8月25日の礼拝の内容です。

8月25日の礼拝の内容です。讃美歌は、57.356.505.522.29です。

礼拝説教   列王記18:20~40「迷いの中に臨在される神」(小椋実央牧師) 2024.8.25

8月の最後の主日を迎えました。暑い、暑いと言いながらも、少しずつ日の入りが早くなって、厳しい暑さの中にも秋の気配が感じられるようになりました。とは言いつつも、例年どおりであればおそらく9月になっても、暑いですねとあいさつをかわしていることと思います。しかし暑さは変わらずとも、8月がいつまでも続くわけではありません。8月は終わり、9月を迎えます。日本に住む私たちにとって、8月は戦没者を追悼し、広島、長崎の原爆を心に刻む特別な季節でもあります。そして今年はオリンピックがあり、甲子園があり、スポーツのニュースは事欠かない月でもありました。選手たちの活躍に心を躍らせて束の間の平和を噛みしめる時もあれば、南海トラフの地震情報や台風のニュースにおびえつつ、改めて防災について考えさせられた月でもありました。しかしたとえ悲しみや不安の中にあろうとも、テレビやニュースにかじりついていようとも、キリスト者が日々問われているのは、私たちの心はどこにあるのか、ということです。スポーツ選手や政治家や防災の専門家が私たちを救い、導いてくれるわけではありませんから、週に一度、ほんの一時間程度ですけれどもニュースを消して、スマホを脇に置いて、神さまの御心を訪ね求めたいと思うのです。旧約聖書、列王記を通して神さまがお語り下さる最新のニュースにご一緒に耳を傾けて、今日から始まる一週間を一歩ずつ歩ませていただきたいと思っています。

本日お読みした列王記上18章は、エリヤの物語の中心部分です。エリヤとバアルの預言者との対決、と呼ばれることもあります。エリヤのお話を取り上げる時にはたいていこの箇所が選ばれますし、子供向けの絵本にもこの場面が描かれることがほとんどです。おそらく大半の方が、一度は耳にしたことのある個所ではないかと思います。そして、今日初めてこの箇所を読んだ、という方であっても、一度読んだらだいたいの内容を覚えてしまうのではないでしょうか。バアルの預言者がとんだりはねたりしても、何も起こらない。ところがエリヤが呼ぶと、神さまが火で応えてくださった。とてもわかりやすい場面です。具体的に何が起きたのか、ということを想像するのは難しいかもしれませんが、勝ち負けがはっきりとしています。バアルの預言者の時には何も起こらなかったのに、エリヤの時にははっきりと、誰もが分かる仕方で神さまが応えてくださった。そういう物語です。しかし改めてていねいに読んでみますと、エリヤはバアルの預言者と戦っていないどころか、バアルの預言者に勝とう、などと思ってはいません。むしろエリヤが戦っているのは民衆です。民衆の心です。「あなたたちはいつまでどっちつかずに迷っているのか。」エリヤは民衆に問いかけます。エリヤはバアルの預言者など、はじめから全く相手にしていません。

本日の短くはありませんが、しかし長すぎるというわけでもない箇所の中に、「近づく」という単語が三回繰り返されています。一回目は最初の部分です。21節、エリヤはすべての民に近づいて行った。「あなたたちはいつまでどっちつかずに迷っているのか。二目はバアルの預言者の後、エリヤの番になった時です。30節、エリヤは「わたしの近くに来なさい」と言った。すべての民が彼の近くに来た。最後、三回目は、いよいよエリヤのささげものの準備が整い、エリヤが祈りをささげる場面です。35節、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、これらすべてのことをあなたのみ言葉によって行ったことが今日明らかになりますように。エリヤはバアルの預言者ではなく、そこに集められた民に近づきます。繰り返し近づきます。エリヤの心がバアルの預言者ではなく、民衆に向かっていることが分かります。このことはエリヤと民衆の物理的な距離だけではなくて、内面の、もっと奥深くに迫ろうとしているエリヤの行動のあらわれです。あなたたちはいつまでどっちつかずなのだ、と頭ごなしに否定をするだけではなくて、民衆の心のうちに語りかけ、その思いを確かめあって、互いに手を取り合って立ち上がろうとするエリヤの姿です。ですからこの箇所は、エリヤとバアルの預言者の対決ではなくて、エリヤと民衆の対決と言うべきかもしれません。もっと言うと、エリヤが民衆の心を取り戻せるかどうか、民衆の心に語り掛けることができるかどうか、エリヤの預言者としての資質が問われる戦いです。そして言うまでもなく、エリヤの戦いということは神が戦っておられるのです。エリヤを通して神が語りかけ、エリヤをとして民を取り戻すことができるかどうか、神が戦っておられるのです。

