10月19日の礼拝の内容です。

beach during sunset 礼拝
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10月19日の礼拝の内容です。讃美歌は、211.394.405.436.26です。

なお、午後のガン哲学外来の講演会もオンライン配信する予定です。

礼拝説教       使徒19:21~27「パウロを導かれる神」    2025.10.19

 今日は、瀬戸永泉教会創立137周年記念日の礼拝です。多くの信仰者によって、私たちの教会は支えられて、今日まで歩んで来ることができました。まず、そのことに感謝したいと思います。何よりも神が、この瀬戸の地を愛し、イエス・キリストの福音の種を、信仰者を用いて、蒔き続けて来てくださいました。戦争という困難な時代もありましたが、その危機も乗り越えて歩みを続けて来ることができたのです。神の導きに深く感謝したいと思いますし、瀬戸永泉教会に今まで関わってくださった多くの信仰の先輩方の支えと導きに感謝するのです。ここいる私たちは、今もそしてこれからも、この教会を通して、この瀬戸の地にイエス・キリストの福音の種を蒔き続けていきたいと心から願います。

 私は、日曜日の礼拝で、使徒言行録を読んでいます。この書は、キリスト教の初期の時代のことが書かれてあります。ここから私たちの教会の歩みついて多くのことを学ぶことができます。使徒言行録の最初に、次のような聖書の箇所があります。

使徒1:8

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

この聖書の言葉によって、イエス・キリストの福音は、エルサレムから始まって、全世界に伝えられていくのです。その流れに、私たちの教会の歩みもあるのです。今日の聖書の箇所は、伝道者パウロの第3回伝道旅行のことが書かれてあります。エフェソの町での様子が書かれてあります。今日は特に、次の聖書の言葉からパウロの伝道の思いを受け止めていきたいと思います。

使徒19:21

このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。

 この個所から、今後のパウロの伝道の歩みを見ることができます。パウロは、エルサレムから始まったイエス・キリストの福音が当時の世界の中心であるローマまで伝わって行くことを願っていました。パウロは第3回に渡る伝道旅行をまもなく終えようとしています。最後にエルサレムに行くことを計画し、次にローマに行くことを考えていました。それは、この使徒言行録の流れを見ていくと分かりますが、この後、パウロはエルサレムに戻り、ユダヤ人に捕まってしまいます。そして、パウロは囚人としてローマまで行き、そこでこの使徒言行録は終えています。

 パウロの伝道者の歩みから見ていきましょう。パウロは、この使徒言行録で3回に渡って、自分の回心を語っています。最後の場面が使徒26章です。パウロは囚人としてエルサレムからカイサリアに連れて来られました。この時にアグリッパ王に対して、自分の歩みことを語っています。自分はユダヤ教の中で最も厳格なファリサイ派の出身であること、キリスト教に反対し、キリスト教徒を迫害していたことを語ります。その迫害の中で、ダマスコに向かう道の途中で、真昼の天からの光を見たこと、太陽よりも明るく輝いて、自分の周りの者を照らし、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と声があり、パウロは「主よ、あなたはどなたですか」と申しますと、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立て、これからあなたはわたしの証人となる」といわれて、迫害者から伝道者になったことを告げるのです。

 ダマスコでのイエス様との出会いによって、パウロの伝道者としての歩みが始まりました。パウロの伝道者としての歩みは大変なものでした。イエス・キリストの福音を伝える大変さ、特に、同胞であるユダヤ人からの迫害は、パウロを苦しめ、命の危機すら何度もあったのです。それでも、パウロは神に励まされ、仲間から支えられて、伝道の歩みを続けていくことになるのです。忘れることはできないのですが、パウロ自身、自分の伝道の厳しさと苦しさを次のように表現しています。

2コリント11:23~28

苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。

 ここを読んだだけで、いかにパウロの伝道が厳しいものであったのかと思います。それでも、パウロはイエス・キリストの福音の伝道のために、前を向いて歩もうとしています。それは、パウロのローマ行きの希望がそうなのです。この時に、どうしてローマに行きたいと思っていたのでしょうか。この時に、すべてにパウロがローマに行く前にすでに、教会は誕生し、キリスト者の存在があったことを、パウロの書いたローマ書から知ることができます。だから、イエス・キリストを伝道するという意味では、行く必要はなかったと思われます。

 実は、パウロには次の計画がありました。当時の地理は地中海世界だったと思います。今のような世界地図はありません。地中海世界は全世界でした。パウロは、アンテオケ教会を基地として、3回に渡る伝道旅行を行って来ました。まだ、世界地図では半分でした。左側は、伝道して行ったと思いがパウロにはあったのでしょう。パウロの計画していたのは、右側です。まだ伝道がいっていない地でした。そこへの伝道を計画して行ったのです。その伝道の拠点として、パウロが考えたのがローマでした。パウロはその思いを次のように語っています。

ローマ15:22~24

こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。

 イスパニアとは今のスペインです。パウロのイエス・キリストの伝道は、ここまで計画があったのです。でも、それは実現することはありませんでした。伝説によるとパウロはローマで殉教したといわれています。ローマにまで行くことはできたのですが、その先に進むことはできなかったのです。でも、パウロの伝道への思いがいかに強かったのかを知ることができます。私はこのパウロの思いを知った時に、圧倒されました。どうして、ここまでも思いを持つことができたのだろうか。あれほど、苦しい伝道生活だったのも関わらず、それを乗り越えて、世界へ、イエス・キリストの福音を伝えていきたいという思いが強かったのです。聖霊の力でしょうか。神の力、そのものだと私は信じます。

 パウロはローマでその歩みを終えることになりますが、次のパウロが現れていき、イスパニアへの伝道がなされていくのです。そして、次のパウロが起こされて、ヨーロッパへ、アフリカへ、アジアへ、アメリカ大陸へ、イエス・キリストの福音が伝えられていったのです。その流れの中に、日本への伝道。愛知県瀬戸市への伝道とつながって、私たちの教会である瀬戸永泉教会が誕生していったのです。

 私たちは教会創立137周年を迎える時に、何を思うのでしょうか。今は、教会の危機が叫ばれています。教会員の高齢化、教会会計の減少、教会学校の生徒の減少、人間的な目で見えると、教会の成長の期待は出て来ません。でも、本当に伝道するのは、私たちではなくて、聖霊自身です。もっといえば、神ご自身です。聖霊が働いてくださることを信じて、私たちは138年の歩みを始めていきたいと思います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。私たちの教会は創立137周年を迎えることができました。多くの信仰者の歩みによって、私たちの教会は守られて、支えられて歩んで来ることができました。信仰の先輩方に感謝します。何よりも、あなたの導きと守りに深く感謝します。どうぞ、これからの瀬戸永泉教会の歩みを守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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