5月10日の礼拝の内容です。

礼拝

5月10日の礼拝の内容です。讃美歌は、475.484.563.579.24です。

礼拝説教      使徒22:30~23:5「神の前に生きる」     2026.5.10

 今日は母の日です。お母さんありがとうという日です。この母の日を巡ってあることを思い出しました。かつて私が勤めていた平和学園では幼稚園がありました。幼稚園では母の日とはいわず、感謝の日としていたのです。その理由は、子どもたちの中にお母さんがいない、また近くの養護施設から子どもたちが来ていたこともあります。母の日にお母さんがいない子どもたちを配慮するためにそのようにしていたのです。私たちの周りにはいろいろな人がいます。配慮を持って関わることができればいいと感じます。

 私たちはイエス・キリストと出会い、キリスト者となりました。また、イエス・キリストとの出会いを求めている人もいます。キリスト者として生きることを考えていきたいと思います。

 使徒言行録は、キリスト教の最初の歩みが書かれてあります。今は、後半の部分を読んでいます。使徒パウロによって、キリスト教の伝道がなされていきます。パウロはこれまで3回に渡る伝道旅行をしていました。旅の最後に、エルサレムに行ったのです。エルサレムに着いたパウロを待っていたのは、ユダヤ教徒からの激しい迫害です。パウロはエルサレムの神殿を行き来していました。その様子を見ていたユダヤ人たちは、パウロが異邦人を神殿に入れたと誤解してしまいます。神殿の聖なる場所に、異邦人は入ることが許されていませんでした。死罪になるくらい重い罪だったのです。もちろんパウロ自身そのようなことをしないのですが、ユダヤ人のパウロに対する思いからそのような誤解が生まれてしまったのです。エルサレム市内で、パウロはユダヤ人に捕まり、殴られ、殺されそうになりました。

 エルサレムが混乱していると知らせがローマ軍に知らされ、すぐに軍を出動させ混乱を収めるのですが、ローマ軍はユダヤ人の手からパウロを守ることになりました。パウロはローマ軍によって守られて、命拾いしました。助けられたパウロは、今度は、自分を殺そうとしていたユダヤ人たちに向かって話し始めます。ローマ軍の許可を受けてですが、話の内容は、パウロの回心のことでした。かつて、自分は熱心なユダヤ教徒であったこと、キリスト教徒に対する迫害者として行動していたこと、しかし、ダマスコ途上でイエス様と出会って、キリスト者となり、伝道する者に変えられたことです。その流れの中で、パウロ自身はユダヤ人に対する伝道を考えていたけれども、イエス様がユダヤ人ではなく、異邦人へ行って伝道するようにと導くことを話します。

 その異邦人への救いという言葉がでたことによって、ユダヤ人は激しく抵抗します。ユダヤ人は自分たちだけが神の選民だと信じていたからです。再び暴動が起りそうになって、ローマ軍の千人隊長はパウロを縛って鞭打ちで、罪状を明らかにしようとしましたが、この時に、パウロ自身がローマの市民であることを訴えて、鞭打ちを逃れることができました。でも、千人隊長はパウロの罪状を知るために、次の日に、ユダヤ人の最高法院を開くようにしました。ユダヤ人の最高議決機関を開いたのです。そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つけて、「兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前に生きてきました」といいます。すると大祭司アナニアは、パウロの近くに立っていた者たちに、パウロの口を討つように命じます。パウロは大祭司に向かって「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に背いて、わたしを打て、と命令するのですか」といいます。近くに立っていた者たちが「神の大祭司をののしる気か」といいます。パウロは「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに、あなたの民の指導者を悪くいうなと書かれてあります」と答えます。

 パウロとユダヤ人の最高法院の人たちとのやり取りの中で、パウロ自身何を考えていたのでしょうか。パウロ自身、深い後悔の中で歩んでいたのではないかと私は考えるのです。その深い後悔とは、かつてパウロ自身は熱心なユダヤ教徒として歩んでいました。使徒言行録も書いてあるように、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人であり、エルサレムに留学し、ガマニエルのもとで律法について厳しい教育を受けて育ちました。自分を迫害するユダヤ人と全く同じだったのです。熱心に神に仕えていました。キリスト教徒を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしてしまったのです。大祭司も長老会全体も、パウロのことを証明することができるほどでした。この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までももらい、その地にいるキリスト者を見つけ縛り上げて、エルサレムへ連行して処罰することをしようとしていました。

