3月30日の礼拝の内容です。

snow top mountain under clear sky 礼拝
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3月30日の礼拝の内容です。讃美歌は、307.315.532.306.39‣6です。

礼拝説教  マタイ27:15~26「全てをなげうって」(小椋実央牧師) 2025.3.30

受難節第四主日を迎えました。教会の頭、私たちの救い主、主イエス・キリストが十字架におかかりになる、その一歩一歩を味わい、心にとめようとしています。神の子でありながら、何一つ罪を犯さないでいたにもかかわらず、捕らえられ、苦しめられ、偽りの罪をなすりつけられて主イエスは十字架にかけられようとしています。その全てを漏らすことなく知りたいと思っています。何故なら、イエス・キリストの十字架を知ることは、自らの罪について深く知ること。自らの罪をみつめることで、私たちを本当にお救いくださる方はただおひとりしかおられないことを知ります。そして救い主について知ることで、私たちが救われる道は、一歩前進するからです。時は2000年前。ローマ帝国の片隅エルサレム、そこに位置するピラトの総督官邸は異様な熱気に包まれていました。過越祭というユダヤ民族の祭りの中で、一人の強盗を釈放するかわりに、罪のない一人の人物が十字架にかけられようとしていました。この集団リンチのような盲目的な裁判に翻弄されているのは、主イエスだけではありません。総督ピラトもまたその一人です。ローマ皇帝の代理人として、ローマ帝国の属州、属国となっているはずのユダヤを監督するのが総督ピラトの務めです。本日お読みした場面では、最も権威あるはずのピラトが、まるで嵐の中を漂う小舟のようにあっちへ揺られ、こっちへ揺られ、今にも沈没してしまいそうです。

教会の礼拝に何度か出席するうちに、この総督ピラトという人物は礼拝の使徒信条で唱えられる「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ」という文言と共になじみのある人物になって参ります。そして何度か聖書を読むうちに、イエスさまが十字架におかかりになる重要な場面に出てくる人物だということが分かります。4つの福音書全てにピラトは出て参りますから、この名前は否応なく私たちの記憶に叩き込まれることになります。正直に言ってピラトはもともとイエスさまに関心があったわけではなくて、むしろほとんど関心はなかったのに、たまたまこの時総督だったがゆえにイエスさまと接点ができてしまった。無理やりイエスさまを死刑にする裁判官にまつりあげられてしまった気の弱い人、という印象が否めませんが、もう少し丁寧に聖書を読んでみますとその印象は変わってくるかもしれません。18節には「人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。」とあります。最高法院の律法学者や祭司長たちが、イエスさまを無理やり死刑にしようとしていることをいち早く見抜いている観察力のするどさがあげられます。十字架につけろと叫ぶ民衆に対して23節では「いったいこの男がどんな悪事を働いたのか」と問いかけてもいます。イエスさまに罪がないことを見抜いていなければ言うことのできない言葉です。また、ピラトはすぐに死刑かどうかを決めるのではなくて、集まってきた民衆にイエスさまを釈放することを提案します。死刑以外の道を模索しているピラトの心のうちを伺い知ることができます。

本日お読みした場面で、イエスには罪がない、ということを確信していたのはユダヤ教の権威でもある最高法院でもなく、民衆でもなく、ペトロやヨハネなどの12弟子でもなく、異邦人であるピラト一人であった、というのはなんとも皮肉なものです。持ち前の判断力で主イエスの無実という正しさを見抜きながらも、しかし民衆を恐れて死刑にせざるをえなかった。どことなく気の弱い、線の細い人物を想像するかもしれませんが、ピラトに関する残された資料からは、ピラトの別の側面も見えてきます。ローマ帝国はとても広いということは説明の必要がないかもしれません。今日のスペイン、イタリア、ギリシャ、アフリカの北部、地中海沿岸をぐるりと取り囲んでいます。この広大な帝国を治めるために配置されたのが総督です。各地に総督を配置して、治安の維持、税金の徴収にあたらせました。中でもこのユダヤ地方はローマ帝国の中心からは遠く離れています。ヘロデ王という皇帝とは別の王が存在し、さらにユダヤ教という宗教の自由もゆるしている。ユダヤ側から見れば、ローマ帝国は神をもおそれぬ憎き支配者かもしれませんが、ローマ側から見れば、ユダヤはずいぶんと優遇されていた地方かもしれません。

