6月22日の礼拝の内容です。

礼拝

6月22日の礼拝の内容です。讃美歌は、210.280.394.412.91‣1です。

礼拝説教     使徒16:25~34「あなたの家族も救われます」    2025.6.22

 パウロによる第2回伝道旅行、フィリピでの出来事です。パウロによる第2回伝道旅行は、イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに伝わっていくことが書かれてあります。ヨーロッパの最初の伝道地がフィリピです。このフィリピの町はローマの植民都市でした。マケドニア州にあっても小ローマのような町でした。ここではティアティラ市出身の紫布を商う人リディアという婦人と出会います。このリディアの家がフィリピの教会の土台となっていきます。

 パウロはこのフィリピの町で、占いの霊に取りつかれていた1人の女奴隷と出会います。この女性は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていました。この女性が、パウロたちの後をついて来て、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫ぶのです。この女性は、このようなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と、女性に取りついている占いの霊にいいますと、即座に、霊がこの女性から出て行きました。この占いの霊に取りつかれていた女性は、悪霊からも、主人たちからも解放されていくのです。この女性から占いの霊が出て行ってしまったので、主人たちは金儲けの望みがなくなってしまいました。それまで、主人たちは、この女性を使って、多くの利益を得ていました。それがなくなってしまうことは、大きな痛手になってしまうのです。

 主人たちは、パウロたちを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行きました。そして、パウロたちを高官に引き渡して「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しています」と訴えます。高官たちは、パウロたちの衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じました。そして、何度も鞭打ってからパウロたちを牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じました。この命令を受けた看守は、パウロたちをいちばん奥の牢に入れて、兄には木の足枷をはめておいたのです。

 パウロは、占いの霊に取りつかれていた女性を助けたことによって、激しい鞭打ち、そして投獄と厳しい試練に合わなければなりませんでした。どうして、この時に、パウロは自分がローマの市民権を持っていると主張しなかったのでしょうか。いえば、このような生死に関わる鞭打ちを受けることはなかったのです。パウロは、イエス・キリストの福音を伝えるために、伝道活動をしていました。鞭打ちと投獄、大きな厳しい試練と向き合うことになるのです。通常なら、パウロたちは牢の中で、悩み、悲しみ、希望を失い、絶望の中にいるはずでした。しかし、牢の中で、パウロたちは全く違うことをしていたのです。それは、真夜中ごろ、パウロたちは賛美の歌を歌って、神に祈っていました。他の囚人たちはこれに聞き入っているのです。不思議なことが起っています。どうして、このような賛美の歌を歌うことができたのでしょうか。それは、パウロの神に対する信仰がそうさせたと私は思います。人間的には深い悲しみと悩みがありますが、神を見上げ、イエス・キリストの十字架を見上げることによって、深い感謝と祈りの声と賛美の歌が出て来るのです。

 牢の中で、パウロの行動は素晴らしいものがありますが。これからさらに不思議なことが起ります。これから起こることが、今回の中心的な出来事です。ここに登場してくる牢を監視する看守です。他の聖書の箇所を見ると分かりますが、当時の看守は厳しい労働条件の中に置かれていたのです。それは、囚人たちが逃げてしまうと、仕事していないということで死刑にならねばならないのです。今では想像できませんが、当時はこのような過酷な環境にありました。真夜中のごろ、パウロたちが賛美の歌を歌い、神に祈っているいると、突然、大地震が起って、牢の土台が揺れ動くのです。たちまち牢の戸が皆開き、すべての囚人たちの鎖も外れてしまいます。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとしました。囚人を逃がした看守は、責任を取って、死刑にならなければなりませんでした。この時に、看守は、囚人たちが皆逃げてしまったと思い込み、すぐに、剣を抜いて自殺しようとしたのです。悲しいことです。

