7月16日の祈祷会の内容です。

photo of common kingfisher flying above river 教会からのお知らせ
Photo by Monique Laats on Pexels.com

祈祷会      サムエル記上15:1~17「神に従うということ」    2025.7.16

 神は、ここでサムエルを通して、サウルにアマレク人との戦いをするように命じています。サムエルはサウルに「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい」といいます。そして、具体的に「イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」(15:2~3)といいます。

 ここでは聖戦という考えがあります。この聖戦という考え方に、私たちは戸惑いと、どうして愛なる神が、このような残酷なことをいうのだろうかと考えてしまいます。一般の人々が聖書を読む時に、1つのつまずきにもなっていると思います。現在起っているイスラエルとハマスとの戦い、ガザで起っているニュースなどを見て聞いて悲しく思ってしまっています。この聖戦の考えが、今のイスラエルとハマスとの戦いで起っていること、一切を滅ぼせという命令がイスラエルの攻撃で、ガザで起っていると見てしまうからです。

 この聖戦という考え方は、旧約聖書に出てきます。創世記22章にはアブラハムがその息子イサクをささげる場面が出てきます。アブラハムとサラに与えられた1人息子イサク、それはアブラハムの希望でした。アブラハムもサラも高齢になって、息子を与えるという神の約束があっても、なかなか実現できなかったことがあり、アブラハムもサラも、神の約束の実現を信じていませんでした。それでも、神はその約束が実現したのです。イサクを与えるということが実現したことは大きな希望となっていきました。それを神はアブラハムから奪うように、息子イサクを焼き尽くすささげものとしてささげよとの命令がありました。それをアブラハムは神の言葉に従い、ささげようとします。その時に、神はアブラハムの行為を止めて、アブラハムの神への信仰を試したことがありました。ここから学ぶことは、すべてのものは神のものであるということです。私も、その家族も、持っているものも、この世のすべては神のものであるということです。その神への思いが、聖戦という形であるのだと思います。

 このアマレクをすべて滅ぼせという神の命令を、サウルは従うことがここで求められているのです。実際は従わないことで、サウルは神に捨てられて、サムエルに捨てられて悲しい最後と遂げるようになっていきます。イスラエルの人々がエジプトを出た時に、アマレク人との戦いになった記事(出エジプト記18:8~16.申命記25:17~19)から、このように神の言葉が出て来たのです。

 いよいよ、サウルのイスラエルとアマレク人との戦いになっていきます。サウルが兵士を招集しています。歩兵が20万、ユダの兵は1万となっています。何と数の多いことだと思います。サウルは戦いの前にカイン人にアマレクの地から出て行くようにいいます。その理由は、イスラエルの人々がエジプトから出た時に、親切にしてくれたというものでした。カイン人はアマレクの地から立ち退きます。サウルはアマレク人を討ちます。アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼしました。しかし、サウルと兵は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打のないものだけを滅ぼし尽くしました。神がサムエルとサウルにいった言葉を守らなかったのです。サウルと兵は、目の前に家畜などの上等なものは欲しくなって、自分たちのものとしました。つまらないものは、どうでもいいので、滅ぼし尽くしたということなっていきました。

 主はサムエルに「わたしはサウルを王として立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」と告げます。その神の悔やむ思いを聞いたサムエルは、深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだというのです。神とサムエルの思いをどのように受け止めればいいのでしょうか。

 サムエルがサウルと会おうとすると、「サウルはカルメルに行って自分のために戦勝碑を建て、そこからギルガルに向かって下った」という知らせが届きました。サウルは何と、アマレク人との戦いの勝利に、この勝利は自分の功績として受け止め、自分のための戦勝碑を建ててしまうのです。

 サムエルがサウルにあうと、サウルはサムエルに「主の御祝福があなたにありますように。わたしは主の御命令を果たしました」と答えています。サムエルは「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしが聞くこの牛の声は何なのか」とサウルに聞きます。サウルは「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らは主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。他のものは滅ぼし尽くしました」と答えます。サウルは、最上の羊や牛を残したのは兵士のしたことで、それも神へのささげものにするためだったといっています。サウルは自分の罪を認めていません。兵士のせいにしています。サムエルはサウルに「やめなさい。あなたにいわねばならないことがある。昨夜、主がわたしに語れたことだ」といいます。サウルは「お話ください」と答えます。サムエルは「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないのか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの王とされた」といって、その後、神の言葉を語っていきます。

 サウルは神の言葉に聞き従おうとしていません。サウルは表面的には神に従おうとしていますが、実際には、自分の思いを優先していっています。そのために神に捨てられていくことになっていきます。ここでサウルが神から求められていることは神の言葉に従うということです。徹底的にです。そのことが求められています。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。聖戦、神にすべてを従うということがここで求められていることを学びました。イスラエルにサウルが王と立てられました。神ご自身がサウルを王として選ばれたのです。その神がサウルを王として立てたことを嘆いているのです。どうして、サウルは神の言葉に聞き従うことができなかったのでしょうか。サウルも思いを知り、神に従う意味を考えさせてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

コメント