このユダヤが中央からは遠い辺境の地だったせいか、それとも皇帝の下に王が存在するという傀儡政権というややこしさのゆえか、或いはローマ人から見れば独特の宗教観を持つユダヤ民族のせいなのか、理由は複数あるのでしょうけれども、総督を務める人々にとってユダヤはあまり魅力のある職場ではなかったようです。ですからピラトが自分から希望してユダヤに来たのか、気が進まないままに来たのかその経緯は分かりませんが、この困難な仕事をやり遂げていずれ中央に戻りたい、一つやふたつ、手柄をあげて出世したいと思っていたことは想像できる気がします。先ほど総督の務めは治安の維持と税金の徴収と申し上げましたが、日ごろはエルサレムではなく、カイサリアに本拠地を構えていました。(聖書地図6)そして重要なことがある時にはエルサレムに出向いてくる。特に、過越祭にはエルサレムの人口が何倍にも膨れ上がりますから、治安の維持のために目を光らせないといけない。そのためにピラトはエルサレムに来ていたのです。ですから本日お読みした箇所にピラトの妻がピラトに伝言をするという場面が出てくるのですけれども、もしかしたらピラトの妻もピラトと一緒にエルサレムまで来ていたのかもしれませんが、本拠地であるカイサリアから早馬を飛ばして伝言を届けたという可能性もなくはありません。

このピラトがユダヤに着任した時のエピソードがあります。とても彼らしい、人となりが分かる話かと思うので、ご紹介したいと思います。ピラトは長旅をしてカイサリアにやってきました。そして自分はカイサリアに残って、兵士だけをエルサレムに向かわせます。この時、兵士たちはローマ皇帝の肖像が描かれた旗をかかげてエルサレムへと入っていきました。これまで歴代の総督は、ユダヤの人々の信仰心に敬意をはらって、すなわち人を拝むことをしない、というユダヤ教の考えを尊重して、あえてローマ皇帝の描かれていない旗をかかげていたようなのですけれども、ピラトはそうはしなかった。エルサレムの人たちを挑発するかのように、わざわざこれまでの総督とは違う旗を用意してやってきた。しかも白昼堂々とするのではなく、夜のうちにエルサレムに入って、こっそりと総督官邸にローマ皇帝の旗をかかげておいた。その上自分はエルサレムにはいないのです。遠く離れたカイサリアにいるのです。エルサレムの住民は、日が昇って初めてそのことに気づき、大騒ぎになりました。総督官邸は神殿のすぐ北側にあり、これでは自分たちの神殿が汚されてしまうといって慌ててカイサリアのピラトのもとに押し寄せます。これほど早く、エルサレムの人たちがカイサリアにやってくるとは思っていなかったのでしょう。ピラトは円形劇場の中にぐるりと自らの戦車や兵士を配置して、その中でエルサレムの住民を迎えます。話し合いの余地があるように見せかけて、しかし自分に逆らったらどうなるのか、無言の圧力をかけるのです。

エルサレムの住民も負けてはいません。ローマ皇帝の肖像をひっこめてくれないのなら、自分たちの命とひきかえにしてもよい、と自分たちの首を差し出すのです。この迫力にはさすがのピラトも怖気づいて、ふりあげた刀をひっこめざるをえなくなりました。こうしてエルサレムの住民は総督ピラトから聖なる神殿を守ったのです。ピラトの見栄っ張りで気の小さい性格が、よくあらわれているエピソードだと思います。この時から民衆はピラトの弱みを熟知していたのかもしれません。熟知というよりは、社会的弱者として、ピラトという人となりを本能的に察知していたのかもしれません。日頃は税金に苦しめられ、表面上はローマ帝国に、その代理人であるピラトの従っているのですけれども、この男は民衆の暴動を恐れている、と本能的に分かっていました。ですからピラトの言うことを聞かずに十字架刑に持ち込むことは、さほど難しくはないことだったのかもしれません。本来なら総督であるピラトがこの裁判を仕切っているはずなのに、今日お読みした箇所ははじめから終わりまで民衆が主役になっています。民衆の希望する囚人を釈放することになっていた、ということから始まり、最後には民衆が「この血の責任は、我々と子孫にある」と宣言するのです。