 このパウロの過去といいますか。このことはパウロ自身深い後悔が残っていったと私は思います。後に、イエス様と出会い、天からの強い光に照らされて、キリスト者として変えられ、ダマスコでキリスト者アナニアとの出会いがあり、伝道者としての歩みがスタートしていきます。キリスト者に変えられたパウロは、キリスト教の伝道をしながら、ユダヤ人からの厳しい迫害や攻撃を受けて行きました。何度か命の危機を感じた時もありました。更に、ここエルサレムで、ユダヤ人からの厳しい攻撃にさらされているのです。もし、ローマ軍の保護がなければ確実にパウロは命を落としていたでしょう。そうであっても、パウロ自身、自分を殺そうとするユダヤ人たちに、かつての自分を重ねて見ているのです。自分もかつてはそうだった。彼らを同じだったという思いです。

 パウロはかつてエルサレムの神殿で、イエス様に祈っていました。その時のイエス様の言葉は「急げ、すぐにエルサレムから出て行け。なぜなら、イエス様についてパウロが証しすることをユダヤ人たちが受け入れないからだ」というものでした。パウロは反論して「イエス様、わたしが会堂から会堂へと回って、キリスト教徒を投獄したり、鞭で打ち叩いたりしていることを、この人々は知っています。ステファノの殉教の時、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着も番もしていたのです。だから、私はユダヤ人たちのところにいって、伝道したいのです」と訴えています。しかし、イエス様は「行け。わたしはあなたを遠く異邦人のために遣わす」というのでした。それでも、パウロは「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ9:2~3)とさえいっています。

 人生にはどうすることもできないことがあります。キリスト教を信じている者は、当然ですが、キリスト教が絶対だと思っています。一方でユダヤ教徒は、ユダヤ教が絶対だと思っています。キリスト教とユダヤ教とどちらが正しいのかと問うと、お互いに自分たちの正しさを主張し、相手が間違っていると攻撃するようになってしまいます。その矛盾が、このパウロとユダヤ人の最高法院の人々の間で起っているのです。自分が正しいことを主張すると、相手を攻撃することになります。その人の正しさが、相手を傷つけることになるのです。

 私たちの生き方にも関わってくることがあります。私たちは人と人との関りの中で生きています。それぞれがいろいろな正しさを持っていて、生きています。その正しさが相手とぶつかった時に、争いや憎しみや敵対関係が生まれてしまいます。それは仕方のないことなのでしょうか。特に宗教に関わることは大きなことです。

 マザーテレサという人を知っていると思います。彼女の働きの中で、死を待つ人のホームというのがあります。今にも死にそうな人々をそのホームに連れて来て、最後の手当てをします。「あなたは大切な人です」と心を込めて、看護し、見送るのです。死んだ後で、その人の宗教で葬儀をしていくのです。ヒンズー教徒にはヒンズー教の葬儀をしていくのです。仏教徒には仏教で葬儀をしていきます。相手の立場を尊重していく姿がそこにありました。

 私たちがキリスト者として生きることで、信仰を大切にしていくことは必要です。日々の信仰生活は、私たちの日常生活をより豊かなものとすることができます。また、そうでない者もいます。そうでない者も、それぞれ大切なものを持って生きています。その大切なものを、私たちは尊重して生きていきたいと思うのです。神の前で、そのように生きていきたいと願います。

祈り 神よ、あなたをこのように礼拝することができましたことを心から感謝します。あなたと出会い、イエス様を信じて生きていくことができることをうれしく思います。人生の終りまで、この信仰を待全うすることができますように導いてください。また、周りには、あなたを信じることのない人々も多くおります。それらの人々にあなたのことを伝えることができますように、また、その人々の思いや存在を大切にすることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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