今からさかのぼること2000年、イエスさまの時代。そこからさらに1000年ほどさかのぼると、イスラエル王国誕生の時代になります。2000年と1000年、すなわち今から3000年ほど前のことですが、イスラエルに小さな王国が誕生します。サウル王、ダビデ王、ソロモン王と続くイスラエル王国です。ところがこの王国は100年足らずしか続きませんで、北と南に分裂をし、やがて北も南も外国に滅ぼされてしまいます。バビロン捕囚という言葉をお聞きになったことがあるかと思いますが、最後はバビロニアによって滅ぼされ、神殿は破壊され、十戒が記された二枚の板も失ってしまいます。しかしこの神殿を失うことがひとつのきっかけとなって神殿ではなくて、シナゴーグを中心としたユダヤ教へと発展していきます。言うまでもなく、このシナゴーグが後にイエスさまやパウロたちが活躍する舞台となって、キリスト教の基礎を築いていくことになります。そのようなイスラエル王国が滅んでいく歴史の流れの一コマが本日お読みした部分です。ちょうど北と南に分裂をした、北王国での出来事がこのエリヤの物語です。この頃、北王国ではアハブという王様が積極的にバアルという宗教を持ち込んでいました。バアルは雨を降らせたり、作物を実らせたりする豊穣の神。このバアルを信仰するために神殿で売春をしたり、子どもをいけにえとしてささげたり、過激なことが行われていました。

これに対して否をつきつけたのがただ一人生き残った預言者エリヤです。他の預言者はアハブ王の妻、イゼベルによって殺されていました。エリヤはバアルではなく、神によらなければ一滴も雨は降らないとアハブ王の前で宣言し、3年の飢饉にみまわれていたのです。エリヤもまた食糧難に苦しみ、やもめに養われていたのでした。とうとう3年が過ぎました。エリヤは自らアハブ王の前に姿をあらわし、バアルの預言者との対決を申し出ます。イスラエルのすべての人の前を呼び集め、その前で正々堂々と、バアルの預言者と対決するのです。それが本日お読みした場面です。はじめはバアルの預言者たちの番です。一頭の雄牛を祭壇にかかげ、そのまわりをとんだり跳ねたりして叫ぶのです。バアルの預言者は450人もいるのです。けたたましい騒ぎです。雑然としています。けれども祭壇の上はしんとしています。何も起こらないのです。

エリヤは言います。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか。それとも人目を避けているのか。旅にでもでているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」これでもかと言うぐらい、バアルの預言者を嘲ります。聖書全体を探してみても、これほどの皮肉は誰も語っていないかもしれません。バアルの預言者が叫んでも、血を流しても、何も起こりません。祭壇の上には雄牛がささげられたまま、時間だけが過ぎていきます。続いてエリヤの番です。エリヤがしたことは、まず民を呼び寄せることでした。それまでは、バアルの預言者たちが狂ったように飛び跳ねるのを遠巻きに見ていただけでした。しかしそこから近づくように命じます。民を近づけてエリヤがしたことは、まず祭壇を整えることです。雄牛が二頭いて、それぞれに祭壇があったのだけれども、どういうわけかエリヤの祭壇は壊れていました。それはバアルの預言者があまりにも激しく踊り狂ったので壊してしまったのかもしれません。しかし、私は「壊された祭壇」というのはひとつの比喩ではないかと思います。別にその祭壇が使うことができないほど崩れてしまっている、というわけではない。イスラエルの人たちが礼拝するほどに整っていない、神の前に出るふさわしい状態ではないことを「壊された祭壇」と表現しているのではないかと思います。

エリヤは民衆の礼拝を整えるべく、12の石を拾います。12の石がないと礼拝できない、というわけではありません。一種のパフォーマンスです。かつて自分たちの先祖が弱いものであったにもかかわらず、神がご自分の民として選んでくださり、12部族として発展させてくださった。そのことを目に刻むように、エリヤはひとつずつ石を積み上げるのです。この12部族が、12部族に連なるあなた達が、この礼拝をつくりあげるのだ、というひとつのメッセージです。続いて祭壇のまわりに溝をほります。後に水で満たすためです。1セアは7.7リットルという単位です。2セアとなると約15リットル分。祭壇のまわりに15リットル分の水がたまるほどの溝をほります。ここからは、民衆もエリヤの祭儀に加わざるをえなくなります。「四つの瓶に水を満たしていけにえと薪の上に水を注げ」エリヤは民に命じます。

