5月16日の礼拝の内容です。

礼拝

礼拝説教        マタイ16:13~20「天の国の鍵」       2021.5.16 

 新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、礼拝を守ることができますことを神に感謝します。礼拝を守ることができることは、奇跡のことなのです。 

 イエス様は言われます。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。」と。このシモン・バルヨナという名前は、はじめて聞く名前です。実は、ペトロの本名です。シモンという名前は、何度も聞いています。シモンが本名で、ペトロがあだ名だと知っています。このペトロのあだ名ができた箇所が、今日の聖書の箇所です。16節でもシモン・ペトロ言われています。それが、はじめて、私たちの知るペトロの本名が、シモン・バルヨナです。バルとは、○○の息子と言う意味です。つまり、ヨナの息子のシモンと言うことです。 

 シモン・バルヨナという名前の意味がどのようなものであるのか、よくは分っていません。でも、ここで大切なことは、イエス様が、ペトロに対して、本名で名前を呼んでいるということです。イエス様はペトロに「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。」と言われるのです。ここで使われている幸いは、決して変わらない幸いです。その人がどのような状況にあろうとも、本当に幸いなのです。 

 イエス様が語る幸いは、その人が、家族にも恵まれ、仕事の順調で、健康でもある、すべてが恵まれているから幸いだと言っているのでもありません。また、その人がたった1人で孤独であり、生活も不安定であり、病気や障害を持っているからでもありません。神の憐れみによって、その人が、イエス様を救い主として信じている、そのことが幸いだと言われるのです。 

 今日の聖書の箇所ですが、ペトロの信仰告白と言われている内容です。イエス様はいよいよエルサレムに向って旅を始めようとしています。十字架への道です。場所は、フィリポ・カイサリアです。異邦人の地です。そこで、イエス様は、弟子達に大切なことを聞きます。イエス様が十字架についてのち、イエス様の働きを担うのは、この12人の弟子達です。この弟子達に、キリスト教の未来が決まってしまうのです。短い時間でしたが、イエス様は弟子達を選び、一緒に伝道しながら歩んできました。弟子達への思いを確認しているところです。 

 イエス様は弟子達に直接は聞いていません。ある意味で回り道をしています。イエス様は弟子達に、「人々は、人のこのことを何者だと言っているか」と尋ねています。すると弟子達は「洗礼者ヨハネ」「エリヤだ」「エレミヤだ」「預言者の1人」などと、答えています。そして、本題に入ります。イエス様は弟子達に直接に尋ねます。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と。この質問が大切でした。弟子達はイエス様のことをどう考えていたのでしょうか。きっとしばらく沈黙があったのだと思います。 

 すると、シモン・ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答えました。そして、その答えに、イエス様は、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と答えています。 

 続いて、イエス様は「わたしはこの岩の上に教会を建てる。よみの力もこれに対抗することはできない。」と答えるのです。よみの力と言うのは、死のことです。私たちにとって、この死の問題は、どうすることもできないものです。生きている人間はいつか死を迎える時がやってきます。この死に、人間はどうしても対抗することはできません。死は避けることができないものです。 

 しかし、よみの力もこれに対抗することができないとイエス様は言っています。死の力も、これに対抗することができないと言うのです。シモン・ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です。」と言った言葉、これはペトロの信仰告白になります。この信仰告白は、イエス様をメシア、つまりキリストとして信じると言うことです。イエス様への信仰によって、死の力も対抗することができないのです。死に打ち勝つ力がそこにあるのです。 

 もちろん、私たちはすべて死を迎える時がやってきます。それが人によって、いつの日かは分かりません。ただ、死は必ず来るのです。でも、それで終わるわけではありません。新しい命が与えられるのです。復活の命であり、永遠の命です。これ以上の幸いがあるでしょうか。 

 この復活の命のことですが、イエス・キリストを信じる信仰によって与えられるのです。それは、自分の力によるのではありません。自分たちが、イエス・キリストへの信仰をしっかりと持っているから、神から与えられると言うものではありません。神の前で、私たちは本当に弱い者です。罪深い者です。どうして、自分の力で、神への信仰を持ち続けることができるでしょうか。決してできません。本当に弱い自分、本当にダメな自分です。何も誇るものがありません。でも、それでいいのです。そのままでいいのです。神は私たち1人1人に、「いいんだよ。そのままで、弱いあなたのままで、罪深いあなたのままで、わたしの子よ、そのままのあなたで、わたしのもとに来なさい。本当に休ませてあげよう。そしてわたしからの恵みを受け取りなさい。わたしはあなたを愛している。復活の命、永遠の命を受け取りなさい。」と、言ってくださっているのです。 

 今日の聖書の箇所は、イエス様が弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問うていますが、実は、ここにいる私たち1人1人が問われているのです。○○よ。あなたは、わたしを何者だと言うのか」と、です。教会に集う私たち1人1人です。私は、あなたは、イエス様に対して、シモン・ペトロのように「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答えることができていますか。本当に、できますか。 

 私が、イエス様に「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答えるならば、「○○よ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と、イエス様は答えてくださいます。何とうれしいことではありませんか。イエス様が、自分のことを、本当の名前を呼んでくださって、何と幸いだと言ってくださるのです。ただただ、神からの恵みなのです。神の一方的な祝福なのです。これ以上の幸いは、この世にありません。イエス様から、本当の命を与えてくださるのです。それは、新しい命であり、復活の命、永遠の命です。 

 この世界には、辛いことや大変なこと、苦しいことや悲しいことがたくさんあります。そして今は、新型コロナウィルスの脅威にあり、先が見えない時であり、息がつまるような状態になります。いつまで、この危機が続くのでしょうか。誰も分からないのかもしれません。いつになったら、以前のように、教会に集まり、愛餐の時を持ち、食事をしながら、話し合い、深い交わりを持つこと時ができるのでしょうか。 

 どのような厳しい時であって、イエス・キリストにある希望を持って歩んで行くことができます。その希望を持ちつつ、前を向いて、歩んで行きましょう。 

祈り 神よ、礼拝を守ることができましたことを感謝します。あなたのみ言葉によって、励まされ、希望を持って歩んで行くことができますように、弱い私たちを支え、励まし、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。 

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