民衆が支配者を支配する、という逆転が起こります。人間を従わせるという日頃支配欲とは無縁の人々と本来なら人を従わせなければならないピラトのヒエラルキーの逆転が起こります。過越祭という熱気が、ユダヤ民族の血が、彼らを異常なほどに大胆にさせました。イエスさまを死刑にした責任、その血の責任は私たちとその子孫にある、と胸を張って言うのです。主語が「私」から「私たち」に変わる時、そこには無責任さも生まれます。この時一人ひとりをとらえて、「それならばあなたは責任をとって一体何をしてくれるのか」と問いただしたとしても、まともに答えられる人は一人もいないはずです。イエスさまを十字架刑にするという判決は、過越祭でなければおきなかった判決です。過越祭でなければ民衆はこんなに集まらなったし、民衆さえいなければピラトは暴動を恐れずに済んだのです。ローマ総督としての仕事をまっとうするのであれば、ピラトは民衆を無視して自分が信じたとおり主イエスを釈放するべきでした。しかしそんなことをすれば民衆が暴徒化するのは一目瞭然でした。ピラトが最も恐れていたのは、過越祭に民衆の暴動を鎮圧できなかった自らの評判がローマ皇帝に届いてしまうことでした。それはなんとしてでも避けたい。仮に民衆が暴動を起こさなかったとしても、ローマ帝国への反逆罪で訴えられた主イエスを放置した、見逃した、ということで、ピラト自身がローマ皇帝に訴えられてしまうかもしれない。それもまた避けたいことでした。

ピラトは民衆の前で手を洗ってみせて、このことはローマとは関わりがない、ということを宣言するのです。一見すると立派なことを宣言しているかのようですが、実際には負けを認めたのです。民衆に屈することを、民衆の言いなりになって主イエスを十字架刑にすることを認めたのです。ピラトが民衆に自らの負けを宣言するのを聞いた時、最高法院のメンバーは勝利の喜びに酔いしれていました。律法を捻じ曲げて、偽りの証言さえも持ち出して、しかしこれが自分たちの正義だと信じ込んでいましたから、正義を全うして、あのイエスという流行りの人物を亡き者にすることができた。自分たちは何も手を汚すことなく、あたかも民衆が十字架刑を望んだかのように事を進めて主イエスを闇に葬り去ることができた。ローマ側が死刑の執行から死体の後始末まで、何もかもやってくれるのです。自分たちはただの見物人として、ひとつのエンターテイメントとして、十字架刑という名のショーを楽しむことができるのです。ピラトは自らの信念を貫き通して、全てを投げうってまで正義を貫く、ということはできませんでした。しまいには裁判官であることも放棄して、自らの身を守ることを優先するのです。主イエスに罪がないと知りながら、これが公平な裁判ではないと知りながら、結局はピラトは気の小さい人物にすぎなかった。ピラトという人物は、人を脅すことや威圧することにはたけていても、全てをなげうって真理を追究する、という本当の意味での勇気は持ち合わせていなかったのです。

ねたみにとらわれて支離滅裂な裁判を起こした最高法院のメンバーのために。祭司長や律法学者にのせられて、わけもわからずバラバの釈放を要求し、主イエスの十字架を求めた民衆のために。そしてまともな裁判を行うことのできず自己保身に走ったピラトのために。主イエスが全てをなげうってくださいました。主イエスがこの日、金曜日の夕方に失ったのは、命だけではありません。十字架刑は神の呪いを受ける、ということです。呪いと祝福は正反対のものですから、同居することができません。呪いを受けるということは、祝福を失う、ということです。「これがわたしの愛する子」と言ってくださった神さまの愛を失うことです。イエスさまが神さまに愛される権利を放棄することです。

主イエスは私たち愚かな罪人のために全てをなげうってくださいました。このお方が私たちのかわりに全てを失ってくださったから、私たちはもはや、何も失うものがありません。あるとするならば、私たちはもはや神の呪いを失って、体のどこにも神の呪いを受けるという部分はなくて、そのかわりに神の祝福をあふれるほどに頂いているのです。受難節を過ごしています。私たちのために全てを失うことをいとわなかったお方、主イエスの歩みを一つひとつ目にとめて、心に刻みたいと思います。

<祈り>ご在天の父なる神さま。主イエスが十字架にかけられる、その直前の出来事を読んでいます。
主イエスのお姿に目をとめることで、自らの罪を思い起こします。自分の犯した罪から逃げないで、あなたに罪を打ち明けることができますように。そして罪赦された喜びを、多くの方と共に味わうことができますように。この祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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