7月19日の礼拝の内容です。

礼拝

7月19日の礼拝の内容です。讃美歌は、211.495.518.522.26です。

礼拝説教      使徒24:17~23「死者の復活を信じる」     2026.7.19

 「暑いですね」と挨拶を交わす日が続いています。少し前は梅雨の中で、雨が続き、晴れが欲しいなあと勝手に思っていました。すると、そこ晴れ間がやって来ました。急な猛暑がやって来たのです。毎日、毎日、全国で40度近くの気温だったと報告されています。雨が欲しいなあ、太陽の直射はとても辛く感じる日々です。神の守りを祈ります。

 使徒言行録を読んでいます。今日の聖書の場面は、カイサリアでパウロがローマ総督フェリックスの前でユダヤ人からの訴えに対して弁明をしている箇所です。その弁明の内容は、ユダヤ人の訴えに答えているものですが、大切な部分は、復活のことです。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」(使徒24:15)

 そして、今日の聖書の中心部分は、使徒24:21です。次のように書いてあります。「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」です。

 死者の復活はキリスト教の教えの中でとても大切なものです。どうしてもはずすことのできない内容となっています。死者の復活について、聖書から聞いてみたいと思います。新約聖書のヨハネ11章です。ラザロの復活の場面です。エルサレムに近いベタニアの村に、マルタとマリアの姉妹が住んでいました。姉妹には兄弟ラザロがいました。その兄弟ラザロが突然に重い病にかかってしまったのです。姉妹は、イエス様にラザロの病気とすぐに来て欲しいと人を送りました。しかし、イエス様はしばらく動かないでいました。ラザロが死んでしまったという報告を受けたのです。すると、イエス様は、すぐにべタニアの村に行こうとします。ラザロの死から4日が過ぎていました。

 ラザロの死によってマルタとマリアのもとには、多くの村人が励ますために集まっていました。イエス様がべタニアの村に来られたことを聞いたマルタは迎えに行きました。しかし、マリアは家に留まっていました。マルタはイエス様に「主よ、どうしてすぐに来てくださらなかったのですか。あなたがここにいてくださったら兄弟ラザロは死ななかったでしょうに、しかし、あなたが神にお願いすることは何でも神は適えてくださると、私は信じています」といいます。イエス様が「あなたの兄弟は復活する」といわれると、マルタは「終りの日の復活の時に復活することは存じています」といいます。イエス様はあの有名な言葉をいわれます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と。マルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じています」と答えています。

 マルタは、こういった後で、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちしています。マリアはこれを聞くとすぐに立ち上ってイエス様のもとに行きます。マリアはイエス様を見るなり、足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」といいます。イエス様はマリアが泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して「どこに葬ったのか」といわれると、村の人々は「主よ、来て、御覧ください」といわれます。イエス様は涙を流されます。それを見た村の人々は「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたのか」といいます。しかし、中には「盲人の目を開けたこの人も、ラザロを死なないようにはできなかったのか」という人もいました。

 イエス様は墓に来られました。墓は洞穴で、石にふさがれていたのです。イエス様が「その石を取りのけなさい」といわれると、マルタが「主よ、死んで4日も経っていますので、もう匂います」といいました。イエス様は「もし信じるなら、神の栄光が見られると、いっておいたではないか」といわれます。人々が石を取りのけると、イエス様は天を仰いで「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを知っています。しかし、わたしがこういうのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」と祈りました。こういってから、イエス様は大声で「ラザロ、出て来なさい」と叫ばれました。すると、死んでいた人が手と足を布に巻かれたまま出て来たのです。顔は覆いで包まれていました。イエス様は人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」といわれています。マリアのところに来て、イエス様のなさったことを目撃した多くの人々は、イエス様を信じました。

 これが、ラザロの復活の場面です。死んで4日経ったラザロをよみがえらせた奇跡物語です。この奇跡物語は、イエス様が死んで4日経った人をよみがえらせる力があることを示しています。そして、復活の場面で、人はいったい、どのように復活するのかということです。どのように死んでからよみがえることができるかということです。パウロの手紙の中に書かれてあります。

1コリント15:12~14,16~20

12キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。

13死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。

14そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。

16死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。

17そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。

18そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。

19この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。

20しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

 このように、当時の教会でも死者の復活はないというキリスト者もいたようです。死んだ人間は復活する、このような奇跡を人間の理解では受け入れることは困難なことです。今でも、私たちの中でも死者の復活はないと思っている人がいるのではないでしょうか。そして、死者の復活で、人はどのように復活するのだろうかということですが、次の聖書の言葉があります。

1コリント15:50~53

50兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。

51わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。

52最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

53この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。

 最後のラッパという言葉があります。この世の終りのことです。世の終りはいつ来るのか誰にも分かりません。神ご自身しか分からない内容です。しかし、その世の終りに、死者の復活が起り、一瞬のうちに変えられるのです。朽ちるべき者が朽ちない者に変えられます。死ぬべき者が死なない者と変えられるのです。この言葉によって、死者の復活がどのようになるのか、具体的な内容を知ることができます。私たちは生きています。でも、すべて生きている者は、やがて終りの時を迎える時がやって来ます。それはとても辛いことです。しかし、それでは終わりではありません。イエス・キリストの十字架の死と復活によって、死者の復活の希望を持つことができています。復活の希望を信じています。

祈り 神よ、まず、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロの歩みより、死者の復活の希望について、聖書の言葉から受け止めて来ました。いつか終る自分の時に、死者の復活の希望を信じて歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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