もはや民衆は観客ではなく、この祭儀の中心部分を担うことになります。初めは近くに来なさい、と言われて、祭壇の修復を見守るだけであったのに、いつの間にか水を運ばされ、水を注ぐ役目を担うことになっています。ご丁寧に三度も水を注ぎかけます。忘れてはならないのは、まだ飢饉は終わっていないのです。その日飲む水にも苦労しているのに、どこからか水をくんできて、15リットル分の溝が埋まるぐらいに水を注ぐのです。並大抵のことではありません。おそらくどうやって水を注ぐのか、まだここにかかっていない、ここも濡れていないとエリヤは口酸っぱくして民衆に指導していたことでしょう。しかしそれが終わったと思ったら、エリヤはより一層民に近づくのです。祈るためです。エリヤが祈っているのか、民衆が祈っているのか、もはやどちらが祈っているのかわからないぐらい密着して祈るのです。

集まって祈る、ということの重要性を教えられます。コロナ禍をきっかけに、私たちの教会では礼拝をオンラインで配信する、ということを始めました。瀬戸永泉教会に限らず色々な教会で、また仕事や様々な場面で、同じ場所にいなくても、遠く離れていても礼拝ができる、会議ができる、会話ができるということが可能になりました。これはこれでとても便利なものです。しかし種々雑多な人が集まって、祈りを知らないのに、神さまを信じているわけではないのに、礼拝という群れに加えられていたという経験は、やはり画面超しでは味わうことができません。はじめはただの観客にすぎなかった民衆が、知らないうちに礼拝の中心部分を担うものとされていた。信仰深いからではなくて、特別優れた人物だからではなくて、神が選び、エリヤを通して用いられたからこそ、1人1人が礼拝を担うものとされていた。この驚きを知って、洗礼を受けて、教会に連なるようになった方も少なくないのではないかと思います。エリヤに命じられるままに水を注いだ人たち。イエスさまの最初の奇跡、カナの婚礼を思い起こします。水を汲め、と命じられて水を汲んだだけなのに、いつの間にかそれが最上級のブドウ酒になっていた、そういう奇跡です。奇跡が起きるのは、信仰深い人たちが熱心に祈るから、それなら応えてやろうと神さまがお応えくださるわけではありません。勿論、そういう場面もあるでしょうけれども、聖書に繰り返し記されるのは不信仰な人たちの姿です。弟子たちがガリラヤ湖を渡ろうと思って嵐になった。漕いでも漕いでも、ちっとも向こう岸につかない。神に祈るどころか、自暴自棄になりそうな時に、イエスさまが湖の上を歩いて近づくのです。弟子たちの信仰が素晴らしかったから助かった、という話ではないのです。主イエスが復活された時もそうです。山に登り、復活された主イエスとの再会を喜ぶのです。しかしその中にも、12弟子であっても主イエスを疑うものがいたと聖書ははっきりと記しています。弟子たちが心底信じていたから主イエスが復活されたのではなくて、たとえ疑うものがいようとも、主イエスは復活されるのです。

疑うものがいようとも、ふまじめなものがいようとも、そのことが礼拝の質を落とすことにはなりません。神がお応えにならない、という理由にはなりません。むしろ迷いの中で神は力を発揮されるのです。迷いがあるからこそ神はご自身をあらわされるのです。その最たるものがゴルゴタの丘で示された神の愛です。多数意見に流される私たち、見せかけの利益に流される私たちを失うまいとして、神ご自身が傷付いてまで、私たちを取り戻そうとしてくださるのです。エリヤの祈りに応えて、いや、エリヤと不信仰な民の祈りに応えて、聖なる火が献げ物を焼き尽くします。献げ物どころか、薪、石、塵を焼き、溝にあった水もなめつくしたとあります。本来、焼くのは献げ物だけです。雄牛だけを焼けばよいのです。雄牛が丸焼けにならなかったとしても、全く火の気のないところに少しでも火がつけば人々は驚いて、「主こそ神です」と言ってひれ伏したことでしょう。ところが神は徹底的に焼き尽くすのです。正直に言って、水まで焼かなくてもいいのです。焼かなくてもいいところまで、焼ききってしまう、これはどういうわけか。献げ物を焼く、というのは、神が祈りを聞いた、祈りに応えた、ということのあらわれです。そして献げ物どころか石や塵まで、下にたまっている水まで、祭壇に連なる何もかも焼いてしまったということは、この祈りに連なるすべての人を受け入れたという神の姿勢ではないでしょうか。

