来事は、私たちにとって大きなショックでした。自分たちの教会の近くの教会がなくなっていく、それが現実となったのです。これまでの日進教会の状況は、代務の教師から聞いていました。教会解散のことも事前に、教師会で話を聞いていました。それでも、実際のことになると何か大きな喪失感を感じたのです。私たちの教会の未来はどうなったいくのだろうか、教会がなくなることもありうるかもしれない。そのような思いを新たにしています。
今、私は、この礼拝で、使徒言行録を読んでいます。初代教会の様子を知りながら、私たちの教会の伝道を考えることになることを願っています。神からの聖霊を受けたイエス様の弟子たちが、イエス・キリストの福音を伝えていうことをみています。この聖霊の力のすごさを知ることができるのです。すべてはこの聖霊の働きです。この聖霊の働きがあって、イエス様の弟子たちが、導かれて行動していきます。ユダヤ人の迫害や教会内の問題なども起って来ています。様々な困難を抱えながらも、教会は著しく成長していきます。使徒10章からは、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝わっていくことが書かれてあります。ここでは、カイサリアに住んでいるローマの百人隊長コルネリウスが登場して来ます。コルネリウスは、信仰心があつく、一家そろって神を畏れて、ユダヤ人の多くの施しをして、絶えず神に祈っていました。
聖霊が動きます。神からの天使となっていきます。天使は、このコルネリウスに語りかけます。「あなたの祈りと施しは神に届き、覚えられている。今、ヤッファにいるペトロを招きなさい」といいます。コルネリウスは3人をペトロのもとに送ります。次に、天使は、ペトロに働きます。ヤッファにいるペトロは、ちょうど、お昼になって祈るために、家の屋上にいました。ペトロはここで空腹を覚え、何か食べたいと思いました。階下では、家の人たちが食事の準備をしていました。ペトロはここで幻を見ます。天が開き、大きな布のような入れ物が四隅に吊るされて、地上に下りてくるのを見るのです。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。天使はペトロに「ペトロよ、身を起して、屠って食べなさい」というのです。ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と答えています。旧約聖書のレビ記11章には、食べてもよいものと食べてはならないものが具体的に書かれてあります。そのことを受けて、ペトロはしっかりと答えています。天使は「神が清めたものを清くないなどといってはならない」と答えているのです。このようなことが三度ありました。その入れ物は急に天に引き上げられていったのです。
ペトロは今見た幻はいったい何だろうかと、1人で思案に暮れていますと、コルネリウスから送られた人々が家にたどり着きました。人々が「ペトロと呼ばれる方は、ここに泊まっておられますか」と尋ねました。ペトロはまだ幻について考えていると、天使が「3人があなたを探している。立って下へ行き、ためらわないで、一緒に出掛けなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」といいます。ペトロはすぐに下りて行って、3人に「わたしがペトロです。どうして、ここに来られたのですか」といいます。3人は「コルネリウスは正しい人で、神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、天使からお告げを聞いたのです」と。それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせました。翌日、ペトロは3人と一緒にカイサリアにいるコルネリウスに会うために出かけます。
次の日には彼らはカイサリアに着きました。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていました。ペトロが来るとコルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝みました。ペトロはコルネリウスを起して「お立ちください。わたしもただの人間です。そして、話しながら家に入っていくと大勢の人々が集まっていたので、「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども神はわたしに、どんな人をも清くないものとか汚れたものとかいってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けた時に、すぐに来たのです。なぜ、招いてくださったのですか」と聞いています。コルネリウスは「4日前のことです。わたしが午後3時の祈りをしている時、天使がわたしの前にたって、いいます。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられた。ヤッファにいるペトロを招きなさい。それで、さっそくあなたの所に人を送ったのです。」と答えています。
コルネリウスは感謝して、ペトロに答えています。「よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、神があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」と。ここには、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝わっていくことが書かれてあります。ペトロからローマ人コルネリウスです。この過程を見ながら、いかに聖霊が動いて働いているかが、よく分かります。ペトロに対して、コルネリウスに対してです。このように丁寧な対応によって、イエス・キリストの福音が伝えられていくのです。
ローマ人の百人隊長コルネリウスが、ペトロを通して、イエス・キリストの福音を信じていくのですが、それにはユダヤ人の存在が大きなものだったと思います。ユダヤ教徒といってもいいと思います。ユダヤ教徒の存在と彼らの行動を見て、自分もそうありたいと感じて、そのように歩んでいったのでしょう。だから、イエス・キリストの福音を受け止めることができやすかったということができると思います。
少し前のことです。教会のホームページを見た人から連絡がありました。自分の話を聞いて欲しいということでした。そして、教会に来てくださり、その方とお話をすることができました。話の内容は、自分の人生の悩みを聞いて欲しいというものでした。初めて会う人に、自分の辛い部分を話してくださったのです。どうして、教会に連絡してくださったのですかと聞いてみました。すると、その方は私と同じ世代でした。その方は、自分が子どもの時にキリスト教の幼稚園に通っていた。だから、教会に行けば、話を聞いてもらえると思ったということでした。十分話を聞くことができたかどうかは分かりませんが、その方は少し安心したお顔になって帰って行かれたと思います。よくいわれることですが、幼い時に、聖書、教会、キリスト教に触れた人は、人生のいろいろな苦しい時に、教会に帰って来ることができるということです。だから、教会学校や、キリスト教の幼稚園や学校などでの出会いは大きなものがあるのでしょう。
瀬戸永泉教会のこれからの伝道を考える時に、何をすればいいのでしょうか。私は特別なことはできないと思います。まず、私たち自身が喜んで礼拝に参加していることです。その信仰の喜びを感じていると、そのことを周りの人々が感じてくださるでしょう。教会がいろいろな企画を通して、初めての方を教会に来ていただくことも大切な働きだと思います。先週のVIVOハンドベルコンサートもその一つです。祈祷会の時に、聖書を学ぶ中で、人生のいろいろな問題を向き合っていきます。後は、聖霊に委ねるしかないと思います。その人自身を、イエス・キリストの福音に導いてくださるのは、聖霊だからです。
祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。あなたは聖霊を通して、私たちがあなたの救いを得ることができるようにしてくだしました。私たちの周りには、あなたの救いを待ち望んでいる方々が大勢おられます。どうか、あなたがその方々を教会に導き、福音に触れて、信仰を得ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
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