3月8日の礼拝の内容です。讃美歌は、280.298.471.475.26です。
礼拝説教 使徒21:27~36「主の道を歩むパウロ」 2026.3.8
パウロはエフェソの長老たちに次のように語りました。「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使徒20:22~24)
伝道者パウロは、第3回伝道旅行の最後にエルサレムに行きました。そこでは、パウロ自身が自分の言葉でいったこと通りのことが起きようとしています。パウロらの伝道活動によって多くの異邦人が、イエス・キリストの福音を受け入れ信じることができました。ユダヤ教から始まったキリスト教が、ユダヤ人から異邦人に伝えられていったのです。そこにはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の2つのグループができてしまったのです。イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝わっていく中で、越えなければならない壁がありました。それは割礼やモーセの律法をどのようにするかということでした。その問題を解決するために、使徒15章で、エルサレム会議が開かれて解決していくのです。エルサレム会議の結果として、異邦人キリスト者が救われるためには、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。これらを守ることが求められているのです。割礼やモーセの律法などはその条件に入っていません。しかし、それは異邦人キリスト者の場合であって、ユダヤ人キリスト者の場合が、そうではなく、割礼やモーセの律法をどのように受け止めるかが大切になっていたのです。
パウロがエルサレムに来て、この問題が浮上して来ています。パウロ自身のエルサレム行きは、どうしても自分自身が成し遂げたい課題でした。それは、貧しいエルサレムの教会のために、異邦人のキリスト者たちから献金を集めていたからでした。きっと多くの献金が集まったのでしょう。そのために、責任としてどうしても自分自身の手で、エルサレム教会へ届けたかったのです。エルサレム教会に到着したパウロたちを教会の人々は喜んで迎えてくれました。パウロはエルサレム教会の指導者だったヤコブに会いに行きます。パウロは挨拶をすませてから、自分の働きを通して、神が異邦人の間で行われたことを詳しく説明していきます。これを聞いた人々は皆、神を賛美しました。そこでヤコブの口からは、パウロの働きに対する懸念があることを正直に伝えています。「あなたが知っている通り、幾万人のユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされていることは、異邦人の間にいるユダヤ人に子どもに割礼を施すな。慣習に従うなといってモーセから離れるように教えている」ということです。
そこで、この懸念を晴らすために、自分たちの中で誓願を立てている者が4人いる。この人たちを神殿に連れて行って、一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出して欲しい。そうすれば、聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。パウロはヤコブの申し出を受けて、そのようにしていきます。ユダヤ人キリスト者からの誤解を解くためです。7日の期間が終ろうとしていた時、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけます。パウロのヤコブからの申し出を受け止めた結果として、厳しい状況が起って来ます。
アジア州から来たユダヤ人とは、主にエフェソから来たユダヤ人たちだったといわれています。その頃、エルサレムでは七週の祭り、ペンテコステが盛大にお祝いされていました。多くのユダヤ人たちが、この祭りを祝うために世界中から来ていたのです。アジア州から来たユダヤ人たちは、全群衆を扇動して、パウロを捕らえ、次のように叫びます。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法を無視することを、至る所で誰にでも教えている。その上、ギリシャ人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」と。彼らはエフェソ出身トロフィモが都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだと思ったからです。
当時のエルサレムには、ヘロデが建てた神殿がありました。神殿にはいくつかの庭があったのです。最初に、異邦人の庭、ここはすべての人々が入っても許されていた場所でした、次に、婦人の庭、男子の庭、祭司の庭となっていました。異邦人は、次の婦人の庭には入ることが許されていませんでした。入った者は死刑になるのです。パウロ自身はギリシャ人のトロフィモを境内に中に入れたことはないのですが、誤解として入れたとユダヤ人たちは思ってしまったのです。それで、エルサレム全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出しました。そして、神殿の門はすべて閉ざされました。ユダヤ人たちはパウロを殺そうしていたのです。この時ほど、パウロは自分の命の危機を感じたことはなかったでしょう。パウロの予言通りにことは起ってしまったのです。
当時、エルサレムにはアントニア城がありました。ここではユダヤ人の祭りの度ごとに、ローマ軍が、絶えずエルサレムを監視していた場所でした。エルサレム中が混乱の状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届きました。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけます。群衆は、千人隊長と兵士を見ると、パウロをなぐるのをやめます。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じます。そして、パウロが何者であるか、また、何をしたのかを尋ねます。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てています。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵舎に連れて行くように命じます。パウロが階段に差し掛かった時、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは、パウロを担いで行かなければなりませんでした。大勢の群衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからです。
エルサレムに着いたパウロを待っていたものは、パウロ自身が語った内容の通りになってしまいました。エルサレムの神殿の中の境内に異邦人を連れて入ってしまったという誤解から、逮捕されて、殺されそうになっていきます。このままいけば、パウロは命を落としてしまったのでしょう。しかし、そのパウロを助けた者がいます。ローマ兵です。何とパウロは、同胞のユダヤ人から殺されそうになり、異邦人のローマ兵から命を救われたのです。ローマの千人隊長は、パウロを助けることが目的ではなくて、エルサレムの混乱を治めることが目的で行動して行きます。その流れで、パウロはローマ兵から助けられたのです。
パウロの伝道活動、今までの3回に渡る伝道旅行は、ある程度自由に行動することができました。このエルサレムで、ユダヤ人から逮捕されて、殺されそうになった時に、ローマ兵が駆けつけて助けられました。ユダヤ人から殺されそうになりましたが、ローマ兵の保護があって、命の危機を乗り越えることができていきます。しかし、これから先は、囚人としてのパウロの歩みとなっていきます。使徒言行録の流れでは、パウロはローマ兵の保護のもとで、ローマに行くことになります。ローマの市民権を持つパウロは、その特権を生かして、ローマにいるローマ皇帝でのもとで裁判を受けるということになります。そのために、パウロはローマまで護送される流れとなります。囚人パウロとしての歩み、ユダヤ人から命を狙われていきますが、ローマ兵の保護があって、パウロは歩みを続けることができていきます。
そして、ローマ行きへの旅が始まっていきます。厳しい旅であり、困難な旅となっていきます。でも、神はパウロを守り支え、ローマへの旅を守っていくことになります。イエス・キリストの福音は、当時の世界の中心地であるローマまで伝わっていくことになるのです。
2月22日の臨時教会総会が終りました。次の長老が選ばれ、次年度予算が承認されました。新しい歩みが始まっていきます。今、日本は少子高齢化の波の中にあります。その流れは、私たちの教会の歩みにもつながっています。今後の教会の歩み、教会員の減少、教会予算の減少などの厳しい状況が待っています。そうだからこそ、私たちは神への希望を捨てず、明るい希望を持って歩んでいきたいと願うのです。厳しい現実があっても、神はその状況を明るい希望に変えてくださることを信じて歩んで行く者となりたいと思います。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロのエルサレムでの困難な状況をみてきました。そこには、ローマ兵によって助けられるという希望がありました。私たちには様々な限界があることを知っています。でも、あなたは、その限界を超えて、大いなる働きをしてくださるお方です。神を信じて歩む者でありたいと改めて思うのです。神への希望を持って歩むことができますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


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