ここに連なる不信仰な民、真面目な人も不真面目な人もいたでしょうけれども、しかしエリヤを通して一つの礼拝として、一つの群れとして神が受け止めてくださった。バアルとどっちつかずの不信仰な民の祈りをも聞き、その迷いの中に神がご自身をお示しくださったのです。こちらの側が整っているからではなくて、むしろ迷いの中にあり、どっちつかずだからこそ、神がご自身をあらわしてくださる。神はご自分が得をすることではなくて、むしろご自身が損をすることをもいとわずにご自身を投げ出して、私たちを愛しぬこうとしてくださるのです。戦っているのはエリヤではない、私でもありません。神が私の不信仰と戦って、私が傷つくのではなくて、神ご自身が傷ついて、私たちをご自分のものとしてくださるのです。この驚きを知った時に、私たちは神のものとして、キリストの僕として歩まざるをえなくなります。そしてこの驚きを、日曜日ごとに繰り返し味わいたい、繰り返し思い起こして、新しい一週間を歩む力にしたい、と願っています。

過ぐる聖日、礼拝後にオルガン感謝会を持ちました。現在礼拝で使っているオルガンが35年を経過し、度重なる故障や修理のこと、これからどのように礼拝を守っていくのか、色々と検討をしまして、9月に新しいオルガンを迎えることになりました。それに先立って、このオルガンと共に歩んできた35年を振り返って感謝の会を開こうとオルガニストで企画をして、みなさまにもアンケートにお応えいただいて、感謝の会を持ちました。洗礼を受けた時、結婚式、ご葬儀、何よりも毎週の礼拝をこのオルガンと共に過ごして参りました。懐かしい54年版の讃美歌を賛美しながら、各々ご自身の信仰生活の歩みを振り返るひとときとなったのではないかと思います。私自身、奏楽者として奏楽をするようになったのは、すでに讃美歌21に変わっていたので54年版の讃美歌をこのオルガンで弾く、というのはこれが最初で最後の貴重な経験となりました。クワイアで練習してくださったというのもありますが、しっかりとした歌声に支えられて、よくオルガンは礼拝の賛美を支える、リードするものだ、と言われますが、いやむしろ逆だな、と感じました。会衆の賛美に支えられて、奏楽者が育てられていたんだなということにも気づかされました。

先週のオルガン感謝会の余韻からまだ抜け出せなくて、今日はあえて57番の「ガリラヤのかぜかおるおかで」から始まって、522の「キリストにはかえられません」で終わることにしました。これは先週のオルガン感謝会と同じ曲順でして、先週も「ガリラヤのかぜ」からはじまって、「キリストにはかえられません」を最後に歌いました。細かいことですけど、「キリストにはかえられません」は讃美歌21のほうではなくて、54年版のほうで歌わせていただきました。オルガン感謝会ではみなさんにもアンケートに協力していただいて、人気の高かった讃美歌、の中からオルガニストで話し合って7曲選ばせていただきました。どれも魅力があって甲乙つけがたい讃美歌ばかりで並び順にも困るから、結局番号順に、最初に讃美歌21、次に54年版の1編、2編と並べて歌うことにしました。その結果、「ガリラヤのかぜ」で始まって、「キリストにはかえられません」で終わるということになりました。
しかし改めて考えると、手前味噌ですがなかなか曲順もよかったな、と。57番の「ガリラヤのかぜ」で「み言葉をわたしにもきかせてください。」と歌って、最後は「キリストにはかえられません」という信仰の告白で閉じる。色々な讃美歌を歌いながら35年の歩みを振り返ろうと思っていたのですが、讃美歌そのものがすでに信仰を振り返るものになっていました。

私自身、初めて教会の門をくぐった時からこのオルガンでしたので、自分は決して洗礼なんて受けないぞと思いながら礼拝を守っていたこともあれば、キリストの愛に驚き、喜びの日もあり、ただ虚しい思いで礼拝堂に座っていることしかできないような日もありました。コロナ禍で牧師と長老だけで礼拝を守ったことも、CS館に引っ越しをしてまた戻ってきて新しい礼拝堂で礼拝を守ることもできました。私たちがどっちつかずで迷いの中にあったとしても、このオルガンと共にささげられた礼拝をとおして、神さまは常に行く先を示し、私たちを一人残らず失うまいと、限りない愛を示し続けてくださいました。あと一か月足らずでオルガンは変わりますけれども、ゴルゴタの丘で示された強烈な愛は新しいオルガンを迎えても変わることなく示されることでしょう。私たちのために損をして、進んで傷ついでくださるお方以外の誰も頼ることはできませんし、ここ以外に行くところは私たちにはどこにもありません。私たちにはこのお方以外はなんの価値もないのだという歌を、感謝をもって歌い、私たちの祈りとしてささげたいと思います。

<祈り>ご在天の父なる神さま。迷っています。信仰がふらついています。だからこそあなたは私たちを礼拝へと招き、御言葉を聞かせてくださいます。どうぞ私たちをとらえ、救いの器として用いてください。この祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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