6月14日の礼拝の内容です。讃美歌は、361.402.434.449.26です。
礼拝説教 使徒23:17~22「信仰のたすきをつないで」 2026.6.14
毎週日曜日に、このように私たちは教会に集まって、神を礼拝しています。神を礼拝するということはどのような意味があるのでしょうか。それは神が私たちにしてくださった愛の行為、イエス・キリストの十字架を見上げて感謝するということです。私たちは皆、罪人であり、その罪人である私たちのために、神は御子イエス・キリストをこの世に送ってくださり。十字架につけてくださいました。それは、私たちの完全な罪の赦しが与えられているとことです。神の愛を確認するために、私たちは日曜日ごとに教会に集まって神を礼拝するのです。
さて、使徒言行録を読んでいます。使徒言行録は、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心であるローマにまで伝えられることが書かれてあります。パウロはここまで3回に渡る伝道旅行を行って来ました。そして今、エルサレムに到着し、ユダヤ人の迫害のために囚われている状態にあります。使徒23:18に「囚人パウロ」とありますように、ここからは囚人としてのパウロの歩みが書かれてあります。それは、使徒言行録の最後まで続きます。イエス・キリストの福音を伝えるために、パウロは自分のすべてをかけて歩んでいくのです。エルサレムでは伝道者パウロは囚人パウロと変わっていきます。その本質は何も変わっていません。エルサレムでパウロはユダヤ人に見つかって捕えられ、殴られ殺されそうになっていました。それをエルサレムの治安を管理していたローマ軍によって助けられたのです。
また、パウロは特別な資格であるローマの市民権を持っていることで、自分に有利な方法を使うこともできました。ローマ軍からの鞭打ちなどを回避することができたのです。しかし、事態は深刻なものになっていきます。ローマ軍の千人隊長は、パウロの罪状をはっきりとするために、ユダヤ人の最高法院を招集しました。そこでパウロの罪状を明らかにすることができるかと思ったのですが、混乱がますますひどくなっていきました。千人隊長は、パウロがこのままではユダヤ人から引き裂かれてしまうのではないかと判断し、兵士に命じて、ユダヤ人からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くのです。
その次の日に、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみました。それは、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓いをしました。このたくらみに加わった者は40人以上いたのです。彼らは祭司長や長老たちのところにいって、「自分たちはパウロを殺すまでは何も食べないと固く誓いました。これからパウロについてもっと詳しく調べたいという口実を使って、パウロをあなたがたのところへ連れて来るように、最高法院と組んで、千人隊長のところへ行って、願い出てください。私たちはパウロがここに来る前に殺してしまう手はずを整えています」と告げるのです。
パウロは、イエス・キリストの福音を伝える行動が、ユダヤ人の反感をかい、40人の者がパウロを殺すために行動しようとしています。この事態の中で、パウロはどうすることもできない状態に置かれたと考えます。しかし、状況は急転します。この40人のユダヤ人の陰謀を、パウロの姉妹の子が聞き込みました。使徒言行録は名もない1人の若者の行動を書いています。若者の行動は、パウロの今後の歩みを続けることができる希望を生み出します。この若者はすぐに行動します。兵営の中に入って来て、パウロに知らせました。そして、パウロは百人隊長の1人を呼んで、「この若者を千人隊長のところへ連れて行ってください。何か知らせることがあるようです」といいます。そして、百人隊長は、若者を千人隊長の元に連れて行きます。百人隊長は「囚人パウロがわたしを呼んで、この若者をこちらに連れて来るように頼みました。何か話したいことがあるようです」と伝えます。千人隊長は、若者の手を取って人のいない所に行き、「知らせたいこととは何か」と聞きます。若者は「ユダヤ人たちはパウロのことをもっと詳しく調べると口実で、明日パウロを最高法院に連れて来るようにと、あなたに願い出ることを決めています。どうか、彼らのいいなりにならないでください。彼らのうち40人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いをしないという誓い、陰謀をたくらんでいるのです。そして今、手はずを整えて、御承諾を持っているのです」と伝えます。そこで千人隊長は「このことをわたしに知らせたとは、誰にもいうな」と命じて、若者を帰します。
この後、千人隊長はすぐに行動します。ローマ軍を使ってパウロをエルサレムからカイサリアに移動させます。40人のユダヤ人の陰謀はこのようにして崩れました。これからパウロは囚人として、ローマまで行くことになります。そして、ローマでのパウロで、使徒言行録は終っていきます。
この聖書の箇所を読みながら、パウロの行動、ユダヤ人の陰謀、ローマ軍の行動、パウロの姉妹の子の行動をみて、イエス・キリストの福音につながっていると考えました。パウロもユダヤ人たちも罪人です。パウロは殺されそうになります。ユダヤ人たちは、パウロを殺すことは神の御心に適っていると信じていました。人間の罪とは何かということはなかなか難しい内容だと私は思っています。自分たちが一般的な罪を犯すことも、罪を犯すことです。しかし、聖書の罪というのは自分が神になるということです。かつてのパウロも同じでした。ユダヤ人である自分は、キリスト教徒を迫害することは、神の正しさを守ることであり、神の前で正しい行為だと信じていました。40人のユダヤ人がパウロを殺すまで飲み食いしないという誓いを立てること、人を殺すことが神の御心に適っていると信じ
込んでいます。神の正しさが、自分たちの正しさに変っていきます。それが、自分が神になるということです。
すべての人間は、神の御前で罪人です。パウロもユダヤ人もローマ人も、すべてが罪人です。すべての人間が神の前で裁きを受けなければならないのです。ところが、1人の若者の登場、百人隊長の行動、千人隊長の行動によって、パウロの命は助かっていきます。イエス・キリストの福音がエルサレムからローマにまで伝わっていくのです。
このことは、神の憐れみによって、私たちすべての人間に神の義が実行されていくのです。イエス・キリストを信じることによって、すべての者が神の救いに預かることができるようになるのです。私たち人間は罪を犯して、神の救いを受けることができなくなっています。ただ、イエス・キリストによる贖いの業を通して、神の恵みによって無償で義とされるのです。神は、イエス・キリストを立てて、その血によって信じる者のために罪を償う供えものとしてくださいました。それは、人が犯した罪を見逃して、神の義を示されたのです。
パウロが命をかけて伝えたかったことが、このイエス・キリストの福音です。このイエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、やがてローマにまで伝えられていきます。使徒言行録の最初に、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)と書いていることが実現していきます。
皆さんは駅伝ということを知っていると思います。駅伝で有名なのが1月2日、3日に行われる箱根駅伝です。東京から箱根までを往復するものです。1人で走るのではなくて、10人で各区間を、たすきをかけてつないでいきます。これは個人的な意見ですが、イエス・キリストの福音を伝えることに似ていると思います。イエス・キリストの福音を伝えることは、神は人を用いて行われるのです。使徒言行録では、ペトロからパウロへとつないでいきました。もちろん、2人だけではなくて、多くの人々の働きがありました。名のない人の働きもありました。人から人へのたすきがあります。考えてみれば、私たちも誰かから、そのイエス・キリストのたすきを受け取りました。今度は他の誰かにそのイエス・キリストの福音のたすきをつないでいくことが求められています。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。囚人としてのパウロの歩みを見てきました。イエス・キリストの伝道という厳しい歩みの中でも、いつも神の助けがあり、導きがありました。囚人としてのパウロの歩みに、神の導きを知ると共に、それが私たちの歩みと重なると信じることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


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