5月3日の礼拝の内容です。

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5月3日の礼拝の内容です。讃美歌は、210.56.430.458.81.91‣1です。

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礼拝説教    使徒22:22~29「キリストを信じる奇跡」    2026.5.3

 使徒言行録は、イエス・キリストの福音が、エルサレムから始まり、当時の世界の中心だったローマにまで伝わっていくことが書かれてあります。神の御心は、イエス・キリストの福音がすべての人々に伝えられていくことです。

使徒1:8

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

 まさしく、この言葉が実現していくことが書かれてあります。さて、私たちの教会の働きも、イエス・キリストの福音を瀬戸の地域の人々に宣べ伝えることです。私は教会の牧師として働いていますが、不思議に思うことがあります。教会に来ている方が、いろいろな思いがあって、「私はイエス・キリストを信じていきたい、洗礼を受けたい」といわれることがあります。今まで信じることがなかった人が、イエス・キリストを信じていきたい、洗礼を受けたいと願うこと、どうしてなのだろうと思うのです。

 今日の聖書の箇所を見てください。パウロがユダヤ人たちに向けて話しました。パウロ自身が、ユダヤ教徒からキリスト教徒に変っていくのですが、パウロ自身がユダヤ教徒で、かつてキリスト教徒を激しく迫害し、攻撃していた時がありました。そのことはパウロ自身、忘れることのできないことでした。そこで、パウロ自身はキリスト教徒としてユダヤ人への伝道を願っていたことを書いています。しかし、パウロの伝道者としての歩みの中で、イエス様はパウロに、ユダヤ人ではなく、異邦人への伝道への導こうとしています。行け。わたしはあなたを遠く異邦人のために遣わすのだといわれるのです。

 使徒言行録を読んでいると、まず、イエス・キリストの福音はユダヤ人から伝えられていきます。そして、ユダヤ人から異邦人へと伝えられていくのですが、ユダヤ人にユダヤ教徒に、イエス・キリストの福音を伝えることの難しさを感じます。今日の聖書の箇所で、パウロの話をここまで聞いていた人々は、声を張り上げて「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」といい、彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどになってしまったのです。

 ユダヤ人たちは、神の救いは自分たちだけに与えられていると信じていました。自分たちが神に選ばれて、神の民とされていると信じていたのです。その上で異邦人が救われるためには、ユダヤ教徒となって、モーセの律法を守り、割礼を受けることでした。それが、イエス・キリストの救いは、ユダヤ人が信じないので、異邦人に救いが与えられているとパウロがいったので、強い拒否反応をして示しています。

 使徒言行録の中で、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝えられていく過程があります。特に、使徒10章のローマの百人隊長コルネリウスの場面です。コルネリウスも熱心に神を信じていて、ユダヤ教徒のような生活をしていたことが書かれてありました。ここではペトロが聖霊によって遣わされていますが、ペトロはある幻を見ます。それは、天が開いて、大きな布のような入れ物が、四隅に吊るされて、地上に下りて来るのです。その中にはあらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。そして、ペトロに「ペトロよ、身を起して屠って食べなさい」というのです。しかし、ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と答えています。ユダヤ教徒は、食べ物で、清い物は食べて、汚れた物は食べることはできませんでした。そのことをずっと守って来たからです。しかし、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたはいってはならない」という声がありました。このようなことが3度もあったのです。この聖霊の導きがあって、ペトロは異邦人であるコルネリウスをキリスト者として受け入れることができるようになったのです。

 パウロ自身もそうでした。パウロは自分が語っているように、熱心なユダヤ教として歩んでいたのです。パウロはキリキア州のタルソスで生まれました。そして、エルサレムに留学して教師ガマリエルのもとでユダヤ教の律法について厳しい教育を受けて来ました。パウロ自身、熱心に神に仕えて来ました。最初、パウロはキリスト教徒を迫害し、男女を問わず、縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。パウロはエルサレムばかりではなく、ダマスコにまで行って、キリスト教徒を捜し、縛り上げてエルサレムへ連行して処罰するために出かけて行きました。そのために大祭司や長老たちからの許可の手紙をもらい、行動していました。

