5月17日の礼拝の内容です。

underwater photography of ocean 礼拝
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5月17日の礼拝の内容です。讃美歌は、56.175.200.402.26です。

説教      使徒23:6~11「勇気を出しなさい」     2026.5.17

 私たちは毎日毎日と慌ただしく過ごしています。ゆっくりと過ごす余裕もなく、時間に追われて過ごしているのでしょう。皆様はいかがお過ごしでしょうか。いやいや、私はゆっくりと過ごしている、何も時間に追われているのではないと考えている人もいるでしょう。また、どちらか分からないと思う人もいるでしょう。私たちに日常生活はそれぞれ違う流れの中にあるから、他人と比較することは難しいと思います。何も変わらない日々がどれだけ素晴らしいものかを考えながら生活しています。

 2年前の1月1日に能登半島地震が起りました。どのようなものだったのかは皆様、御存知だと思います。ちょうど、2年前のことですが、石川県のボランティアバスに乗って、石川県珠洲市に行ってきました。日曜日の夜に、名古屋を深夜バスで出て、早朝に金沢駅に着きました。多くのボランティアが集まって、各方面のバスに乗って行きます。私は珠洲市行のバスに乗りました。どれくらい時間がかかったのでしょうか。道路もまだいろいろな所で、修復工事を行っていました。珠洲市の災害ボランティアセンターについて、いくつかの場所に振り分けられて、ボランティアに行くのです。軽トラックや自動車に乗って、現地に向かいます。大きな家でした。壊れた家の中の家財を取り出し、集積場に持って行くことが活動の内容でした。限られた時間の中での活動でしたが、家の方が一緒にいてくださって、作業が進んで行きます。作業しながら家の方が、地震の当時のことを話してくださいました。ちょうど新年が始まったばかり、家族や親せきが集まって、団らんしていた時に、突然の揺れが来て、その後、大変な状況が続いていくとものでした。地震は突然に、人々の穏やかな日常生活を奪ったということになります。活動が終ってセンターに帰って行く時に、海岸線を通りますと、壊れて倒れた家が多くあり、心が痛みました。

 私たちに人生にはいろいろなことが起って来ます。まさかと思うことが突然に起って来るのです。地震などの天災もそうですが、突然の病気や事故などがあります。その他いろいろあります。いつもと変わらない穏やかな日々を、私たちは望みますが、そうはいかないことがまた、私たちの日常生活そのものです。

 礼拝では使徒言行録を私は読んでいます。イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心であるローマにまで伝わっていくことが書かれてあります。使徒言行録の後半は、特に伝道者パウロのことを中心に書かれてあります。熱心なユダヤ教徒としてパウロは成長していきました。外国で生まれ、若い時にはエルサレムで律法を有名な教師ガマニエルのもとで厳しく教育を受けたのです。熱心なユダヤ教徒であったパウロには、新しく始まったキリスト教は間違った教えだと受け止め、この教えを広めさせないために迫害し、攻撃し、逮捕し、時には殺したりしたのです。キリスト教徒を迫害することが神の御心に適ったものだと信じて疑う余地はありませんでした。熱心なキリスト教迫害者として名が知られていたようです。

 そのパウロがダマスコ途上で、イエス・キリストと出会って、新しいものと変えられていくのです。イエス・キリストとの出会いは、パウロ自身の人生の中でも、特に大きな出来事だったと思います。パウロはキリスト教を迫害する者から伝道する者として大きく変えられていくのです。周りの人々もパウロの変化に驚いています。イエス・キリストとの出会いによって大きく変えられたパウロの人生、ここまで大きく3回に渡る伝道旅行が行われていきました。イエス・キリストの伝道はまずユダヤ人から始まって、多くの異邦人のために行われました。パウロは異邦人への伝道者として神に用いられて行動していきます。3回の伝道旅行のまとめとして、エルサレムに行こうとします。このパウロのエルサレム行きは、本人自身も周りの人々も多くの困難が待ち受けているものと考えられていました。エルサレムでパウロを待ち構えている困難とは、ユダヤ人からの迫害、攻撃です。かつてパウロ自身が行っていたキリスト教徒に対する迫害です。自分が行っていた迫害を、今度は別のユダヤ人から受けることになっていました。

