6月1日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.58.361.404.81.88です。
礼拝説教 使徒16:6~10「福音はヨーロッパへ」 2025.6.1
5月20日~21日と名古屋中央教会で、中部教区総会が開かれました。ここで中部教区の現状と課題が話されました。能登半島地震で被災された能登の教会の現状と今後の展望が話されました。長い期間をかけて取り組む必要性が報告されました。また、各教会の課題として、高齢化による教会員の減少、教会予算の減少、牧師の不足による無牧の教会が増えているということです。総会を通して、厳しい状況ばかりが報告されて、希望につながる話を見つけることは難しいものでした。
使徒言行録では、パウロによる第2回伝道旅行のことに触れています。第1回エルサレム会議が終って、教会の課題が解決されて、教会の歩みは次の段階に行こうとしています。第2回伝道旅行の初めに、パウロはバルナバに、第1回伝道旅行で行った地を訪ねていこうということでスタートしていくのです。悲しいかなマルコを連れて行くかどうかで、激しい議論になって、パウロとバルナバは別行動を取るようになってしまいました。バルナバはマルコを連れて、伝道旅行に出発しました。パウロはシラスを連れて、出発して行きました。第1回伝道旅行で行ったデルベ、リストラに行くのです。リストラではテモテと出会い、パウロの協力者として伝道旅行に同行するようになりました。
今日の聖書の箇所は、パウロの伝道旅行で大きな飛躍がなされていきます。それは、イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに伝えられようとしているのです。聖書地図8、パウロの宣教旅行を見ると、その流れを見ることができます。パウロはアジアからヨーロッパに渡って行きます。その時の様子が書かれてあるのですが、パウロによっては困難なことが続いていたのです。先の見えない状況でした。希望が、目標がまったく見えなくなってしまったのです。
今から、約20年前ですが、東京神学大学主催のパウロの旅を巡る旅行をする機会がありました。今日出て来るトロアスなども行きました。パウロが巡った地を、一緒に巡って行きました。今から2000年前に、パウロが仲間たちと、この道を歩いたのかと思うと、深い感動を覚えたものでした。
6節で、「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊に禁じられていた」とあります。また、7節で「ミシア地方の近くまで行き、ピティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下って行くのです。ここで「アジア州で御言葉を語ることを聖霊に禁じられていた」「ピティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。パウロの使命は、イエス・キリストの福音を世界中に伝えていくことです。だから、パウロの伝道を聖霊が、イエスの霊が助けたといえば、分かります。しかし、それとは反対のことがここでは書かれてあります。聖霊が、イエスの霊が、御言葉を語ることを許さなかったということなのです。いったい、これは何を意味するのでしょうか。
これを解く、1つのキーワードがあります。それは、6節では主語が「彼ら」となっていて、10節では、主語が「わたしたち」となっています。10節の「わたし」とは誰でしょうか。それは、ルカによる福音書とこの使徒言行録の著者のルカ自身です。ここでルカは、初めてパウロの旅に合流したことが分かります。この時になぜ、ルカはパウロの伝道旅行に合流したのでしょうか。ルカは医者でした。これから医者ルカは、パウロの主治医になっていくのです。パウロは大きな病を持っていました。そのことをパウロは次のように書いています。
2コリント12:7~8
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
パウロはここで「わたしの身に一つのとげが与えられました」と書いています。自分の体に一つのとげです。大きな病ということができます。その病気の内容についてはよく分かっていません。この自分の体にあるとげを去らせてくださるように3度祈ったとあります。この病気は、パウロから離れることなく、ずっとあり続けたようです。これは私の感想ですが、この時に、パウロはこの一つのとげが現れて、パウロ自身を苦しめていたということだと思います。
第2回伝道旅行が始まって、パウロはアジア州で御言葉を語ろうとしたのです。しかし、その時に、一つのとげが働いて、パウロ自身は動くことができなかった。病床に伏していたということです。少し回復して、ピティニア州に入って、福音を語ろうとした時に、病気が悪化して、また動くことができなくなってしまった。そのような状態が続いてしまっていたのでしょう。パウロにとっても同行者のシラスやテモテにしても、どうしていいのか分からない状態が続いていたと想像します。パウロは、もしかしたら、自分の死を覚悟したのかもしれません。自分の病気を向き合いながら、どうすることもできない状況の中で、苦難の中に置かれていたのです。そして、パウロの病状を聞いて、医者ルカが呼ばれて来たのです。
トロアスで、病気のパウロのもとにルカが来たことによって、病状は安定し、活動を再開できるようになったのでしょう。新しい伝道の展開が始まっていきます。9節「その夜、パウロは幻を見た。その中のマケドニア人が立って、マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてくださいとって、パウロに願った」と、あります。パウロはこの幻を見て、マケドニア州に渡って行くことを決めたのです。そのようにルカが書いています。マケドニア州とは、ヨーロッパになります。パウロたちがマケドニア州に行くということは、イエス・キリストの福音が、アジアからヨーロッパに伝えられていくことを意味しています。そして、ルカは、この決定は、神が自分たちにマケドニア人に福音を告げ知らせるために召しているのだと確信していきます。
イエス・キリストの福音が、アジアからヨーロッパに伝えられていく。使徒1:8に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」とあるように、神のご計画が、進んでいっていることが分かります。でも、そのためには、パウロ自身は一つのとげと向き合うことになりました。とても辛いことを味わうことになってしまったのです。
この時のパウロの思いを考えると、自分の一つのとげのために、ここで死んでしまうのかもしれない。どうしてと思ったでしょう。この辛い時こそ、パウロは神に「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」とありますように、癒しを神に祈ったのでしょう。でも、神は聞いてくださらなかったのです。一つのとげはなくならないのです。でも、この辛い体験は、パウロの神に対する信仰を深めていったのです。
2コリント12:9~10
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
このように自分の弱い部分を受け入れることができたのでしょう。神の力は弱さの中でこそ十分に発揮されるという確信です。イエス・キリストの福音が、アジアからヨーロッパに伝えられていく。その時に、神はパウロに一つのとげを通して、神に従う意味を知ることができました。医者ルカが加わったこと、これから神はパウロを用いて、イエス・キリストの福音を伝える器として、大いに用いられるのです。
私たちはどうでしょうか。パウロを用いられる神、その神は、私たち1人1人を用いてくださいます。目の前にある様々な課題や困難、人間的に見ていけば希望や前向きに思えることはありません。でも、神の導きを信じて、勇気と希望と信仰を持って、歩んでいく者でありたいと心から願います。
祈り 神よ、あなたをこのように礼拝することができましたことを心から感謝します。福音がアジアからヨーロッパに伝えられていくことをみてきました。この時に、パウロは大いに苦しんでいました。でも、そのような困難を乗り越えて、導いてくださる神を信じて歩んでいく姿をみてきました。私たちもそのような神への信頼と希望と信仰を持って歩む者となることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
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