 そのパウロにイエス様が声をかけます。旅を続けていたパウロを、天からの強い光が照らすのです。時は昼頃でした。日中ですから、周りは明るいはずでした。その明るさよりもはるかに強い光がパウロを照らしたのです。パウロは倒され、「パウロ、パウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞くのです。パウロが「主よ、あなたは誰ですか」と尋ねると、「わたしはあなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがありました。パウロが「主よ、どうしたらよいでしょうか」と聞くと、主は「立ち上ってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」といわれました。パウロはその光の輝きのために目が見えなくなっていました。一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入って行きました。

 ダマスコでは、キリスト者アナニアが待っていました。アナニアは律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。アナニアはパウロの側に来て、「兄弟パウロ、元どおり見えるようになりなさい」といわれると、パウロはアナニアが見えるようになったのです。アナニアはパウロに「神があなたをお選びになった。イエス・キリストと出会い、信じるようになり、見聞きしたことを、すべての人に対して、その証人となる者です。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。イエス様の名前を唱え、洗礼を受けて、罪を洗い清めなさい」と告げました。

 更に、イエス様はパウロに、ユダヤ人への伝道者としてではなくて、異邦人への伝道者として導かれるのでした。パウロがユダヤ人への伝道にこだわっていたことを無視して、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」と強くいっています。このように聖霊は、イエス様はパウロをユダヤ教徒からキリスト教徒へと変えられていきます。更に、キリスト教への迫害者から伝道者と変えられていきます。

 「異邦人へ。イエス・キリストを宣べ伝えていく」といったパウロに、ユダヤ人たちは強い抵抗を示し、それに気づいたローマ軍の千人隊長は、ユダヤ人がどうしてこれほどパウロに対してわめき立てるのかを知るために、鞭で打ち叩いて調べるように指示します。ローマの鞭打ちは厳しいもので、命を落とすかもしれないものでした。その時に、パウロは自分が、ローマの市民権を持っていることを告げるのです。ローマの市民であることは、当時特権でした。まず、裁判にかけずに鞭打つことは許されていないことでした。もし、このことが判れば、そのことを行った者が強く罰を受けることになっていたのです。パウロがローマの市民権を持つ者であることを告げたことによって、鞭打ちを免れて、次に進むことができていきます。この後、パウロは囚人としてローマにまで行くことになります。

 人がイエス・キリストの福音を信じることは簡単なことではないことをみてきました。ペトロもパウロにしてもそうでした。私たちは、ここで改めて、神の力である聖霊の働きをみるのです。使徒言行録2章の聖霊降臨日を思い出します。聖霊が、イエス様の弟子たちの上に注がれました。そこで初めて、弟子たちはイエス・キリストの福音を信じることができたのです。人間の知恵ではできないことです。しかし、聖霊は、人にイエス・キリストの福音を信じさせることができるのです。私たちの教会に聖霊が働いています。私たちがイエス・キリストの福音を信じることができています。そして、信仰生活を送ることができています。それが、聖霊の働きです。そして、人に働きかけてくださっています。イエス・キリストの福音を信じることができるように導いてくださっています。

1コリント12:3

ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、誰も「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。

 ここにあるように、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」といえないのです。つまり、イエス・キリストを信じる者はすべて聖霊が働いているといえるのです。私たちの教会が、聖霊が豊かに働いてくださっていることに感謝したいと思います。

祈り あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。聖霊によらなければ、だれもイエスは主であるということができないとあります。イエスが主であるということができるのは、自分の力ではなく、まさしく聖霊の働きです。イエス・キリストの福音を信じることができることはまさしく奇跡そのものです。聖霊の働きに感謝します。この感謝をイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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