9月14日の礼拝の内容です。

礼拝

9月14日の礼拝の内容です。讃美歌は、280.300.433.459.27です。本日、瀬戸市はせともの祭りです。

礼拝説教         使徒18:18~23「パウロの願い」     2025.9.14

 パウロはここで髪を切っています。パウロはどのようなことがあって、自分の髪を切ったのでしょうか。さて、皆さんは髪を切った経験はありますか。髪を切るということに何の意味を見い出すのでしょうか。

 パウロが髪を切ったこと、どのようなことだったのでしょうか。使徒言行録の流れを確認していきたいと思います。パウロによる第2回伝道旅行です。イエス・キリストの福音がアジアからヨーロッパに渡って行きます。パウロはこの第2回伝道旅行で、伝道の大きな成果をあげることができました。その一方で、多くの困難と向き合うことになったのです。フィリピやテサロニケ、多くのユダヤ人や異邦人が福音を受け入れ、洗礼を受けて、教会が誕生し、教会に加わる人々が多かったのです。伝道の困難とは、ユダヤ人からの敵意と迫害です。それは徹底したものでした。フィリピでは、衣服をはぎ取られ、鞭で打たれ、投獄されていきました。その他の地域でもユダヤ人の反対があって、当局に訴えられるということがありました。アテネでは、ギリシャ哲学と対峙し、パウロ自身の知識を用いて伝道していきました。アテネでの伝道は、パウロにとって失敗と感じていました。パウロはアテネ伝道を振り返って「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」といっています。

 コリントへ行った時、パウロの精神状態はそのような衰弱と不安の中にあったのです。コリントでの伝道でも、ユダヤ人たちは反抗し、口汚くののしっているのでした。そのようなユダヤ人に対して、「あなたたちの血はあなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。わたしは異邦人の方に行く」と強く反発してしまっています。パウロの伝道活動を見てみると、よくできるなあと深く感心してしまいます。新しい町や村に行きます。そこにあるユダヤ人の会堂から、伝道を始めていきます。すると、一部のユダヤ人たちは、パウロの語る福音を受け入れる者もおりましたが、多くが敵対し、反発し、迫害していくのです。ユダヤ人からの攻撃によって、命の危機を感じることもありました。そのような伝道活動による危機が次から次へと続いていくのです。普通の精神状態だったら、参ってしまい、伝道活動を続けることができなくなってしまうでしょう。

 実は、パウロもこの第2回伝道旅行の時に、伝道の行き詰まりを感じていたのです。パウロがアテネからコリントへ行った時に、「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」という状況にあったことを前にいいましたが、あのパウロでもそのような弱さといいますか、辛さを訴えているのです。今日の聖書の箇所は、パウロの第2回伝道旅行の終りと、第3回伝道旅行の始まりが書いてあります。パウロはしばらくの間、コリントに滞在していました。次に船でシリア州に行き、途中のケンクレアイでパウロは誓願を立てていたので、髪を切っていきます。次にエフェソに到着し、伝道していきます。パウロはユダヤ人の会堂に入って、ユダヤ人と論じ合っていきます。エフェソの人々はもうしばらく滞在するようにと願いましたが、パウロはそれを断って「神の御心ならば、また戻って来ます」といって別れを告げて、エフェソから船出して、カイサリアに到着し、教会に挨拶するためにエルサレムに上り、アンティオキアに下って行きます。パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガリラヤやフリギアの地方を次々巡回し、すべての弟子たちを力づけていくのです。第3回伝道旅行がスタートしていきます。短い聖書箇所ですが、いったいパウロのこの間、どれくらいの移動をしたのでしょうか。気の遠くなる距離を進んでいるのです。

 ケンクレアイでパウロは誓願を立てていたので、髪を切ったとありますが、これはナジル人の請願をいわれるものです。ナジル人の請願については、民数記6章に詳しく書かれてあります。ナジル人とは、自ら志願して、あるいは神の任命を受ける、ことによって、特別な請願を神にささげることです。よく知られている人物として士師サムソンをあげることができます。ナジル人の誓いとして、強い酒を飲まないこと、髪を切らないこと、死者に触れてはいけないことがあげられています。新約聖書では、洗礼者ヨハネがナジル人として生活していたことを知ることができます。

