8月9日の礼拝の内容です。

vibrant blue sky with wispy white clouds 礼拝
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8月9日の礼拝の内容です。讃美歌は、18.483.372.544.24です。

礼拝説教      使徒24:24~27「語られた言葉の応答」    2026.8.9

 2026年8月9日、この日は、81年前に長崎に原爆が落とされた日です。多くの方がなくなり、生き残った方々も様々な苦しみの中に生きてきました。あの日の悲劇を忘れることなく、平和の大切さを覚えていきたいと願います。

 もう数年前になりますか、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるって、緊急事態宣言が出されました。私たちの教会にとっても初めて、教会の礼拝を中止するという決断をしました。教会に来てください。一緒に神さまを礼拝しましょうという歩みをずっと続けて来ました。それが、教会に来ないでくださいという決断をしました。私は、これからいったい、どのようになってしまうのだろうという先が見えない不安の中にありました。その中でもできることをしようとしてメールやラインなどを使って、説教の内容を送りました。中には印刷したものを届けたりもしました。そして、YouTubeチャンネルを使ってのオンライン配信を始めました。礼拝が再開されても、元の形に戻すことには時間がかかりました。礼拝順序や聖餐式なども徐々に元に戻していきました。献金も今日から元に戻す形になりました。いろいろなことを考えて、長老会で話し合い、今回このような形になりました。

コヘレトの言葉3:1

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 ここに、時のことが書かれてありますが、時を考えることの大切さを思います。今日、与えられた聖書の箇所も時のことを考えることとなります。使徒言行録ですが、これはキリスト教の最初の歩みが書かれてあります。パウロは3回に渡る伝道旅行を終えて、エルサレムに戻りました。それには大きな理由がありました。貧しいエルサレム教会のために募金を集めていました。きっと多くの募金が集まったのでしょう。その募金を仲間と共にエルサレム教会に直接届けるためです。エルサレムに行くことはパウロのとって多くの困難が待っているはずでした。それでも、パウロはエルサレムに行くのです。エルサレムに戻ったパウロはユダヤ人に捕えられて、殺されそうになりました。それをローマ軍が来て助けてくれたのです。ローマ軍の保護の下で、パウロはエルサレムからカイサリアに移動しました。カイサリアでは、ローマ総督フェリクスの前で裁判を受けています。

 数日後に、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスの信仰について話を聞いています。フェリックスとドルシラについて調べてみますと、フェリクスはもともと奴隷でしたが、いろいろな策略を使って、ローマ総督までの地位を得ることができました。ドルシラはヘロデ・アグリッパ1世の末娘でした。ドルシラは最初、ある人に嫁ぐことになっていましたが、相手がユダヤ教を好きではなかったためにダメになりました。次にシリアの王と結婚することになりました。ところがドルシラが16歳の時に、フェリクスはある魔術師の力を借りて、ドルシラをくどいて、その夫と離婚させ、自分と結婚することになったのです。ドルシラはフェリクスの3番目の妻となりました。

 フェリックスは自分だけでなく、妻のドルシラも一緒にパウロのもとに連れて来たのは何かの事情があったと考えられます。もしかしたら、フェリクスは妻ドルシラの思いを十分に受け止めることができず、悩んでいたのかもしれません。そのために、パウロのもとに来て話を聞くことによって、2人の関係をよくしたいと考えたのかもしれません。これらは私の想像です。考えてみれば、この時は、フェリクスやドルシラにとって、神の福音を聞き、イエス・キリストの十字架の救印を受け入れることができる時でした。

 ローマ総督フェリックスとその妻ドルシラの前で、パウロが語る内容は、神の教えそのものでした。パウロは正義や節制や来るべき裁きについて語っています。神の正義というのは、神の正しさです。神は義なる方であり、人々の正しい生き方を求めています。神の節制というのは、人々が神の教えに忠実に生きることです。フェリクスと妻ドルシラの関係は、ドルシラがすでに結婚していたのに、無理に離婚させ、自分の妻にしていることがあり、2人によっては厳しい内容だったと思います。そして、来るべき裁きについて、すべて生きている者は、最後の審判の時に、どのように生きていたかということが問われて裁きを受けることが決まっているという内容です。パウロの言葉を聞いたフェリクスは、自分の今までの行動を指摘されているようで、恐ろしくなってしまいました。

