6月15日の礼拝の内容です。讃美歌は、484.532.566.575.26です。
礼拝説教 使徒16:16~24「救いの道の宣教」 2025.6.15
私たちの教会では、5月と6月に二人の姉妹を神のもとに送りました。生きている者は必ず、死を迎える。分かっていることですが、深い悲しみがあります。姉妹たちが入院している病院や施設を何度か訪問しました。特に召される前には、できるだけ行こうとしていました。年をとっていくこと、病になること、人間としての悲しみといいますか、どうすることもできないことを感じました。また、付き添っている家族の苦しみや悲しみもありました。今、私は愛知国際病院のホスピスに週に一度、行っていますが、入院している患者さんや家族の方と話をすることがあります。自分の病気が分かっていて、その日を待つ日々を過ごしています。いろいろな思いの中にあります。それまでの家族関係が出て来て、いろいろな葛藤の中にある方もいます。私は限られた時間の中での関りですので、十分なことはできていないのですが、最後の日々を穏やかに過ごして欲しいと心から祈っています。
今日の、聖書の箇所は、パウロの第2回伝道旅行の中で、アジアからヨーロッパに福音が伝えられていきます。初めての場所であるフィリピでの伝道で、リディアと家族がイエス様を信じ、洗礼を受けて、教会の基となっていくのです。パウロとリディアとの出会いは、フィリピのユダヤ人たちの祈りの場所である川岸でした。パウロたちは再び、祈りの場所に向かって行く途中で、1人の女性と出会います。それは、占いの霊に取りつかれている女奴隷とルカは書いています。この女性は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていたとあります。考えてみれば、この女性は占いの悪霊に取りつかれていたことと、主人たちがいて、その奴隷であったということです。二重の苦しみを負っていたということです。
私たちは使徒言行録を読んでいますが、ここでも多くの悪霊に取りつかれた人々の苦しみを書いています。病気や障害といった苦しみは、当時と現代と多くは変っていないと思いますが、その考え方は違っていました。使徒言行録の時代は、病気や障害や苦しみは、悪霊の仕業であると考えられていました。病気や障害を持つことは、その人の悪霊が取りついていると考えられていました。なぜ、その人に悪霊が取りついているのかといえば、その人やその家族が罪を犯したからであると受け止められていたのです。少し使徒言行録を振り返りながら、悪霊に取りつかれた人々のことを見ていきたいと思います。
・使徒3:1~2
ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
ここには生まれながらに足の不自由な男が出てきます。毎日、午後3時になると、この男は運ばれて来るのです。それは、神殿に入る人に施しを乞うために、神殿の1つの門で置かれていました。ここでペトロたちと出会い、癒されていきます。生まれながら足の不自由な男、生まれから今まで一度も歩いたことがありませんでした。ペトロはその男に「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」といい、右手を取って男を立ち上がらせたのです。すると、たちまち、その男は足くるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出したのです。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、ペトロたちと一緒に神殿に入って神を礼拝するのです。
・使徒5:15~16
人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。
ここでも、人々は大通りに病人を運び出し、担架や床に寝かせ、ペトロが通りかかる時、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにしています。少しでも病気が癒されるためです。また、人々は病人や汚れた霊に悩まされている人々をペトロのもとに連れて行きます。そこではすべての人々が癒されたとなっています。
・使徒9:33~34
そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。
ペトロはリダという所に行きます。そこで中風で8年間、床についていたアイネアという人に出会います。ペトロが「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。自分の床を整えなさい」といいますと、アイネアは癒され、すぐに起き上がることができました。
・使徒9:36~41
ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
ここにドルカスという婦人の弟子がいました。ドルカスはたくさんの善い行いや施しをしていました。しかし、病気になって死んでしまったのです。多くの人々が悲しんでいました。そこにペトロが呼ばれて来て、ドルカスを生き返らすのです。生き返ったドルカスを見て、人々は喜びにあふれていったのでしょう。
・使徒14:8~11
リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。
ここでは、パウロがリストラで生まれつき足の不自由な男を癒していくことが書かれてあります。使徒言行録だけでなく、聖書には多くの病気や障害で苦しんでいる人々を癒す記事が出ています。その人の取りついている悪霊を追い出すことによって、病気や障害を取り除いていきます。
今日の聖書の箇所に戻りますが、フィリピで出会った占いの霊に取りつかれた女性、その占いによって、主人たちに多くの利益を得させていた。初めにもいいましたが、この女性は占いという悪霊に取りつかれていました。また、主人たちの奴隷でもあったのです。二重の苦しみを背負っていました。その女性はパウロたちの後ろについて来て、次のように叫ぶのです。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と。この女性はこんなことを幾日も繰り返すのです。パウロはたまりかねて振り向き、その占いの悪霊に「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」といいます。すると即座に、悪霊がこの女性から出て行きました。この女性は解放されたのです。占いの悪霊からも、主人からもです。占いができなくなったので、占いによって主人たちに金儲けの望みがなくなったからです。その後、この女性はどのようになっていったのでしょうか。使徒言行録は、その後の女性のことは書いていませんので、分かりませんが、パウロによって癒されて、イエス・キリストを信じて、洗礼を受けて、フィリピの教会に加わっていったのではないと想像します。
このように聖書には多くの病気や障害の癒しの記事があります。この奇跡を通して、イエス・キリストが私たちの罪の贖いをすることができることを示しています。ただ、聖書はすべての人々の病気や障害を癒すことが目的ではありません。イエス・キリストの十字架が、すべての人々の罪を解決することができることを示すために、癒しの奇跡の業が行われているのです。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心かから感謝します。使徒言行録にある様々な病気の人や障害を持っている人の癒しの記事を見てきました。人間に起る病気や障害などの苦しみ、私たちは様々な苦しみや悲しみを背負って生きています。そのような苦しみや悲しみを負っている人々を癒し、解放し、回復してくださる、聖書は様々な癒しの奇跡を書いています。当時も今も、病気や障害を負って人は苦しみ生きています。神には人の病気や障害を癒す力があることを示しています。それは、神の救いの業であるイエス・キリストの十字架が、私たちに完全な罪の贖いをすることができることを教えています。神の愛に感謝して生きることができるように守ってください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
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