6月8日の礼拝の内容です。讃美歌は、57.194.343.348.78.27です。
礼拝説教 使徒16:11~15「神をあがめるリディア」 2025.6.8
先週の月曜日の午後のことでした。いつものように1人の姉妹を守山いつき病院を訪ねて来ました。姉妹は、体調がよくない状態が続いていたので心配していました。その日は、私の呼びかけにも答えてくれて、失礼な言い方ですが、まだまだ元気でおられるのだろうと感じて、後をしました。次の日の火曜日の午後は、瀬戸少年院に行き個人教誨をして帰って来ました。すると、まもなく姉妹の家族の方が教会に来て、姉妹が火曜日の午後2時過ぎになくなり、瀬戸市の共栄通りにある伊藤ホールにおられること、そして、家族の方が葬儀を仏式で家族のみで行いたいことを申し出られました。家族の思いが優先ですので、承知しました。前夜式の前に、姉妹に会いに行ってきました。本当に安らかなお顔でした。葬儀に関わることができず残念でしたが、1人の姉妹の人生を振り返るのです。
姉妹は、高齢になって、瀬戸永泉教会に来られました。そして次の年のイースターに家族が同伴されて、洗礼を受けられました。雨の日も晴れの日も、日曜日の礼拝、水曜日の祈祷会と休まずに来られていました。歩くのも大変なのに、ゆっくりと歩きながら教会生活を送っておられました。口癖が「わたしの楽しみは日曜日の礼拝、水曜日の祈祷会です。何よりも楽しみにしています」といっていたことでした。2年前の1月に体調を壊され、陶生病院に入院され、その後、守山区にある建国ビハーラに入所され、今年に入って、守山いつき病院に転院されました。約1年半の間、教会に来ることは叶いませんでした。私は1週間に一度は訪問するようにして来ました。建国ビハーラでは、施設内にインフルエンザが流行って、1ケ月ぐらい行くことはできなかったこともありました。
建国ビハーラを訪ねると、姉妹は「ここでは何もすることがないので、寝ることしかできない」といわれ、寝ていることが多かったように思います。最初のころは、新型コロナウィルス感染症の影響で、面会も予約制でそれも30分と決まられていました。会うのも1階のロビーでした。ここでは施設での生活や家族のこと、思い出話などいろいろな話をすることができました。姉妹は本当に教会での生活を楽しんでおられたと思います。神の国に行くことの楽しみ、すべてを神さまの任せていると安心していたのです。教会での葬儀は叶いませんでしたが、先週の火曜日に、家族からの知らせを受けて、すぐに伊藤ホールに行き、寝ていられる姉妹に手を置いて、神へ祈りをささげることができました。姉妹のすべてを神が御手を持って守り導いてくださいますようにと祈りました。
今日の教会暦は聖霊降臨節、ペンテコステです。イエス様の弟子たちに聖霊がくだり、教会が誕生した日です。弟子たちに聖霊が降ったことによって、イエス・キリストの十字架の意味を理解することができ、聖霊に導かれて、弟子たちは外に出て行き、イエス・キリストの福音を語り始めていくのです。イエス・キリストの福音はユダヤ人へ、そしてユダヤ人以外の異邦人へと語れていくのです。今日の聖書の箇所は、パウロの第2回伝道旅行の様子が書かれてあります。第1回伝道旅行では、特にアジア州を行きました。第2回伝道旅行では、アジアからヨーロッパに、イエス・キリストの福音が伝わっていくことになります。パウロは第2回伝道旅行の途中で、大きな病のために苦しみ、伝道活動が困難な状態になってしまいました。パウロ自身、死を覚悟したと思います。この時にルカがパウロののもとにやって来ました。ルカは、ルカによる福音書とこの使徒言行録の著者です。また、ルカは医者でした。病気に苦しんでいるパウロを助けるためにルカは医者としてやって来たのです。ルカはパウロの主治医になったのです。
このルカの同行もあるのですが、パウロは病気から回復していき、トロアスで1つの幻を見るのです。1人のマケドニア人が立って「マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください」といって、パウロに願っています。パウロはこの幻を見た時に、マケドニアに向かって出発することを決めました。パウロは神がマケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを導いているのだと確認したからです。そして、今日の聖書の箇所です。パウロたちはトロアスから船出して、サモトラケ島に直航し、翌日、ネオポリスの港の着き、そこからマケドニア州の第1区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行ったのです。
イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに伝えられていくのです。ローマの植民都市であるフィリピは小ローマということができます。ローマの地方版のような町であるフィリピです。パウロはこのフィリピの町で数日間滞在していきます。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸まで行きました。パウロの伝道は、新しい町に行った場合、まずユダヤ人の会堂から、その活動を初めていきます。しかし、フィリピにはユダヤ人の会堂はありませんでしたが、ユダヤ人たちが集まっている所、特に川岸が多かったといわれています。その場所に、私は今から約20年前に、東京神学大学が卒業した牧師たちを対象にパウロの旅を企画してくださって、その旅に参加することができたのです。ちょうど、日曜日でしたが、その川岸で、日曜日の礼拝を守ったことを思い出しています。私たちの近くに瀬戸川がありますが、それよりも小さな川です。20数名の牧師たちと一緒に行き、東京神学大学の教授が説教してくださいました。今でも鮮明に覚えています。川の近くに、記念する教会がありました。そこではお土産も売っていたと思います。
パウロたちはユダヤ人が集まっている川岸に行って、集まっていたのは婦人たちでした。パウロはその婦人たちに話をしたのです。そこにリディアがいました。パウロのヨーロッパ伝道の最初の受洗者です。リディアはティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめる人と紹介されています。ティアティラ市は、聖書地図、8パウロの宣教旅行2.3にあります。ティアティラ市からフィリピまでは、地図を見るとかなり離れていると思います。リディアは自分の商売のために、この地フィリピまでやって来ていたのでしょう。当時、紫布は高価で、王族や貴族相手に商売していたと思います。ローマの植民都市のフィリピだから、紫布の需要はあったのでしょう。リディアは、ユダヤ人かと思いましたが、「神をあがめる人」とありますので、異邦人だということが分かります。リディアはユダヤ教に関心があり、ユダヤ教徒のような信仰生活を送っていたのでしょう。
使徒言行録は、リディアはパウロの話を聞いていたが、神が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いたとあります。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたのです。その日その時に、リディアはパウロの言葉を聞いて、神を信じて、洗礼を受けたということです。すごいスピードだと私は思います。それも、リディアだけでなく、家族も洗礼を受けたということです。素晴らしいと思います。どうして、このように早く、洗礼を受けることができるのだろう。それも家族も共にです。この時に、リディアは「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」とパウロにいったのです。パウロだけでなく、ルカたちも含めて招待し、無理やり承知させたとあります。このリディアとその家族の洗礼は、後にフィリピの教会になっていくのです。素晴らしい活動です。
このパウロの初めてのヨーロッパでの伝道活動、マケドニア人の町、ローマの植民都市であるフィリピに、新しい教会が誕生していくのです。ここで伝道することの意味を考えることができます。パウロたちは、洗礼に導かれて、イエス・キリストの福音を語っていきます。もちろん、それを聞いている人たちがいるわけです。パウロが福音を語り、聞いたリディアが信じたということになっていますが、パウロの力ではありません。「主が彼女の心を開かれた」からです。
ここに集まっている私たちも、誰からイエス・キリストの福音を聞いたのです。しかし、その人の力ではありません。神の力、聖霊の力が、そこに働いているのです。その神の力が働いて、その人の心を開かれたのです。人が、イエス・キリストの福音を信じるようになることは、私たちの力ではできないのです。神の力が、聖霊の力が働いて、リディアが、イエス・キリストの福音を信じることができるようになったのです。考えてみれば、使徒2:1~4の聖霊降臨日の時に、聖霊が、弟子たちの上に1人の1人の上のくだったのです。そして、弟子たちは初めて福音の意味を知り、信じることができるようになったのです。初めに話した姉妹も、それと同じです。教会にあって、礼拝の中で語られる聖書の言葉があり、イエス・キリストの福音を聞きました。そして、姉妹の中に、神が、聖霊が働いてくださって、イエス・キリストを信じることができ、信仰生活を送ることができるようになっていきました。姉妹は、今は神の御手にあります。すべては神の御手の中にあります。神が姉妹を守り導いてくださいます。また、悲しみの中にある家族の上に限りない神の憐れみと救いがありますようにと心から祈るのです。
祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。先週、私たちの仲間である1人の姉妹があなたのところに召されていきました。姉妹の今までの歩みを支えて守ってくださったことを心から感謝します。どうか、あなたは姉妹を守り、支え導いてくださいますようにと願います。また、悲しみの中にある家族をも守って導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
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