 パウロはここでナジル人の請願をしたといいました。その請願の期間中は強い酒を飲むことはなく、髪も切ることはなく、過していたと思われます。ちょうどケンクレアイに来た時に、ナジル人の請願の帰還が終ったので、髪を切ったのだと思います。さて、問題はパウロのナジル人の請願ですが、その内容です。パウロはアテネでの失敗を受けて、もう一度、伝道者として初心に帰るといいますか、自分の働きを振り返っていったのだと思います。今までの自分の伝道者としての歩みを振り返って、どうだったのか今後の働きのことなどを神に祈っていたのでしょう。アテネでも失敗といいましたが、本当はそうではなくて、信仰に入った人も何人かはいたのです。アレオパゴスの議員ディオニシモ、またはダマリスという婦人などもそうです。

 コリントに入った時に、パウロを励ますことが起りました。アキラとプリスキラ夫婦との出会いです。彼らはテント造りで同業者でした。パウロは夫婦の家に住み、仕事していました。コリントでユダヤ人の反対もありましたが、会堂長クリスポが一家をあげて、イエス様を信じるようになったことは、パウロにとっての大きな励ましとなったと思います。更に、パウロを支えたのが、神からの言葉です。幻の中で、神はパウロに「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしはあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」といわれたのです。この神の言葉が、パウロを支えたのでしょう。そしてアカイア州の地方総督ガリオンの働きです。ユダヤ人の訴えを退き、パウロの伝道する勇気を与えてくれたのです。また、クリスポの次の会堂長となったソステネの回心です。ソステネはパウロのコリントでも伝道を支える人となっていきます。

 パウロは才能のある人だと思います。自分で多くのことをすることができた人でしょう。もしかしたら、イエス・キリストの伝道も自分1人でできると思ったこともあったかもしれません。しかし、伝道活動を続けていく中で、自分だけの力ではどうすることもできないことを、何度も味わっていくのです。その伝道の挫折の中で、自分の活動を助けてくれる人々が現れて来ます。コリントではアキラとプリスキラの夫婦です。その他にも多くの人々がパウロの協力者として現れて、助けていくのです。この使徒言行録を書いているルカもそうです。パウロが重い病気になった時に、医者として支えていくのです。そして、使徒言行録の記者として、パウロを支えていくようになっていきます。繰り返しになりますが、会堂長クリスポの回心、ガリオンの働き、そして会堂長ソステネです。そして、パウロを励ます神の言葉です。この神の言葉によって、パウロは伝道者として②必要なことを学び、教えられて、よりよい伝道者として歩んでいくのです。新しい思いを持って、神への伝道の旅を続けていくのです。

 私たちはどうでしょうか。瀬戸永泉教会における伝道とは何かと、いつも考えて、悩んでいます。教会学校では、どうしたら、もっと子どもたちが教会学校に来てくれるだろうかと祈りつつ、願いつつ、歩んでいます。教会全体では、高齢化の流れにあります。教会の未来を考える時に、若い人々がもっと教会に来て欲しいと願い、祈っています。そのために、どのような伝道方法がいいのだろうかと工夫し、実践しています。教会学校では教会教師たちが良き奉仕をしてくださっています。教会学校に来ている子どもたちに丁寧に触れ合っています。また、教会では、長老の方々が、教会の大切な役割を担ってくださいます。また、伝道委員会や整備委員会などで、教会の伝道を、教会の整備に力を注いでくださいます。簡単にいい切れませんが、教会に来ている方々の存在によって、教会の歩みは進んでいます。教会の皆様の働きに深く感謝しています。

 そして、私たちの瀬戸永泉教会の歩みを導いてくださる方がおります。神ご自身です。天地創造の神は、私たちを造り、教会を建て、そして、イエス・キリストの十字架を通して、私たちに完全な罪の赦しを与えてくださいます。神の導きを信じて歩んでいきたいと願います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを深く感謝します。パウロの請願による髪を切ることから、パウロの思いや信仰の歩みを振り返り、私たち自身の信仰生活をみてきました。私たちが、何に頼って生きていくのかを、あなたの御言葉と導きを信じていくことができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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