 パウロは大声で「自害してはいけない。私たちは皆、ここにいる」といいました。看守は、明かりを持って来させ、牢の中に飛び込み、パウロたちの前に震えながらひれ伏し、パウロたちを外に連れ出して、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」というのです。

 神の働きというのでしょうか。聖霊の働きというのでしょうか。私たちの理解を越えたところで、働かれるのです。フィリピの町では、占いの霊にとりつかれた女奴隷を救いました。更に、ここでは牢を管理している看守とその家族を救いに導こうとされるのです。牢の看守、当時は厳しい労働環境にありました。囚人を逃げしたことで死刑になるという責任を負いながら仕事をしていたのです。その看守に、神からの光が照らされていきます。この看守は、一度、自分の命を捨てたのです。それが救われて、この先に何が待っているのか分かりません。ただ、震えながらひれ伏して、パウロに対して、「先生、救われるためにはどうすべきでしょうか」ということになりました。

 パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と答えます。そして、パウロは看守とその家の人たち全員に神の言葉を語るのです。まだ、真夜中でしたが、看守はパウロたちを連れて行って、打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆、すぐに洗礼を受けるのです。この後、パウロたちを自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜ぶのです。ここに、看守とその家族が、イエス・キリストを信じて、洗礼を受けて、フィリピの教会に加わっていくことになります。

 振り返れば、パウロによって、占いの霊に取りつかれた女奴隷を救ったことで、捕えられ、服を脱がされ、裸にさせられ、激しい鞭打ちを味わうことになり、投獄させられました。いちばん奥の牢に入れられ、足には木の足枷をはめられるのです。激しい痛みと苦しみを味わってしまったのです。自分の命の危機を味わい、この先、どうなるのかさえ分からない状況に追い込まれ、絶望と悲しみしかありませんでした。でも、その絶望と悲しみの中でこそ、神への信仰が深められて、牢の中で神を賛美する歌を歌い、神への祈りをささげることができて、希望を持って進むことができていくのです。

 そして、神によって大きな地震が起って、牢の土台が揺れ動き、たちまち牢の戸が皆開き、すべての囚人の鎖も外れてしまうのです。神の大きな御手が働いています。神の御手は、人間の縛りから解放するのです。この時に、パウロたちは牢から逃げることもできました。しかし、神の御手は、牢の看守の救いにありました。パウロたち囚人が逃げたということで、看守はその責任を取って、死刑が待っているのです。ここでは、そのことを知っている看守は自ら、剣で自殺しようとしました。「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる」と想像することのできなかったパウロの声を看守は聞くのです。看守は牢の中に飛び込み、パウロの前に震えながらひれ伏して、「先生、救われるためにはどうすべきでしょうか」と看守は問うのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」とパウロは答えます。看守とその家族は、パウロを通して、神の救いの言葉を聞くのです。看守とその家族は皆、すぐに洗礼を受けることができました。神は、看守とその家族を救うために、パウロたちを用いたのです。鞭打ちと投獄という厳しい試練を乗り越えて、神の働きが起っています。私たちの想像をはるかに超えた神の働きがここにあります。

 私たちはここで問われています。「神よ、私たちが救われるためにはどうすべきでしょうか」と。パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と答えています。このパウロの答えについて、私たちは苦しんでいます。自分はイエス様を信じて、救われたのですが、家族はまだ救われていないのです。また、家族の救いのためにどうしたらいいのか、分からないのです。家族の救いのために祈っているけれど、祈りの結果が見えてこないのです。ただ、現実はそうだったとしても、私たちは信じたいと願います。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」とのパウロの言葉です。このパウロの言葉は真実だと信じていきたいと思います。神が私たちの家族を救いに導いてくださることをです。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。使徒言行録を読んでいます。ここでは、不思議な神の御業が起っています。信じられないことが起っています。特に、ここでパウロのいった言葉を真実であると受け止めることができる信仰を与えてください。私たちではできないことも、あなたはそれを実現することができる力があることを信じたいと思います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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