 パウロのエルサレム行きは、大きく1つの目撃がありました。それは当時、貧しかったエルサレム教会を助けるために、多くの献金を伝道旅行の中で行っていたからです。多くの献金が集まりました。それを、パウロ自身が仲間と共に、エルサレムの教会に届けたいということがあったのです。無事に、その献金をエルサレム教会に届けることができたのでしょう。それと共に、恐れていたことが実際に起っていきました。それはパウロ自身がユダヤ人に見つかって逮捕され、捕えられるというものです。エルサレムに着いたパウロが、神殿に出入りしていた時に、異邦人を連れて、聖なる場所に入っていたという誤解があり、大騒動に発展していきます。エルサレム中が騒動になり、パウロ自身が命の危機を迎えることになってしまいました。エルサレムが混乱しているということがローマ軍に知られて、すぐに行動し、騒動を鎮圧していきます。その結果として、パウロがユダヤ人から殺されそうになるところを救出されることになっていきました。パウロがユダヤ人の手からローマ軍によって助けられたことになります。

 ローマ軍に救出されたパウロは、ユダヤ人の手から離されそうになりますが、ユダヤ人に向かって話すことをローマの千人隊長に許可を求めます。許可を受けたパウロは、自分を殺そうとしたユダヤ人たちに向かって、自分がいかにキリスト教徒の迫害者から伝道者に変ったことを証ししていきます。かつて、迫害者として行動していたこと、そして、ダマスコにおけるイエス・キリストとの出会い、信仰者アナニアとの出会い、特に、キリスト教徒として、異邦人への伝道者として導かれていることを伝えていきます。異邦人への伝道者として歩むことを伝えた時に、ユダヤ人たちは激しく抵抗としていきます。ユダヤ人たちは自分たちだけが神に選ばれた特別な民であると信じていました。自分たちに以外の特に、異邦人への救いはあってはならないことでした。再び、パウロはユダヤ人たちから殺されそうになります。

 パウロはユダヤ人たちから命を狙われていきます。ローマの千人隊長は、パウロの罪状を知るために、鞭打ちを行おうとしましたが、この時に、パウロは自分がローマの市民権を持っていることを主張し、鞭打ちを逃れることができました。そこで、千人隊長は、パウロの罪状を知るために、ユダヤの最高法院を開くのです。ユダヤの最高法院ですが、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派で構成されていました。サドカイ派は、ユダヤ人の中で貴族の出身の者が多く、ローマに協力的でした。ユダヤ教の教えとしては復活も天使も霊もないと認めていませんでした。ファリサイ派は一般民衆の支持を受けていて、復活や天使や霊の存在を信じていました。パウロはユダヤ人の最高法院の人々に向かって、「兄弟たち、私は生まれながらのファイリサイ派です。死者が復活をするという望みを抱いていることで、私は裁判にかけられているのです」と声を高めていいます。これはパウロの作戦でもあり、死者の復活という本当のことを話してもいるのです。そこで騒ぎは大きくなっていきました。ファイリサイ派の数人の律法学者が立ち上って激しく論じ、「この人には何の悪い点は見いだせない。霊か天使が彼に話しかけたのだろうか」といいます。

 こうして論争が激しくなって、千人隊長はパウロがユダヤ人から引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに下りて行って人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じます。ここまで見ていると、パウロはユダヤ人の前で、どうしたら自分の命が助かるのかという考えはないように見えます。パウロの言葉は、ユダヤ人から反感を受け、迫害され、攻撃されることは分かって、行動しています。それがパウロの歩み道なのでしょう。神のために、イエス様のために、歩んで行こうとします。しかし、それは困難な道の選択であり、命の危機を招くものです。パウロのエルサレムでの伝道は失敗に終ったのでしょうか。

 その夜のことです。イエス様はパウロの側に立って、「勇気を出しなさい。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」というのです。イエス様の言葉、聖霊の言葉がパウロを強く励ますのです。この励ましによって、パウロは命の危機を何度も味わいますが、ローマにまで行くことになります。

 私たちの人生も多くの困難があります。パウロのような状況ではなくても、様々な困難な状況下にあっても、このイエス様の言葉は私たちに迫って来ます。「勇気を出しなさい」という言葉です。人間的に限界の状況でも、そこを突破し、新しい道を見い出すことができるようになっていきます。そのような信仰が私たちには与えられているのです。このイエス様の励ましの言葉を受けて、それぞれの困難な道を乗り越えていきましょう。

祈り 神よ、あなたをこのように礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロにとってエルサレムでの状況は困難なものでした。先の見えないようなものでした。でも、イエス様の言葉がありました。勇気を出しなさい。これからローマでも証しをしなければならないといわれました。このイエス様の言葉によって、パウロは励まされ、新しいローマへの道を歩んでいこうとするのです。私たちも、このイエス様の言葉を自分のこととして聞き、前を向いて歩んでいくことがきますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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