6月7日の礼拝の内容です。

礼拝

6月7日の礼拝の内容です。讃美歌は、57.361.433(1.4.6).475.81.24です。

礼拝説教       使徒23:12~16「神の助けを信じる」     2026.6.7

 6月の最初の日曜日を迎えました。今年もまもなく2026年の半分が終ってしまうのかと感じています。時の流れの早さを感じるのです。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝します。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みがよりよいものとなりますようにと祈ります。

 使徒言行録を読んでいます。この書は、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心であるローマに伝えられることが書かれてあります。使徒言行録の後半になりますが、パウロを中心に話が進んでいきます。パウロは3回に渡る伝道旅行を行いました。当時の地中海世界の半分を伝道していったことになります。パウロの視点は当時の世界の中心であるローマへ、そして地中海世界の残りの半分に伝道するというものを持っていました。3回の伝道旅行が終って、エルサレムに到着しました。そこで待っていたのはユダヤ人からの迫害でした。ユダヤ人に見つかって捕えられ、殺されそうになりました。その時に、パウロを助けたのはローマ兵でした。エルサレムの治安を守っているローマ兵によって、パウロは助けられ、殺されそうなところを救出されたのです。

 最後に、パウロはユダヤ人の最高法院に連れて行かれました。ローマ兵の千人隊長はパウロがユダヤ人から殺されそうになっているのを見て、その理由を知ろうとしたのです。そのために、最高法院を招集して、パウロの罪状を知ろうとしました。そのユダヤ人の最高法院で、議員たちの議論が白熱し、千人隊長は、パウロが最高法院の人々から引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに下りて行って人々からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くのです。

 これからパウロにとって最大の危機を迎えることになります。このままではパウロはユダヤ人から逃げることができず、殺されてしまうかもしれません。そのような危機だったのです。その時に、名もない1人の若者が現れます。その若者は、パウロの命を助けて、イエス・キリストの福音がローマへ届く道を開くことになります。神は働いてくださるのです。聖霊が動かれるのです。

 夜が明けますと、ユダヤ人たちはパウロに対する陰謀をたくらみます。パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てたのです。このたくらみに加わった者は40人以上もいました。彼らは、祭司長や長老たちのところに行って「わたしたちは、パウロを殺すまでは何も食べないと、固く誓いました。ですから今、パウロについて詳しく調べるという口実を設けて、彼をあなたがたのところに連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。わたしたちは彼がここに来る前に殺してしまう手はずを整えています」というのです。

 このユダヤ人たちの闇の計画といいますか、人間の憎しみの深さを感じるのです。40人以上のユダヤ人たちが、「パウロを殺すまで、食べも飲みもしない」という誓いを立てるのです。宗教的な熱心さや組織的な殺意を見ます。それもユダヤ人の指導者たちである祭司長も長老たちも共に行動していきます。更に、ユダヤ人の最高法院までも利用してしまいます。人間の心はどこまで闇に支配されているのでしょうか。神を信じていく、神のために行動していくこと、自分たちの行動が神の御心に適っていると信じて疑いません。「あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」(ヨハネ16:2)とイエス様がいっている通りです。

 ユダヤ人たちが、神を信じて従っていくことは大切なことです。神のために、自分の生涯のすべてをささげていきたい。何よりも神のために生きていきたい。神の前でも熱心さは素晴らしいものだと思います。自分のためではなく、何よりも神のために奉仕していきたい。神のために生きたいと熱心に神の仕えて行きたいと願っているのです。この神への熱心さは、やがて、神の御心を実践しないパウロを殺すことは、神の御心なのだと思うのです。その熱心さは、パウロを殺すことは、神の御心に適っていること、自分たちの神のために働いて生きている。そのようになってしまうのです。神への信仰の中で罪を犯してしまうのです。

 40人のユダヤ人が、パウロを殺すまでは食べることも飲むこともしないと強い誓いをしています。神への善意、神への正義、神に忠実に生きること、それがパウロを殺すことが正しいとなってしまう。神に従うということはいったいどのようなことなのでしょうか。ここまでを見ているとユダヤ人の神への信仰の本質とは何かと考えて今います。40人以上のユダヤ人から、パウロは殺されそうになっているのですが、かつてのパウロもそうでした。パウロは自身の回心の話の中で次のようにいっています。

使徒22:3~5

「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」

 このように、かつてはパウロ自身も、自分を殺そうとしている40人のユダヤ人と同じでした。イエス・キリストと出会い、ユダヤ教徒からキリスト教徒に変えられたパウロは、そのことを深く後悔しているのです。かつては彼らと自分は全く同じだった。彼らを批判することはできない。それ以上に、彼らに、イエス・キリストの福音と出会って欲しいという強い願いを持って行動しているのです。

 パウロの状況を考えれば、このエルサレムでパウロの歩みは終ってしまうと思うのです。本当にそのような状況でした。しかし、この40人のユダヤ人のパウロを殺害するという陰謀を、パウロの姉妹の子が聞き込み、兵営の中に入って来て、パウロに知らせるのです。どうして、パウロの姉妹の子が、そのユダヤ人の陰謀を知ったのか分かりません。たまたま聞いてしまったのか、それとも誰かが知らせたのか分かりません。使徒言行録では、名前も出て来ないのです。この無名の1人の若者の行動が、パウロを助け、イエス・キリストの福音伝道と強く進めていくことになっていきます。この無名の若者は、行動していくのです。

 この若者の行動は非常に危険なものだったと考えられます。40人のユダヤ人たちが、自分たちの行動をこの若者に知られたと知った時、殺される危険性が出てきます。この若者は自分の命の危険を顧みず、まず、兵舎にいるパウロに伝えます。パウロは百人隊長の1人を呼んで、「この若者を千人隊長のところへ連れて行ってください。何か知らせることがあるそうです」と伝えますと、そこで百人隊長は、若者を千人隊長のもとへ連れて行きます。そこで若者は、千人隊長に「ユダヤ人たちは、パウロのことをもっと詳しく調べるという口実で、明日、最高法院に連れて来るようにと、あなたに願い出ることを決めています。どうか、彼らのいいなりにならないでください。彼らのうち40人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです。そして、今その手はずを整えて。ご承諾を待っているのです」と。

 1人の若者の報告を聞いた千人隊長は、すぐに行動します。千人隊長は百人隊長2人を呼び、「今夜9時にカイサリアへ出発するように、歩兵200人、騎兵70人、補助兵200名を準備せよ」と命じます。さて、歩兵たちは、命令通りにパウロを引き取って、夜の内に出発し、カイサリアに送るのです。40人のユダヤ人からの危機を逃れることができたのです。

 伝道者パウロの歩みを見ています。いろいろな危機の中でパウロの歩みは進んでいきます。内容は違っても、私たちの歩みは神の導きの中にあります。神の守りを信じて、様々な人生の困難がありますが、前を向いて歩んでいきましょう。

祈り 神よ、あなたをこのように礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロの困難を助けた1人の若者の働きを見てきました。あなたはパウロを導いてくださいます。あなたの導きは、私たち1人1人に働かれています。そのことを信じて歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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