 フェリックスはパウロに「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と答えて、途中で話を終えています。使徒言行録は、フェリクスはパウロから金をもらおうとする下心があり、度々呼び出しては話し合っていたとあります。パウロがエルサレムに来たのは、貧しいエルサレム教会のために集めた募金を渡すためでした。そのことを知ったフェリックスはパウロが多くのお金を持っていると考えたのでしょう。そのために、パウロからお金をもらおうとして、何度も呼び出したと書いています。そう考えると、フェリクスの目的はパウロが持っているお金ということになります。実際にパウロからお金を手に入れたかどうかは分かりません。

 それから2年が経ちました。フェリクスの後継者として、プルキウス・フェストゥスが赴任して来ました。フェリクスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておきました。その後、フェリクスとドルシラがどのようになったのかは、聖書に書いていないので、分かりません。フェリクスにしてもドルシラにしても、パウロを通して、神の言葉を聞き、イエス・キリストの救いを受け入れる機会があったということです。ドルシラはどのような思いで、パウロの言葉を聞いたのでしょうか。厳しい言葉で、フェリクスと一緒に恐ろしくなってしまったのでしょうか。もう二度とパウロの言葉を聞く機会がなかったのでしょうか。それとも、フェリクスが何度もパウロを呼び出して話し合っていたので、同伴して、一緒に聞いていたということも考えられます。

 今日の聖書の箇所は、ローマ総督フェリクスとその妻ドルシラがパウロの言葉を聞いて、イエス・キリストの福音を聞いたにも関わらず、信じることができなかったという話です。その時ではなかったということでしょうか。

 私たちは使徒言行録を読んでいますが、使徒8:26~40のところに、フィリポとエチオピアの宦官の話が出ています。エチオピア人の宦官がエルサレムに礼拝に来て、帰る途中だったとあります。エチオピアからエルサレムまでの距離は非常に遠いです。エチオピア人は馬車に乗っていましたが、それでも大変な距離です。宦官は馬車に乗りながら、預言者イザヤの書を朗読していました。当時で、聖書の一部を持っていることは特別なことでしょう。どれほどの思いがあって、このエチオピア人の宦官は神への信仰を持っていたのでしょうか。神に導かれてフィリポはこの宦官の所に行き、イザヤ書を解説し、イエス・キリストの福音を伝え、洗礼を受けています。この場面を思いながら、この時を用いて、エチオピア人の宦官はイエス・キリストを信じることができました。たった一度のチャンスを、この宦官は受けとめることができました。

 フェリクスと比べて、どうしてこうも違うのだろうと考えます。人にはいろいろ歩みがあります。そして、いろいろな時があります。ある人が、イエス・キリストを信じて、洗礼を受けたいと申し出ることがあります。以前には、その人の状況を見て、まだ早いのではないかと考えることも私にはありました。でも、そのような時に、人の判断はあっていいのだろうとかと考えるのです。大切なことは神とその人との関りです。神がその人に働いているのです。私たちは、このような時には、その神様とその人との関りを大切に受け止めて、よりよいイエス・キリストの信仰の歩みができるように導くのが何より大切なことだと考えます。その人のその時を大切にしていきたいのです。私たち1人1人にも、そのような神様とわたしの出会いがあります。その時を大切にして生きていきたいものです。

祈り 神さま、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。神様とその人が出会う、その時を考えてきました。私たちには分からない、知ることができないその時があります。しかし、必ず、その時がやって来ます。私たちは日々、神さまに心を開いて、あなたからの招きに応じることができますように導いてください。また、神さまの他の人の出会いを大切にすることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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