9月15日の礼拝の内容です。

9月15日の礼拝の内容です。讃美歌は351.528.544.579.26です。

礼拝説教    使徒11:19~30「キリスト者と呼ばれて」  2024.9.15

 アンティオキアの町での出来事です。アンティオキアの町は当時、世界第3の町といわれていました。ローマとアレキサンドリアにつぐ町の大きさがありました。約80万人が住んでいたといわれています。異教の盛んな町であって、いろいろな偶像が町のあちらこちらにあったといわれています。使徒言行録の中で、今日の内容は、世界で初めての異邦人教会が誕生するというものです。

 ステファノの事件をきっかけとして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行きましたが、まだユダヤ人以外には誰にもイエス・キリストの福音を伝えてはいませんでした。しかし、です。散っていったユダヤ人の中に、キプロス島やアフリカのキレネから来た者がいました。この人たちは、アンティオキアに行き、ギリシャ語を話す人々にも、イエス・キリストの福音を語っていったのです。無名のユダヤ人キリスト者といっていいと思います。ペトロや後に出てくるパウロではありません。この無名のキリスト者が異邦人にも、イエス・キリストの福音を伝えていきました。神がこの人々を助けてくださいました。そのことによって、イエス・キリストを信じて、教会が誕生していくのです。救われた人々の数はとても多かったとあります。

 このアンティオキアの町に、異邦人の教会が誕生したということはすぐに、エルサレムにある教会に伝わっていきました。聖書地図を見ると、エルサレムからアンティオキアまで約500kmあります。日本で言うと東京から大阪の距離になります。今は、新幹線や飛行機がありますので、その日に簡単に行くことができますが、当時は徒歩やらくだで行くしかありません。約500kmという距離を乗り越えて、エルサレムの教会の人々は、アンティオキア教会に、バルナバを派遣します。エルサレム教会は最もふさわしい人物を、アンティオキア教会に送ります。バルナバは、もともとキプロス島出身です。そして、人と人とのつながりを大切にする人でした。イエス・キリストと出会った迫害者サウロを、教会に紹介したのです。最初、イエス様と出会ったサウロは、エルサレム教会に来ても、教会の人々は、サウロの行動を知っていましたので、恐れて近づきませんでした。それをバルナバがつないだことによって、教会に入ることができるようになりました。

 バルナバは、アンティオキアの町に到着し、教会に入っていきます。その教会は神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意を持って、神から離れることのないようと勧めるのです。バルナバは立派な人で、聖霊と信仰に満ちていたからです。このようにして、バルナバの導きもあって、教会は多くの人々が神に導かれていきました。教会が成長することによって、しっかりとした指導者が必要になってくることをバルナバは感じたようです。そこで、バルナバは、サウロを捜しにタルソスに行きます。サウロはエルサレムの教会に加わって、それから故郷であるタスソスに帰っていました。それからどのくらいの時間が過ぎていったのでしょうか。このバルナバの導きによって。サウロはアンティオキア教会に来ることができて、バルナバと共に1年間いて、多くの人々に教えたのです。

 この世界で初めての異邦人教会であるアンティオキア教会が誕生して、使徒言行録は、新しい展開をしていきます。それは、それまではユダヤ人中心のエルサレム教会から、異邦人が中心のアンティオキア教会が中心になっていきます。まもなく、サウロ、そうパウロの登場となっていきます。このアンティオキア教会がら、パウロによる伝道旅行が開始されていきます。使徒言行録は、このアンティオキアの町で、弟子たちがキリスト者と呼ばれたのです。

 大きな町で、教会の活動が認められていったのでしょう。キリスト者と町の人々からよばれている、大きな流れにいったのだと思います。

 そのころ、預言をする人々がエルサレムからアンティオキア教会に下って来ました。その中の一人のアガポという者が立って、大飢饉が世界中に起こると、神の霊によって、予告しましたが、果たしてそれが、クラウデウス帝の時に起こったのです。世界中で大飢饉が起こる、いつも時代でも、災害は起こるものなのでしょう。特に被害が多かったのは、ユダヤ地方、エルサレムの教会の人々だったようです。エルサレムとアンティアキアまでは距離にして約500kmあるといいましたが、その距離を乗り越えて、被害の様子を知ったアンティオキア教会の人々は、それぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに、援助の品を送ることを決めています。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託してエルサレム教会の長老たちに届けていくのです。

 誕生したばかりのアンティオキアの教会が、すぐにエルサレムの教会に援助の品を送っていくと素晴らしい行動に目を見張る思いがします。マザー・テレサの活動に次のような話を聞いたことがあります。インドでの活動でした。貧しい一人の少女が、食べ物を求めているのです。一人のシスターが、お米を分けてあげました。少女はその受け取ったお米を持って、家に帰っていくのでした。家では、父親はいなくて、母親が7人の子どもたちを育っていました。そのお米は8人の家族が食べるのには量が少なかったのです。それなのに、母親は、そのお米を半分に分けて、別の場所に行きました。母親が帰って来ると、手にしていたお米はなくなっていました。シスターが母親に聞くと、自分たちと同じように、母親が多くの子どもたちを抱えて生活していることを知っていたので、その家族に分けていきました。心の豊かさといいますか。大飢饉の時のアンティオキア教会の人々の行動を見て、この話を思い出しました。

 今日は、使徒言行録からアンティオキアでできた世界で初めての異邦人教会の誕生の様子を見て来ました。私たちの瀬戸永泉教会はまもなく創立136周年を迎えます。教会の創立のときの人々の様子はいったい、どのようなものだったのでしょうか。いろいろな困難がありましたが、136年という年月を迎えることができています。

 今年の1月1日に、能登半島地震が起こりました。私たちの教会と関わる能登の教会も多くの被害を受けました。5月に金沢で行われた教区総会で、その教会の人々からの報告を受けました。その日、輪島教会の先生と、夕食を食べながら、当日の様子を聞きました本当に大変な状況でした。聞いていて、涙が出て来ました。私たちの教会では、その被災教会を覚えて、献金を続けています。アンティオキア教会の人々は、それぞれの力に応じて、援助をしていました。私たちの教会もそれぞれの思いを込めて、献金していきたいと願います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。アンティオキア教会の誕生の様子を知ることができました。素晴らしい内容でした。私たちの教会も、彼らにならって、よき歩みをすることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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